【第三十話】井戸の底に沈むもの
朝霧が村を包んでいた。
リクが目を覚ましたのは、まだ太陽が顔を出す前のことだった。
納屋の隙間から差し込むうす白い光と、どこか冷たさを孕んだ空気に、彼は眠気を引きずりながら身体を起こす。
(……眠りが浅かったな)
原因はわかっている。昨日、老婦人が言っていた井戸の不調。
それが気にかかって、ずっと胸の奥がざわついていた。
静かに納屋を出ると、村はまだ静まり返っていた。
だが、東の空は淡く朱色に染まり始めており、畑の影からは一番鶏の鳴き声が聞こえてくる。
「——ちょっと、行ってみるか」
リクは誰にも声をかけず、村の中心部にあるという井戸へと向かった。
◆
井戸は、村の中心の広場にぽつんとあった。
石を積み上げた古びた造りで、縁には苔が生え、長い年月を物語っている。
だが、表面の摩耗具合を見るに、いまだ現役で使われていることは間違いなかった。
(……確かに、音が妙だ)
桶を下ろしてみると、確かに途中で引っかかるような感覚がある。
しかも、井戸の底からわずかに漂ってくる魔素の流れ——それが、ねじれていた。
「《解析・点素構成》」
そっとスキルを展開する。
視界に淡く情報の網が広がり、水脈の流れ、地層の断面、魔素の濃淡が浮かび上がってくる。
(やっぱり……水の層に異物が混じってる? いや、魔素の流れが干渉されている……?)
リクの眉がわずかに動いた。地下水の動きが不自然だった。
何かが、まるで“蓋”のように流れをせき止めている。
そして、さらに詳しく視点を深掘りしようとしたその時——
「……何してるんだ、お前」
背後から、隊長の声がした。
リクははっとして振り返る。
いつの間にか隊長が立っており、その腕には朝の装備が整えられていた。
ミナの姿もあったが、彼女は静かにリクの傍に歩み寄る。
「……ごめんなさい。私が起こしちゃったの」
「いや、気にするな。……それより、何かあったのか?」
リクは深く頷くと、得た解析情報を簡潔にまとめて報告した。
隊長は無言で聞き、長い息をついた。
「つまり、地下に何かがあると?」
「はい。地層のズレか、あるいは人工的な何か……。水脈の封鎖が断続的に起こっているように見えます。普通の地殻活動じゃあり得ない……」
隊長はしばし沈黙したあと、井戸の縁を見下ろしながらため息交じりに言った。
「…はぁ。午後に村長に話を通そう。だが深入りするなら慎重になれ。俺たちは旅の途中だ。寄り道の価値があると判断できる場合だけ、動く」
「……はい」
「それにこの井戸の狭さを考えたら、入れるのは三人までだ。…ここにいる三人だけで行くなら、許可しよう」
「ありがとうございます」
リクの胸に、静かな灯が灯る。
“この力で誰かを助けられる”という、確かな実感。
それは、これまでただ危険を避けるためだけに使ってきたスキルが、初めて“生きる”と感じられる瞬間だった。
◆
昼過ぎ、村長との面会を果たした一行は、井戸の調査許可を得る。
古くから続く水源に何か異変が起きていることを、村長自身も薄々感じていたらしい。
「昔はね、もっと豊かに湧いていたんだよ。……何年か前の小さな地震のあとから、少しずつ調子が悪くなってね」
村長はそう語った。
地震——それが原因なら、地下に“空洞”や“崩落”がある可能性もある。
だが、リクは魔素の歪み方から、それ以上の“人為的”な何かを感じ取っていた。
その夜、納屋に戻ったリクは、地面に地図を広げ、解析晶片の光を頼りに、地下の構造を簡易的に描いていく。
「……このライン、完全に人工構造だ」
「人工って……つまり、遺跡とか?」
ミナが膝を抱えて尋ねる。リクは頷いた。
「可能性はある。たぶん、村の下に“何か”が眠ってる」
——それが、ただの水路か、封印された廃墟か。それはまだ、わからなかった。
けれど、確かに“解析”はリクにそれを伝えていた。
“ここには、誰も気づいていない真実がある”と——




