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「あと一週間もすれば元通りに動けるようになるでしょう」
そんな診断を下して医者が帰ったのはついさっきだ。先程まで同席していた両親も医者の見送りのため一緒に退室していった。
ベッドの上で見慣れた自室の天井を見ながらカイルは溜め息を吐く。
肋骨には数本にわたる罅。顔も体も青痣だらけ。幸い煙をあまり吸わなかったせいか喉は無事だった。外れた関節は元に戻されているが、体を動かそうとすれば酷くあちこちが痛んで。
幸か不幸かその痛みがあるお陰で本当に助かったのだと実感できていたが、まともに動けない状態でカイルができることと言えば、こうして部屋を見渡すことくらいで。そうすると嫌でも机に置かれたドールハウスが目に入って内心までを抉った。
あの日から二週間が経っていた。
あの日からお姫様には会えていない。
あの日、燃え落ちる屋敷から助け出されたカイルがはっきりと意識を取り戻したのはその翌日だった。
助け出してくれた聞き覚えのある声の主はカイルを締め上げたマリーの三番目の兄で。
決死の覚悟でシルーズにしがみつき、兄の元へ駆けて救助を訴えたマリーの行動によってカイルは救われた。カイルをは公爵家で治療を受けた後、彼女の兄によって男爵家へ運び込まれたのだと後から家族が教えてくれた。
目覚めた時ベッドサイドには沈痛な面持ちの父親と、目元を腫らした母親と、現在進行形で泣いている妹の顔があったのだが、目を覚ましたカイルの発した第一声が「マリーは?」だったので呆れられてその後めちゃくちゃ怒られた。
我が家には公爵家からこうなった経緯について、カイルが運び込まれた日に行方不明になったマリーをカイルが助け匿っていたのだという内容の説明がなされたらしかった。
マリーは公爵家に戻りきちんと保護されていることや、今回の件は他言無用だということ。詳しい事情を後で取ること、男爵家への礼のことなど。細かい諸々を知ったのは、目覚めて公爵家からの手紙を読んでからだった。
『あなたという子は…いくら本人から頼まれたとはいえどうして公爵家の姫君を貴方一人で匿えると思ったの…無謀にもほどがあるわ…』
『そうだぞ…サンヴェリナ公爵様の話を聞いた時卒倒するかと思った…』
『公爵家のお姫様ってあの有名な妖精女王ローズマリー様でしょう?』
『実際お父さんは卒倒しかけたわよ。見なさいこの頭を。心労ですっかり寂しくなって…』
『いやお母さんそれは元から…と、とにかく、まぁ褒められたことではないが…結果的にサンヴェリナ公爵はうちの商会を懇意にして下さると約束してくれたわけだし…無事で良かったと思うことに…いやでも本当に無茶したなぁお前…』
『いいなぁお兄様…私もお姫様に会いたい!!』
俺だって会いたい。
命が助かったならあんな別れ方じゃなく、ちゃんとさよならくらい言いたかった。
泣かせてごめんって、謝って。許されるなら、どうか幸せになってって伝えたかった。
けれど、このまま会わない方がきっとマリーのためだというのは分かっていた。
口さがない連中はどこにでもいる。成金男爵の息子に匿われていたなんてこと、きっと誰にも知られない方がいい。
相反する想いを自分でも持て余して、ただぼんやりと天井を見つめることしかできなかった。
死んだ目で天井を見上げるだけの息子に思うところがあったのか、カイルを叱っていた両親もそれ以降は何も聞かずにいてくれている。
もしかしたら一回くらいは会いにきてくれるんじゃないかと扉が開かれる度に期待して。
そこから覗く顔を見ては勝手にがっかりして。
ぎしぎしと痛む腕を持ち上げて目隠しするように顔の上に置く。目を瞑ると遠くに馬車の音が聞える。
公爵家の馬車だったらいいのにと思って、すぐにさっきの医者が帰る音だと気付いて自嘲の声を洩らす。
諦めると言ったのに命が助かった途端こんなにも未練がましくて本当嫌になる。
自分の気持ちなのに思うようにならなくて苛々する。
家族の元に帰してあげられて良かった。呪いを解く方法はもう見つかっただろうか。
もう元の姿に戻れた?
呪いが解けたお姫様は王子様と幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたしってな。
これでよかったんだ。
黄金虫は黄金虫らしくお姫様の幸せを願って、高望みせず、今までみたいに木の洞に引っ込んでればいい。
公爵家との取引は父さんがやるだろうし。もう二度と会うことがなくても。
まだしばらく引き摺るかもしれないけど。
マリーの幸せを願ってる。
しばらくそのままじっとしていると扉の開く音がして誰かが部屋に入ってきたのが気配でわかった。
「カイル」
また家族の誰かが戻ってきたのかと思っていたカイルはその声に呆然と顔の上に乗せていた腕を横に落とす。
「マリー…?」
サイドボードの上にはカイルと別れたあの日の姿のままのマリーがいた。
「…夢?」
いつの間にか眠っていたのだろうかと疑問を口にしたカイルに「夢じゃないわ、本物よ」とマリーは言った。
「どうしてここに…」
あんなに会いたかったというのに、いざ会えたらまともに言葉が出ない。
これが最後のチャンスかもしれない。ちゃんと話さなければと焦るほど声が掠れる。
「お兄様達にお願いしたの」
「…本当は?」
「…連れて行ってくれないのなら一生お兄様たちとは口を聞きませんって脅したの」
「ふはっ…」
けれど夢かと思っていたマリーは思った以上の力強さで言って、サイドボードの端に腰かけるように足を垂らして座った。言いたかったことも忘れて思わず噴出したカイルは肋骨の痛みに顔を顰める。
「大丈夫?まだかなり痛むの?お家の方からはもう大分良くなってきたって聞いたから…」
「あと一週間くらいで完治するって……ん?お家って、うちの…?会った?」
「えぇ、さっきご挨拶をしたわ」
「その姿で?」
「えぇ、驚かれてしまったけど…」
小さい姿のまま挨拶をしたという相手に「それはそうだろ」と、カイルが驚いてまじまじと見返すとマリーは「だって呪いを解くために貴方の協力が必要だからって言わなきゃならなかったから」と言った。
「協力…?」
「えぇ」
「俺の?」
「えぇ、貴方に会いに来る口実でもあったけど」
「あぁ…」
なんだ、ただの口実かと、反射でがっかりしたような声が出てしまいカイルは口を引き結ぶ。
「えっとね…呪いを解く方法が分かったんだけど…」
今回の首謀者であるカーマインの第三王子はあの日のうちに捕縛されていた。王子は最後まで否定していたが、実行犯である呪術師が全て自供したらしい。元々村への援助を盾に王子に強制されてやったことだと語ったらしく、マリーにかけた呪いも本当に姿を小さくするものだとは思っていなかったと。
事が明らかになり今まで当人同士の問題だと楽観視していたあちらの王家も流石に王子の継承権を剥奪し幽閉を決めた。友好国の王家に連なる姫を誘拐しようとしたなど戦争になってもおかしくなかったのだから当然の結果と言えた。
「解く方法がわかったなら何でそのままなの?」
王子が捕まり呪いを解く方法もわかったなら一件落着しそうなものだったが、口ごもるマリーにカイルは問いかけた。
「そ、それは…一人じゃできないことだし…お兄様達が許してくれなくて…」
「そんなに特殊な方法なのか…?」
カイルの疑問に視線を彷徨わせ口ごもったマリーは「言ったじゃない、カイルの協力が必要だって」と小さな声で言った。
「…俺?」
「そう…」
「なんで…?」
理解が追いつかなくてぐるぐるとした思考を整理しようとしたカイルの困惑した顔を見ながらマリーは赤い顔で意を決して口を開いた。
「意識のない貴方に勝手に口付けるのはずるいと思ったから」
「は?」
「呪いを解くには愛する人とキスしなきゃいけないの」
「な………」
口を閉じることも忘れて呆然と見返す。
マリーは今なんて言った。
あまりに都合のいい幻聴かと思って自分で自分の頬を殴る。
「カイルっ!?」
「痛ぇ…っ…うぅ…」
「当たり前じゃない!怪我してるのに何しているのよ!」
当然のように痛かったし、全身に響いて思わず呻き声が漏れた。
「夢じゃないって信じてくれた?」
困ったように笑うマリーに返事出来ないまま静かに頷く。
痛みがあるということはこれはやっぱり夢ではなくて。目の前にいるのは紛れもなくマリーで、そのマリーが口にしたことも夢じゃないって事で。
「……夢なら良かったのにな」
「カイル?」
これが本当に都合のいい夢であったなら、素直に喜べただろうか。その手を躊躇いなく取れただろうか。
あんなに焦がれていた相手が自分と同じ気持ちを返してくれたというのに。
願いが叶ってしまったことがこんなにも苦しい。
一時の感情でマリーの人生を傷つけてはいけない。
だから、言わなきゃいけない。さよならを。
「マリーの呪いを解くのは俺じゃない」
声が震えないよう、みっともなく泣かないよう、声を振り絞る。
緊張に強張った体がぎしぎしと痛んだけれど、それ以上にマリーの泣きそうな顔に胸が痛んだ。
「マリーはほら、あれだ…不安な状況で自分を助けた相手が俺だったから、勘違いしてるだけだ」
そんな顔させたいわけじゃない。言いたいのはこんなことじゃない。
「元々交換条件で成り立った契約だったし…バンカー家への賠償や謝礼は公爵様がちゃんと約束してくれたって聞いたし…それで終わりでいいだろ?」
こんな言い方してごめん。でも中途半端にしたら傷付くのはマリーだから。
「元々俺とあんたじゃ住む世界が違う。価値観の違う相手なんて疲れるだけだ」
俺じゃ釣り合わない。
俺じゃマリーを幸せにできないから。だから、ごめん。
「解く方法は分かってるんだから、焦らなくてもあんたならすぐにそういう相手ができるだろうし……最後に…話ができて良かったとは思うけど」
「っ…」
「さよならお姫様」
最後まで言えた事に安堵して息を静かに吐いた。
これでよかったと思うのに、自分で自分に刺した止めのせいでぽっかりと胸に大穴が空いてしまったかのような虚無感に襲われる。
マリーは俯いて肩を震わせていた。
今すぐ土下座して謝って想いを告げたい衝動を必死で押し殺して、黙ったまま相手の反応を待つ。
「それは本当に貴方の本心?」
顔を上げたマリーは泣いていなかった。その表情は凛としていて、そんな場合ではないというのに酷く綺麗だと思った。
「…そうだよ」
「本当のことを言って」
「だから本当だって…」
「そんな顔して言われても信じられない」
「っ…」
立ち上がったマリーは「あのね、貴方の胸ポケットにいるとね、カイルの心臓の音がよく聞えるの」とカイルを真っ直ぐ見ながら言った。
「私と話す時、少しだけ速くなるのは私の勘違い?」
確信をついた言葉に一気に顔に熱が上って口を噤む。
言葉なんかなくてもずっと饒舌に喋っていたらしい己の心臓に歯噛みする。
「私の思い違いじゃないって、確かめたかった」
「………」
「カイルが好き」
「っ…」
花が咲くみたいに微笑んだマリーに見惚れる。
死んだと思った心臓が戦慄く。
「確かに最初は安堵感だったかもしれないけど、そんなことの延長で死に物狂いで犬にしがみついて助けを呼びに走ったりしないわ…私、あの時のこと怒ってるのよ」
「え、あっ……ご、ごめん…?」
「一度謝っただけじゃ許さないから。あの時、私がどんな気持ちでカイルを置いていかなきゃならなかったか、本当に分かってくれてる?カイルが死んじゃうかもしれないってすごく恐かったの、分かってる?」
震えるようなマリーの声に息を飲む。
「…最初はあからさまに厄介だなーって顔してたのに一所懸命守ってくれようとするし、優しくしてくれるし…頭の回転も早くて、頼りになって…その…格好良いし…途中で好きになってもしょうがないじゃない」
「あ…いや…それ俺じゃなくても…そうしたと思う、けど…」
マリーの告白から収まらない動揺で反論する言葉が繋げられない。
どんな薄情野郎だってマリーみたいな美人に泣かれたら庇護欲爆発して騎士よろしく守るだろうし。
しどろもどろと「俺である必要はなかった」という言い訳をすれば、きっと眦を吊り上げたマリーが「そう、それもよカイル」と怒ったように言った。
そしてその後、怒りを断ち切るように一つ大きく息を吐いて柔らかに微笑んだ。場違いにも可愛いなとしか思えなかった。
「………」
「………」
「カイル、何か思うことはない?」
「えっ」
女神のような微笑みに反論も忘れて見惚れていたカイルはマリーの声にはっと我に返る。
「えーと…危ないことしないって約束破ったこと…怒ってる?ごめん」
「それも勿論怒ってるけど!!………カイルはやっぱり嘘つきよ」
「ご、ごめん…?」
「微笑めば大抵の男はイチコロだって言ったのに、全然効かないじゃない」
「は……?……は!?」
マリーの口から出た過去の自分の発言にぎょっとして起き上がろうとして、体の痛みに失敗してまた布団に沈む。
「ただの同情でも…部屋中汗まみれになって必死に探してくれた。心配してくれた。危ないことしたら本気で怒ってくれて、一方的に怒るんじゃなくてちゃんと話も聞いてくれた…歩く時いつもポケットの上から揺れないように手で支えてくれるところが優しくて大好きになった」
「マリー…」
「呪いを解くならカイルがいい。私は、顔も知らない王子様に好かれたいんじゃなくて、貴方に…カイルに好きになって欲しいからここまで来たのよ…それなのに俺じゃなくてもいいなんて言わないでよっ…!」
「っ…」
マリーの告白を聞いている間もずっと心臓は煩いままだった。
ずっとマリーと自分じゃ釣り合いがとれないって思って。
勝手に諦めて。意地を張って気付かない振りして。
マリーが自分の意思でカイルを選んだんだと分からせて欲しかった。自分の自信のなさを、覚悟の足りなさをマリーに押し付けていた。
いっそのこと意識のないうちに口付けてくれたらよかったのにとか少しでも考えてしまったさっきまでの情けない自分を本気で殴りたい。
「ちょっとは私のことを、同じ意味で好きでいてくれてる…?」
それがどれだけ卑怯なことだったのか、今目の前にいるマリーの不安に揺れる瞳を見て思い知らされた。
「ちょっと……じゃ、ない…」
「え…」
「あー…もう…」
カイルはマリーに振動がいかないように片手で頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。傷口がぴりぴりと電気が走ったように痛んだがそれ以上に胸が苦しい。愛しくて、苦しい。
降参だ。もう。
無理。こんなに愛しいのに、好きにならないとか無理。
「俺は、マリーが思ってるより、ずっとあんたのことが好きだよ」
「え…ほ」
「本当。嘘なんかつかない。むしろどうやったら惚れなかったんだ…教えてくれよ…可愛くて、溌剌として、眩しくて、度胸まであって…美人だし…俺なんかの手の届くような人間じゃないのに…住む世界が違うお姫様なのに…全然諦めらんなくて…」
「カイル…それ褒め」
「褒めてる……あんたにここまで言わせてやっと踏ん切りがつくとか…あー…本当…情けなくて嫌になる…」
ぶつぶつとぼやくように。それでもちゃんと相手に聞えるようにカイルは声をあげた。
「カイル…それって…あの…」
「…微笑んでなくても…声出して笑ってても、ぷりぷり怒ってても、似合わないドレス着てても…危なっかしいことしてても……ずっとイチコロだったよ」
「!」
赤い顔を隠すこともできず、そっと包帯だらけの腕をマリーに伸ばす。
「俺じゃあんたを幸せにできない」
「…そこは普通幸せにするって言うところじゃないの?」
「“絶対幸せにするから”って言ってくる殿方しかいなかったわ」と今までの経験とあまりに食い違うカイルの主張に怪訝な顔でマリーは呟く。
「本当にカイルだけよ、そんなこと言うの」
「ふはっ…」
理解できないようなものを見る表情は初めて見た。思わず吹き出す。同じように笑ったマリーはカイルの指先に頬を摺り寄せた。
「うちはしがない男爵で、成金で、俺も金を稼ぐことぐらいしか取り柄ないけど…」
「うちはこれ以上身分はいらないもの…経済力があるって長所じゃない?」
「デリカシーもないけどいいの…?」
「それは今からでも装備すればいいと思うわ」
「それはそれで情けないというか…」
「そう思うなら、ちゃんとカイルの答えを聞かせて」
指先で柔らかな頬をなぞるとくすぐったそうに身を竦める相手に、幸福に頭が焼き切れる思いだった。
「……好きだよ」
「うん」
「酷いこといっぱい言ってごめん…沢山泣かせてごめん…卑屈な俺を見捨てないでくれて、ありがとう」
「うん」
「俺、頑張るから…マリーが幸せになれるように……あと、お兄さん達にも認めてもらえるように…」
「うん…」
少しだけ身を起こして、マリーの頬で遊ばせていた手を上に向けるとそろりとマリーが上に上がってくる。
目線が合うところまで持ち上げれば、浮遊感にカイルの指にしがみつく様が可愛かった。
「お兄さん達は?」
「部屋の外にいると思うわ。妹の恋路を邪魔するような真似をしたら縁を切りますって言ったら快く外で待つと言ってくれたわ」
「はははっ…それ絶対快くじゃないやつだろ…」
溺愛する妹に嫌われたくない一心で、彼女の兄達はきっと部屋の外で歯噛みしているのであろう。扉の方を見遣って思わず笑う。地団太も踏んでいるかもしれない。呪いを解いてもすぐには殴られることはなさそうだと安堵して笑いを収めてマリーを見つめる。
「あのね…大好きよカイル」
「……俺も」
「………」
「……あの、さ」
「っ…はい…」
「…するけど、いい?」
「う、うん…」
目を閉じたマリーに顔を近づける。
正直サイズが違いすぎて感触とかそういうのは全然分からなかったけれど、口に触れた瞬間ぽんという空気の抜けるような音がして、体の上にずしんと重いものが降ってきてカイルは受け止めきれずそのまま背中からベッドに倒れこんだ。
「ぅ…ぐぅ…痛…っ…」
「っ…カイル、大丈夫…?」
痛みに顰めていた目を開けると眼前一杯にマリーの顔があって、良かった元に戻ったんだと思った次の瞬間にむき出しの肩が目に入って。
「あ」
「あ」
同時に気付いて間抜けな声を漏らした瞬間、理解した頭が沸騰する。
「わああああぁあ!!?」
「ひゃっ!?」
机から落ちそうになっていたマリーを見た時よりも大きい声で叫んで、急いで掛布でぐるぐる巻きにする。
「見てない!!見てないから!!」
「っ…カイル落ち着いて…」
「お願いそこどいて!?じゃないと…」
「どうしたマリー!!」
「何があったッ!?」
「おあああああ!?」
仰向けに寝た状態の上の自分の上にうつ伏せになるような恰好で乗っているマリーに悲鳴を上げたカイルは、けたたましい扉の破壊音と怒号とともに飛び込んできた彼女の兄達という更なる死亡フラグの乱立に再度叫んだ。
「貴様ああぁああ!!」
「よくも俺達の前でマリーにこんな無体をッ…!!」
「許さない!!お前だけは絶対に許さねぇええーーー!!」
部屋の外で待てをさせられていた妹命な兄達が文字通り扉を蹴破って中に飛び込んできて、マリーのあられもない姿(シーツぐるぐる巻き)に怒髪天を衝く。
「ご、誤解です!!不可抗力っ!!元に戻ったらこんなことになるなんて、いや、服が戻らないのは分かってたけど、今そこまで考えてなかった!!」
「わ、分かってただと貴様ッ!?」
「その目を抉り取ってくれる!!!」
「許さーーん!!絶対に許さーーーーん!!」
「ぎゃあああぁ!?」
胸倉を掴まれがくんがくんと揺さぶられて、元より満身創痍だった体があちこちで嫌な音を立てる。
「ちょっと、見てないで助けてよっ!!」
「婚前の乙女が肌を家族以外の殿方に見られるなんて…もう私お嫁にいけないわ…」
「き、貴様ァア!!」
「火に油を注ぐな!!」
マリーの言葉に更に激昂した兄達から本気の殺気が放たれる。
「カイル、ちゃんと責任とってね」
いや、その前に死ぬだろ。
揺さぶられて朦朧とする意識の中カイルは本気でそう思った。
結局、彼女を溺愛する兄達から重い拳を一発ずつもらい、シーツを身体に巻きつけただけの彼女に微笑まれ、色んな意味で限界を迎えたカイルは血まみれの布団の上で身じろぎも出来ないまま再び意識を飛ばした。
布団に染み込んだ血はほとんどが鼻血だったというのは一生の恥だけど、黄金虫には過ぎた幸せの報いだと思えば仕方ないのかもしれない。
カイル・バンカー
祖父の代で財を成して貴族に取り上げられた成り上がり男爵家の長男。成金と呼ばれ他の貴族からは軽んじられているが商才はある。金が全てではないがないよりはあった方がいいとは思っている。素で思ったことを素直に口に出す癖がある。無自覚に褒めちぎりマリーをよく困惑させている。最初は押し切られる形でマリーを助けたが、段々惹かれていき身分差に苦悩する。想いが通じ合った今はマリーの兄達に毎日滅茶苦茶にしごかれているが、認めてもらえるよう努力している。マリーと同じくらいしかない身長が最近の悩み。茶髪に金色の目。妹が一人いる。
ローズマリー・サンヴェリナ
サンヴェリナ公爵家の末姫。愛称はマリー。桃色の髪に緑目、ついた呼び名は妖精女王。隣国の王子に呪いをかけられて体長20cmほどの姿に変えられてしまう。性格はおっとりしているように見えて、実は肝が据わっていて割と活発的。自分の容姿は理解しているし、これ以上の権力はいらないと思っている。縮んだ自分をたまたま見つけたカイルに報酬と引き換えに庇護を求める。助けてくれたカイルと関わっていくうちに好きになる。父母と彼女を溺愛する兄が3人いる。カイルのデリカシーのなさに困惑することが多いが、そんなところがどうしてか好きなのよねと自覚しているこの頃。