番外編:エミリアの恋(後編)
「ヒースローと言えば、歴史のある伯爵家ね。確かロベルト様は嫡男で跡継ぎのはず。伯爵家の財政が苦しいという噂は本当かもしれないわね。」
私が先ほどの出来事を報告すると、ロゼッタお姉さまが親切に教えてくれた。
勉強が苦手だった私は、貴族の令嬢ならば知っている家名すらわからない。誰が嫡男とかすぐにスラスラと出てくるロゼッタお姉さまはやはりすごい。
「そうなんですね。さっきお話した通り、次回からはロベルト様が話し相手になってくれるようなので、ロゼッタお姉さまも気兼ねなく腹黒・・・んんっ、ミカエル殿下とお話して大丈夫です。」
「ありがとう。」
ロゼッタお姉さまが嬉しそうに微笑む。
「あの、ロゼッタお姉さまはミカエル殿下のことをどう思っているのでしょうか?」
「そうね、可愛い弟みたいな存在だと思っていたわ。でも、もう少しきちんと向き合ってみようと思うの。」
ロゼッタお姉さまが少し困惑しながらも照れたように微笑んだ。
あの腹黒王子、何をしてくれたんだ。
「今日何かあったのですか?」
「ええっと、愛してると言われたの。」
「はぁっ!?まだ子供が何を言っているんでしょうか!?」
「私もそう思ったわ。でもミカエル殿下の瞳がとても真剣だったから、子供の思い込みで片付けたら失礼かなと思って。・・・それに私、誰かに愛していると言われたのは初めてだったの。」
私は何だか複雑な気持ちで固まってしまった。
ロゼッタお姉さまは幼い頃からラファエルが大好きだったし、ラファエルの婚約者でもあった。だから、他の令息に愛の告白をされることなどない。
そしてロゼッタお姉さまの好きな人からの愛の告白は私が受け取ってしまったのだ。返品させて頂いたけど。
「そうですか。でしたらロゼッタお姉さまの気持ちが固まるまで何も言いません。」
「ありがとう、エミリア。」
嬉しそうなロゼッタお姉さまにギュッと抱きしめられる。ロゼッタお姉さまのいい匂いに包まれて、私は腹黒王子のことを忘れて幸せな気持ちに浸るのであった。
それから腹黒王子は頻繁に山小屋を訪れるようになった。
そうすると自然とロベルトと話す時間が長くなった。
ロベルトは私より五歳年上だった。
23歳だったら普通は既に結婚していてもおかしくない年齢である。
ロゼッタお姉さまの予想通り、ヒースロー伯爵家の財政は苦しいようだった。
ロベルトには年の離れた弟と妹がいて、弟と妹が学園を卒業するまでは近衛騎士として働くつもりらしい。
嫡男として結婚するのであれば、領地経営に携わっているのが通常である。近衛騎士として働いているため、ロベルトは独身らしい。
ロベルトはとても真面目でいい人だった。
腹黒王子の命令で私と話してくれているだけ。
それでも、私の話に普通に笑ってくれる。
それに、私がロゼッタお姉さまを守るために剣を教えて欲しいとお願いした時も、嫌な顔をせずに稽古をつけてくれた。
護身術まで教えてくれて、ロゼッタお姉さまにも教えてあげて下さいと微笑んでくれた。
領地が困窮していなければ、間違いなく結婚を望む令嬢が殺到するであろう人柄だ。
そんな人に好意を抱かないわけはない。
私はロベルトと過ごす穏やかな時間が好きだった。ロベルトも私のことを憎からず思ってくれているのだろう。
いつからだったか、腹黒王子が帰る時間になる前に優しく抱きしめてくれるようになった。それ以上の触れ合いはなかったけど、私はとても幸せだった。
腹黒王子がロゼッタお姉さまのところに通い始めて三年が経った頃。私の平穏は突然崩れることになった。
「・・・結婚?」
「ああ、来年には弟が学園を卒業する。妹はまだ在学中だが、領地のことを考えるとそろそろ領地に戻って身を固めなくてはいけないんだ。」
「では近衛騎士も?」
「そろそろ辞める。」
「そうですか・・・。」
いつかはこうなることを覚悟していたけれど、突然のことに言葉が出ない。
私の様子にロベルトも困ったような様子を見せている。
「「その・・・」」
相手はもう決まっているのかと聞こうと口を開けたら、ロベルトと言葉が重なった。
ここはただの平民の私がロベルトに先を譲る。
「すみません、お先にどうぞ。」
「ああ。その・・・相手なんだが、ポートレイト男爵家が養子として引き取った令嬢なんだ
。」
自分の元実家の家名に目の前が真っ暗になる。
あの成金親父、どうやら私を追放した後に金銭的援助を約束して落ちぶれかけている男爵家から男女の子供を養子として引き取ったらしい。
ポートレイト男爵家は爵位は低いが、お金はある。
成金親父は商才と上昇志向に溢れていた。
庶子であった私を引き取ったのも、自分で言うのもなんだが、この可愛らしい容姿を武器に高位貴族に取り入るため。
ヒースロー伯爵家は金銭的に困窮している。
但し、ロベルトは近衛騎士をしていることもあり、王家に顔が知れている。あの成金親父にとって、この上ない条件だったのだろう。
「あはは、あの人らしいと言うか・・・。」
乾いた笑いしかでない。
どんな顔をしていいかわからず、私は俯いたままだった。
「エミリア、私は君のことが好きだった。」
まさかロベルトから直接想いを伝えられることはないだろうと思っていたので、驚いてロベルトの顔を見上げる。
ロベルトは悲しい顔で微笑みながら私を見つめていた。
「最初はどんな稀代の悪女かと身構えていたが、素直なエミリアと一緒にいるのが楽しかった。」
私は思考回路が停止して、顔を赤くしたまま固まった。
ロベルトは私の様子にクスリと笑い、先を続けた。
「家督は弟に譲り、このまま近衛騎士として働けばエミリアとずっと一緒にいれるのではとも考えた。でも、弟はそれを望んでなかった。私は自分の幸せのために、家族を蔑ろにすることはできない。だから、このまま結婚するよ。」
ロベルトはまた悲しそうな顔になった。
自分のことより家族のことを優先してしまう。こういう優しいところも含めて全部、私はこの人のことが好きなのだ。
「ロベルト様らしいですね。あっ、でも一つ誤解があります。私、別にロベルト様とずっと一緒にいたいと考えたことなんてありませんから。三年もの間ずっと話し相手になってくれて楽しかったけど、それだけです。でも感謝はしているので・・・。ロベルト様の幸せを心から願っています。」
私はロベルトを抱きしめた。
貴族の令嬢ならはしたない行為だけど、私は平民だから関係ない。
少しの間ロベルトの温もりを感じて、すっと離れる。
私は精一杯の笑顔で笑った。
「どうかお元気で。」
「ああ、ありがとう。」
素直な私が好きって言ってくれたのに、私は最後の最後で嘘をついた。
本当はロベルトのことが大好きだった。でも私はその言葉を飲み込んだのだ。
嘘をつくのが苦手なので、きっと顔に出ていただろう。
ロベルトは何も言わずに、最後まで悲しそうに微笑んでいた。
ロベルトとの話が一段落したところで、ちょうど腹黒王子が山小屋から出てくる。
きっとロベルトがここに来るのは最後であろう。
最後くらいは笑顔で見送りたい。
「どうか、お幸せに!」
私は元気よく手を振って、馬車の姿が小さくなるまで見送った。
「・・・っ。」
馬車の姿が完全に見えなくなったところで、頬に温かいものが伝う。
最初の一筋が出てしまえば、後はダムが決壊したかのように止めどなく涙が溢れてきた。
ずっと一緒にいられるならいたかった。
でも、ロベルトが家を継ぐと決めた時点で私達が一緒の道を歩むことはない。
よりにもよって、自分の元実家の養子がロベルトに嫁ぐとか、神様は意地悪だ。
声を押し殺しながら泣いていると、なかなか戻らない私を心配したロゼッタお姉さまが山小屋の外へ出てきた。
「エミリア!どうしたの?大丈夫?」
ロゼッタお姉さまが心配そうに私の顔を覗きこむ。
私は泣きながら先ほどの出来事を話す。
「エミリア、我慢しないで。思いっきり泣いていいのよ。」
ロゼッタお姉さまは悲痛な顔をして私をぎゅっと抱きしめてくれた。
ロゼッタお姉さまの温かさに涙が余計に溢れてくる。
「ふっ・・・くっ。うわぁぁん。」
私は声を出して泣きじゃくった。
泣き疲れた私はその日、ロゼッタお姉さまに頭を撫でてもらいながら眠りについた。
次の日、いつもより重い瞼をこじ開けて食堂へと向かう。
フワリとミルクスープの優しい匂いに包まれる。
「おはよう。エミリア、大丈夫?」
「はい、何とか・・・。」
「やっぱり・・・。これ使って。」
「ありがとうございます。」
ロゼッタお姉さまは私の顔を見るなり、冷たいタオルを渡してくれた。
椅子に座って瞼の上にタオルを当てる。
「ねぇ、エミリア。貴女が女官になる気があるなら、私ミカエル殿下の話を受けてもいいかと思って。」
ロゼッタお姉さまの言葉に私は勢いよくタオルを外して、ロゼッタお姉さまに詰め寄った。
「私、女官になるつもりはありません!私のためにロゼッタお姉さまの幸せを捨てさせるなんてできません!」
「別にエミリアのためでは・・・。」
「いいえ、私の目は誤魔化せませんよ!」
ロゼッタお姉さまが腹黒王子に好意を持っていることは知っている。でも、それ以上に貴族社会に疲れていることも。
それなのにこのタイミングでミカエル殿下の話を受けるなんて、私のため以外ないだろう。
「ねぇ、エミリア。私は貴女にも幸せになって欲しいの。それに、私もミカエル殿下のお傍にいるのもありかなと思うし、私のことは気にしなくていいのよ?」
「ロゼッタお姉さまがミカエル殿下のことを信用しきってないことを私が気づかないとでも?殿下はこれから学園に通いますし、学園では色々な出会いがあります。ラファエル様のように殿下が学園で心変わりするかもしれないとロゼッタお姉さまが思っていることくらいお見通しです。」
「・・・エミリアには敵わないわね。」
「私、ロゼッタお姉さまと一緒に過ごすことが幸せなのです。確かにロベルトのことはショックだったけど、ロゼッタお姉さまに辛い思いをさせる方が嫌です。」
スラスラと自分の気持ちが出てきて、ああ何だと思う。
ロベルトのことは確かに好きだったけど、私がずっと傍にいたいのはロゼッタお姉さまなのだ。
ロベルトと一緒に歩む道など最初からなかった。
「エミリアは私なんかと一緒にいて本当にいいの?」
「はい!私はロゼッタお姉さまが誰よりも大好きなんです。」
私はロゼッタお姉さまに心からの笑顔を向けた。
ロゼッタお姉さまはホッとしたように微笑む。
私に男運がなかったことは撤回しよう。
ロベルトは私を愛人にしようと思えばできる立場の人間だったけれど、それをしなかった。
最後まで誠実で、いい男だった。
それに、今となっては男運はどうでもいい。
私は大好きなロゼッタお姉さまと一緒にいられるのだから。
まだ胸は痛むけど、私は真っ直ぐ前を向く。
「さて、ご飯を食べたら今日もじゃんじゃん魚を釣ってきますね!」
私は元気よく手を合わせて、ロゼッタお姉さまが作ってくれたご飯を頬張るのであった。
番外編も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
また思いついたら番外編が書けたらいいなと思います。