表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして僕はバケモノになった  作者: 夢見 裕
第三章 紅い糸
102/103

第終話 眦を決して決別を

 血のようなどろどろとした不快な液体の中を立っていた。薄暗いその空間の中で、蓮華の正面にはもう一人の蓮華が立っていた。


『惜しかったなぁ。あのまま行けばお前は僕のものになったのに』

「……何のことだ。お前は、誰だ?」

『見ての通りだ。僕はお前で、お前は僕だ。人は誰しも心の中にもう一人の自分を飼っている。お前にとって、それが僕というだけだ』

「もう一人の僕……」


 そう言うもう一人の蓮華は、あまりにも禍々しい気配を放っていた。自分にそんな二面性があるなど、簡単には信じられなかった。

 明らかに現実ではない。奇妙な夢……そう思い込もうとしても、喉に引っかかって飲み込めなかった。それは、以前にも似た経験をしたことがあったからかも知れない。


「お前の目的は何だ? 僕の支配か?」

『そうだ』


 もう一人の蓮華は隠そうともせず頷いた。


『お前の主人格を乗っ取ること。それが僕の生まれながらにして与えられた使命だ。だから安心しろ。お前の身に危害を加えるようなことはしない。むしろお前がピンチの時は助けてやるさ。お前の体は僕の体だからな』


 悪魔の微笑みのように、ニタリと口元が歪む。反対に、蓮華の視界が暗転していき、意識が遠退いていった。


『またすぐに会うことになるだろう。その時を楽しみに待っているぞ、蓮華――』




 


 水面(みなも)に浮かび上がるように意識が覚醒していった。瞼を持ち上げると、見知らぬ天井があった。まるで宮殿のように煌びやかな装飾の施された豪華な天井だった。

 ベッドはふかふかでとても心地良い。しかしどういうわけか、自分の恰好が最後に記憶している服装と違った。いつの間にか着替えられている。

 何時なのかはわからないが、テラスへと繋がる壁一面の窓からは眩しいくらいの陽光が差し込んでいる。ヘルヘイムではないことは確かなようだ。


「目が覚めたようじゃな」


 突然かけられた声に驚いて、蓮華はベッドの上で身構えた。貴族のような椅子に腰掛けたその人物は、そんな蓮華を見て「ぶわっはっは」と豪快に笑った。


「安心しろ。敵ではない」


 そう語りかける男は、後ろで一本に縛られた波打つ癖のある髪。凜々しい眉とその下に鎮座するにふさわしい強い眼光を放つ双眸。渋い口髭と顎髭。皺一つない白いシャツに黒いパンツ。指には黄金の指輪――見るからに富豪な、気品溢れる四十代前半ほどの男だった。


「気分はどうじゃ? 愉快か? んん?」

「……少し体が重いくらいで、べつに……」


 蓮華はどう接すればいいかわからず戸惑った。敵ではないと自称する相手を信じろという方が無理のある話だ。

 対して、男は優雅にティーカップに口を付け、茶を飲み始めた。


「まだ()()()()()()()直後じゃからな。それでも無理はせん方がいいぞ」


 言っている意味がわからない。蓮華は懐疑的な視線を向けた。


「ちょっと、命の恩人に向かってその目は何?」


 割って入って聞こえてきたのは気の強そうな女性の声だった。部屋に入ってきて男の隣に立ったその女性は、革のライダージャケット姿をしたグラマスな美女だった。深い蒼色をした髪が特徴的で、その下に覗くやる気のないジト目は侮蔑的に蓮華を見下していた。


「紹介しよう。わしの嫁の澄風奈月じゃ」


 紹介に与った彼女――奈月は「誰が嫁だ」と男の頭をひっぱたいた。しかも結構な力で。


「もう、つれないなぁ奈月ちゃんはー。おじさん寂しいぞ」


 言いながら男は奈月の尻を揉みしだき始めて、奈月は光の速さで男を背負い投げする。おそらく大理石と思われる床に背を打ち付けられた男は目を回して無様な姿を晒していた。


「これだから男は……! ほんっとサイテー! さすが、あの変態紳士丈一郎と兄弟なだけあるわね」


 蓮華は耳を疑った。


「丈一郎の……兄弟……?」

「おお、自己紹介がまだじゃったな」


 男は何事もなかったかのように立ち上がると、もう一度脚を組んで椅子に腰掛けた。


「わしは戸賀里(とがり)義光(よしみつ)。弟の丈一郎が迷惑かけてるようですまんな。ぶわっはっは!」

「待て……待て待て待て! 丈一郎の兄!? って、あいつは二百年以上生きるバケモノだぞ! じゃあアンタも――」

「そうじゃな、わしもそれくらい前から生きとる。まあ、わしの場合は再生に時間がかかって百年以上眠っておったけどの。なんせ、わしが死んだ時、腕一本分程度の灰しか残らんかったからなぁ。灰が少ないと復活も時間がかかるらしいんじゃ。いやぁ、危ない危ない。ぶわっはっは!」


 この愉快なおじさんの言葉を信用していいのか、蓮華は迷った。丈一郎に兄がいるなんて話は聞いていない。しかし仮にそれが事実なのだとしたら、あの丈一郎の兄弟だ。間違いなく敵なんじゃないだろうか?


「あ、そうそう。わし、お前のことを何度か助けとるんじゃぞ?」

「はあ?」


 見覚えなどなかった。こんな気品に溢れる愉快で残念なおじさんを見たら忘れるはずがない。


「ちょうどいい。この後どうせ見せるつもりじゃったしな。ちょっと外へ来い」


 義光と奈月がテラスから中庭へと出て行って、蓮華もおずおずと後を追った。窓からも見えていたが、広大な中庭には青々とした芝生が敷き詰められ、噴水まで置かれていた。個人で所有できる範疇を超えている気さえして、どこかの宮殿なんじゃないかと本気で疑うほどだった。


「驚いて攻撃するんじゃないぞ?」


 そう釘を刺して、義光は蓮華に振り返った。その体に肉が増殖し、服の上から覆っていく。


「な……あ……っ! 嘘だろ……!?」


 目を疑うしかなかった。

 義光の体を覆っていく肉はどんどん巨大化し、やがて体長は三メートルを超え、紅い甲殻を纏い、四本の腕を生やす。最後に不気味な単眼をぎょろつかせるその姿は、まさしく緋鬼そのものだった。


「これが『餓鬼化』の真の姿じゃ。見覚えあるじゃろ?」


 緋鬼の姿から義光の声がする。異様な光景だった。

 しかし、ここで始めて点と点が繋がった。今まで現われた、何故か爆破したはずの腕が復活していた緋鬼の正体――


「もしかして、今まで僕たちを助けてくれた緋鬼って……」

「そうそう。それわしじゃ」


 緩く答えると同時に義光は餓鬼化を解いて人間の姿に戻った。しぼんだ肉は灰のようなものになって霧散していった。


「弟分の危なっかしいところを見ると居ても立ってもいられなくってのう。つい手を出してもうたんじゃ」

「弟分……?」

「見ての通り、わしも緋鬼の鬼人じゃ。同じく緋鬼の鬼人のお前さんは弟みたいなもんじゃろ。ぶわっはっは!」


 餓鬼化とは何なのかを理解できていなかった蓮華には義光が緋鬼の鬼人だとは結びつかなかった。まさか存在したのか、自分以外に緋鬼の鬼人が。

 でも、以前に丈一郎は言っていた。『緋鬼が鬼人を造るのは二百年振り』だと。丈一郎の兄である彼がその『二百年前の鬼人』だというのなら、確かに当て嵌まる。


「お前にはまず、これを習得してもらう。というか、習得せざるを得んのじゃ。すでに『餓鬼化』が始まっとるからのう」

「その『餓鬼化』って何だよ……?」

「覚えてないの? アンタが気を失う前に何があったか」


 答えたのは奈月だった。


「何があったか……?」


 蓮華はゆっくりと記憶を辿る。気がついたらここで目を覚ました、その直前の記憶を。

 すぐに激しい頭痛がした。脳裏にフラッシュバックするのは、血の赤と、穂花の姿――


「そうだ……! 穂花……穂花が……!」

「あ、その子生きてるわよ」

「へ?」


 吐き気が込み上げるほど動転した矢先に、あっけらかんと奈月が言って蓮華は変な声が出た。


「アレは『偽物』。本物は丈一郎が匿ってる」

「偽物……? 丈一郎が……え……?」


 頭の中で奈月の言葉だけがぐるぐると回って認識できなかった。


「残念だけど穂花ちゃんは既に鬼人になってる。その代わり『複製(コピー)』っていう強力な鬼の力を手に入れたの。アンタが見たのは、その能力で造り出された彼女の複製。本物はちゃんと生きてるよ」

「……百歩譲ってその話が本当だとして、どうして穂花が鬼人になってるんだよ……?」

「餓鬼教に目を付けられたからよ。人質にしてアンタを(おび)き出そうってね。でも丈一郎が機転を利かせたのよ。本当は鬼の力を持たない餓鬼の呪血で鬼人にされるところだったけど、彼女を『灰鬼』に引き合わせて呪血を流し込ませた。危険な賭だったけど、成功して、彼女のコピーを餓鬼教に渡すことができた」

「どうして丈一郎がそんなことするんだよ! そもそも、アイツが餓鬼教の幹部じゃないか! 僕の家族を殺して、僕をバケモノにした張本人だぞ!」

「それは勘違いじゃ」


 義光は言った。


「丈一郎がお前の家族を手に掛けたのは事実かもしれん。だが、お前の家族はいずれにしろ殺されていた。緋鬼によってな。丈一郎はその被害を最小限に留めたに過ぎないんじゃ」

「……どういうことだよ?」

「緋鬼を含む『三色鬼』に分類されるあの三体は、人間に呪いをかけるとその人間の家族を皆殺しにする。その人間が鬼人になってもならなくてもな。わしが喰われた後も、わしの家族は――いや、わしの家族のいた町そのものが謎の大火災によって消滅しとった。丈一郎は血の繋がっとらん兄弟じゃから免れたがな。もし丈一郎がお前の家族を殺めておかなければ、お前の故郷そのものが地図から消滅しとったかもしれんのじゃ」


 義光の言葉が頭の中に落ちてこなかった。そんなこと……信じられるわけがない。


「信じられないなら今度会わせてあげるわよ、穂花ちゃんに」


 顔に出ていたのだろう。蓮華の心を読むように奈月は言った。

 もし穂花が本当に丈一郎に匿われていたのなら……それは揺るぎない証拠になるだろう。この話の全てを信じざるを得ない。


「でも、それはアンタが餓鬼化を習得してからね。じゃないと、また暴走して今度はアンタが穂花ちゃんを殺しちゃうかも知れない」


 餓鬼化……暴走……。断片的にだが、次第に思い出してきた。穂花の死を目の当たりにして、意識が途絶えた後、自分が何をしていたのか。


 ――体が別の何かに支配され、力の限り暴れていた。その時の僕の体は、まるで――餓鬼のようだった。あれが、餓鬼化――


「制御できるようになるのか、あの状態を?」

「あなた次第よ」

「制御できれば、強くなれるのか? 義光さんみたいに」


 これまで出現した緋鬼が餓鬼化した義光だとするのなら、彼は圧倒的な強さを持っている。届くのか、その次元に。


「お前次第じゃ」


 二人の答えは同じだった。


 ――つまり全て、僕次第……。


 蓮華は(まなじり)を決して、二人を見る。


「もう大切な人を守れないのは御免だ。そんな自分とは決別したい。お願いだ。僕を、鍛えてくれ――」


まだもう一話続いて、この章は終了です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ