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この電車、家に向かってません  作者: 杜田 英法
【第一章】第一試練
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助けるの?

 路線図を見上げる。池下駅だったはずのところが「第一試練」と上書きされていた。


 見知れない駅名と誰も乗っていない電車。これは夢でしかない。それ以外何も検討がつかず、近くの席に崩れ落ちた。


 片手で乱暴に前髪をいじり、目を閉じる。このまま待てば夢から覚めるという期待が僕の中にあった。


 *


 蝉は脳みそをひっかくように鳴いていた。その夏に、あいつが死んだ。夏休みの真っ只中に僕は、カーテンを閉めた暗い部屋で何も考えず、この問いを何回も何回も頭の中でリピートした。


「なんであの時、あいつが欲しがっていた言葉を言ってあげられなかったのだろう」


 *


 無駄な考え事で心が押しつぶされそうに感じる。小さな水滴が瞳から溢れ出しそうになった時、電車が大きく揺れた。僕は席のクッションを握るようにつかむ。


 揺れがようやく収まると、僕は長いため息を吐いた。ちょっとした安堵感が僕の心をそっと撫でた瞬間、電車の電気が右から左まで順々に消えていく。真っ暗になった周りは何も見えない。何もない。お尻が席に吸い込まれる感覚と、前に抱きしめている鞄の温もりしか感じない。前に誰かいる?


 声を出そうとしても口から言葉が作り出せない。鞄を思い切り抱きしめて、丸く固まる。長い間、体育座りをして目を閉じていると、瞼の奥が明るくなった。


 ゆっくりと片目を開く。少しぼやけた視界は元通りになる。また誰もいない電車に腰かけていた。僕は心臓をバクバクさせながら、周りを見渡す。


 何かがいる。


 肩が上がったまま向かい側にいる、ドロリと席に溶け込んでいるものを見つめた。液体化した肌色の塊は人間のような目と口がくっついていた。位置がずれている二つの眼球からは透明な液が流れ落ちている。


 泣いている?それは、くちゃくちゃと音を鳴らしながら口を動かしている。


 逃げようと思い、鞄を背負おうとすると、あいつのドロドロな腕が震えた。ベチャッと体の一部が床に零れ落ちながらもその腕は何かを指している。


『迷子のお知らせ』


 いつの間にか変わっていた広告版と、ドロドロ人間を交互に見た。これは迷子なのか?


 小刻みに震える手を握りしめて、向かい側の席まで歩み寄る。


「...誰かを、探しているのか


 途切れた声で問いかけた。沈黙。待ってもそれは返事を返さない。


 身動きもしないそれから今すぐにでも離れたい。


 ピコン!


 心臓が体から飛び出たと思うくらいうるさい音が後ろから響いた。


『見つかったら池下駅へ連れてきてください』


 広告版の赤く染まった文字たちは僕へ語りかけていた。まるで僕にやれと命令しているような文章。


 だけどなぜ僕がやらないといけない?僕はただ偶然に、この空間に送り込まれただけだ。前を見ても、横を見ても誰もいない。僕とこれだけだ。そう思うと背筋が冷えた。


 再びそれに目を向ける。ドロドロに変形した顔面は僕のと少し似ていた。もしかしたら、これも前は人間だったのかも。この子には親がいるのかも。帰るべき家もあるのかも。


 だけどこんな生き物は見たことも、考えたこともない。ただ単に僕を食事としか思っていないだけかもしれない。襲ってきたら?食べられたら?恐ろしい考えが僕の頭を支配した。


 *


 高校に入学したばかりの春だった。僕たちは同じ高校に入学したけれど、同じクラスにはなれなかった。


 時々廊下であいつと出くわすことがあった。あいつの手はいつもいっぱいで、話しかける暇もなかった。隣には同じくらいの荷物を両手で抱えている同級生。人を助けている時はいつも笑っていた。


 あいつはわざと自分を忙しくするやつだった。たかが生徒を助けたって何も貰えないのに。なぜいつも笑顔だったのだろう。


 不思議だな。


 *


 今になっても僕はあいつの気持ちが理解できなかった。だから僕はその子の隣に腰かけた。


「心配しないで」


 その子は少し濡れている瞳をこっちに向ける。その目は誰かに似ていた。


 僕は息を吐く。


「池下に行こう」

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