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9.切り花

 ほど強い風が頬を撫でる至って平凡な日。至って普通の惣菜屋の店員として働きを見せているつもりの最中、僕の胸の内は、不安に支配されていた。


 その不安というのは、およそ自分の未来を囲む要因に対するものではないと思う。もちろん、それもない訳ではないけれど、そんなことが霞むくらいに不安の重さは偏っていた。




 __脅し屋か。なんだか怖いなぁ。人を脅して生きてるってことだもんね。




 ずっと。脳裏にて、あの人の言葉が反響している。どんなに意識を逸らそうとしても。こうなっている理由は、察しがつく。


 怖かったんだ。僕が恋をした彼女が、僕を友達と呼んでくれた彼女が、僕の正体に気がついた時。彼女は、どんな目を向けてくれるだろうか。いくら考えるなと自分に言い聞かせても、その恐れは取り除けなかった。


「どうしたんだよ、いつになく背を丸めて」


 惣菜パンが入ったカゴを抱え店の奥から現れたルカが言う。


「怖ぇのか? カチューシャさんと再会すんのが」


「……君に隠し事は通用しないな」


「でも、来るって言ってたんだろ? 拒む理由もねぇし、出逢ったら上手く話を合わせとかねぇとな」


 ルカは、ショーケースのカバーを開け、中にパンを補充し始める。


「安心しろっつーのは無理だろうが、今は怖がるだけ無駄だぜ。俺たちの素性を警察共は一切知らねぇし、知りようがねぇ。どうやったって向こうに情報が渡ることはねぇからな」


「ああ……その通りだ。もしもカチューシャが来たら、明るい顔を取り繕うよ」


 自分を落ち着かせるために深呼吸をして、顔をあげて道路を挟んだ反対側の街並みへと目をやる。視界の端の横断歩道の向こうに立って車が通り過ぎるのを待っている人が見えた。その人を認識して、僕は空気を食んだ。


「どうした?」


 たった一瞬の異質な呼吸音に気がついたルカが、屈んだままショーケースのガラス越しに僕と同じ方向へ視線を向ける。


「おっ、噂をすればなんとやらだな」


 横断歩道の向こう側に立っていた女性__カチューシャが、僕たちを見つけて大振りに手を振った。そして、キョロキョロと見渡し車の有無を確認してから、道路を横断しこっちへと向かってくる。その挙動のひとつひとつが、なんだか可愛らしく思えてしまう。それと同時に、今まで感じていた不安がより一層肥大化した。


「頑張れよ」


 ルカに言われ、僕は頷く。やがてカチューシャは、横断歩道を渡りきり、僕たちの元へ到達した。


「おはよう。さっそく来ちゃった」


 彼女は、紙で包んだ花を胸に抱えながら、相変わらず屈託のない笑顔で接してくる。僕は、可能な限りに不安を押し殺した。


「遠かっただろうによく来たね。仕事は?」


「今日は、お休みの人に代わってもらったんだ」


 不思議と彼女の声を聞いただけで、それまで精一杯で抑え込んでいた不安が、一瞬だけ恋愛感情的な動悸に上書きされたのがわかる。眩しさを視覚ではない感覚で感じ取ったのに、目が眩んでしまいそうになった。


 ショーケースの影に隠れていたルカが屈むのを止め背を伸ばした。


「よぉカチューシャさん。コイツに会いに来たんだろ?」


「あはは、そういうことになるね」


「ちょうど客が来なくて暇してたところだぜ」


 ルカが横目で僕に視線を流す。


「クラーヴジヤ、二人で話してこいよ」


 そう言ってルカは、紙に包んだピロシキを両手にひとつずつ取り、それを僕とカチューシャに半ば強引に押し付けた。なに勝手なことを……。


「カチューシャさんよ。うちの惣菜の味、覚えていってくれよな」


「いただいちゃうね。いくらするの?」


「タダでいいぜ。今回限りの大サービスだ」


 差し出されたそれを仕方なく受け取る。するとルカは、僕の肩を叩いた。


「店は任せとけよ」


「前にも思ったことがあるけれど、さては君、こういう状況を楽しんでいるな」


「へへっ。後でまた話聞かせてくれよ。ほら、彼女を待たせんな」


 言われて、カチューシャへ目を向ける。彼女は、右手に持つ熱々のパンを息を吹いて冷まそうとしていた。






 惣菜屋のすぐ近くの遊歩道に設置されたベンチに、昨日のように二人で座っていた。だが、昨日とは違い日は暮れていないし、僕としては先日よりもいささか話しやすかった。店を出てから少し歩く間にも軽く雑談できたから。……その間でさえも、自分が脅し屋であることをほのめかす発言をしないよう気をつけていたけれど。


「……そういえば、その花は?」


 口に含み噛み締めたパンの最後の一部分を飲み込んで、いくつかの色を揃えた花の束を持つカチューシャに尋ねる。


「ああ、これはね。アネモネっていう花なんだ」


「へぇ。名前だけ聞いたことがあるよ」


「綺麗でしょ。私のお気に入りは、この桃色のアネモネ!」


 彼女は、こっちに束を向けてその花を見せつける。


「ふふっ。可愛いよね、これ」


 今目に映る彼女は……花束を抱えて微笑むカチューシャの姿は、なんというか、その全体像がまるで一枚の絵画のようだと思えた。上手く言えないが、とても可憐で美しかったんだ。


「今日は、この花をあげようと思って来たんだ」


「え?」


「特別な日でもなんでもないけど、贈り物。私、園芸好きだからさ。クラーヴジヤ君も花とかに興味持ってくれたら嬉しいなぁ……なんて」


 僕に渡すために。そう言われて……つい口元が綻んでしまう。同時に、なんだか穏やかな、形容するなら木漏れ日の中にいるような気持ちが湧き上がってくる。


「園芸か。やったことないけれど、上手くいくかな」


「アネモネは、寒さに強いから。日向に置いておけば大丈夫だよ」


 そう言って彼女は、花を差し出してくれた。


「……ありがとう」


 感謝を伝えてそれを受け取る。カチューシャは、また微笑んで、次になにか思い出したような顔を見せた。


「そうだ。花だけ渡されても困るよね」


 彼女は、肩に下げた鞄にゴソゴソと手を入れ、小さな長方形の箱を取り出す。そしてそれを開封し、中に梱包されていたものを見せてくれる。出てきたのは、白い花瓶だった。


「これも一緒に」


 花を左手に持ちながら、花瓶を右手に。


「……すまないね。色々ともらってしまったのに、なにも返せるものがない」


「あはは、いいよ。気にしないで」


 なんだか申し訳なくなってくる。カチューシャは、花瓶が入れられていた箱を鞄にしまい、座り直して空を仰ぐ。


「ねぇ。またひとつ、聞いてみたいことがあるの」


「……なんだい?」


「クラーヴジヤ君は、私と出逢ったことをどう思ってる?」


 君と出逢ったこと? なんだいその質問は。尋ねられ、僕は少しばかり思考した。考えをまとめて言い放つ。


「孤児院にいた頃もそうだったけれど、君といる時間は……まあ、正直に言うと楽しい。だから、出逢えて良かったと思ってるよ。でも……」


 忘れていた訳じゃなかった。彼女と出逢ったことを理由に存在しえた恐怖を。それをどう伝えよう。


「……その分、いつか訪れる別れが悲しい」


 少し俯いて発言した。今どんなに楽しくても、いつか別れが来る。遅かれ早かれ、それは確実だ。もし友達として関わり続けても、ずっと自分の正体を隠し通すことなんてできそうにない。


「じゃあさ」


 隣を見ると、カチューシャは変わらずにっこりとしていた。


「もっと会う時間を増やそうよ。お別れが悲しくなっても、次また会えることを楽しみにできるくらい」


 ……違う。そういうことじゃないんだ。何度会って、その全ての時間を楽しめたとしても、一緒にいるのが僕だと、最後の別れは恐らく……。


 その情景が頭に浮かんでしまう。最後は、悲しい別れになることがわかっているはず。……だというのに。もっと多くの時間をこの人と共有したいと、そう考えてしまう自分も確かにいた。……ダメだな。彼女といると、およそ賢くなれない。


「……ありがとう。君の言葉は暖かいな。そっちはどう思ってるのさ」


「出逢えて良かったって思ってるよ? そう思ってたんだなってわかるくらい、クラーヴジヤ君が孤児院を出ていった後は寂しかったから」


 寂しかった。そう思われる程、自分の存在は大きかったのだろうか。それとも、そんなのはただの思い違いで、彼女が孤児院にいた時のたったひとりの友人が自分だったからってだけなのか。計り知れはしなかった。


 カチューシャは、鞄からスマートフォンを取り出し現在時刻を確認した。


「もうすぐでバスの時間だ。贈り物も渡したし、私はおいとましようかな」


 彼女は、ベンチから立ち上がった。また、あっという間に時間が過ぎてしまった。そう憂いつつも、それをできるだけ表情には出さずに僕も腰を上げる。


「今日はごめんね。仕事中に押しかけちゃって」


「大丈夫。繁盛してる訳じゃないし。……君と話せて良かった」


「私も。それじゃあ、いい感じのところにアネモネ飾ってみてね!」


 そう言って、カチューシャは手を振って向こうへ歩き出す。僕も手を振り、彼女の背が遠く小さくなっていくのを見送った。やがて見えなくなると、それまでギュッと抑え込んでいた心拍が段々と落ち着いてくるのを感じる。深呼吸をして僕は振り返り、花と花瓶を手に惣菜屋へと歩いた。


 遊歩道を行きながら冷静になった頭で考える。カチューシャがどんなに笑顔を向けてくれたとしても、やはり自分では良い結末を迎えられないだろうな。




 __守りたいもの、見つかるといいね。




 昨日、彼女と最後に話した時に感じた、自分は不釣り合いだという感情。その正体は、そういうことだったんだと今更ながらに思う。


 守りたいもの、か……。もしも自分が得た力で彼女を守れるとしたら、それ程までに生を実感できることはないだろうな。でも、それは脅し屋として身につけた力だ。そんなものに守られたら、彼女はどう思うだろう。……嫌悪一択かな。


 色んなことを考えて、ため息を吐いてしまう。それは、惣菜屋に着いたタイミングでのことだった。やはりというか暇をしていたルカに見られて、なんだか面倒なことを言われる予感がした。


「帰ったか。クラーヴジヤ、憂鬱が顔に出てるぜ」


 なにも言わず、花と花瓶をカウンターに置く。


「さっきカチューシャさんが持ってた花じゃねぇか。いただいたんだな」


「彼女からの贈り物だ。見栄えのいいところに飾らないと」


 そう言った矢先。ルカは、なにかに気づいた様子で花瓶の中を覗いた。


「ん? なんか光らなかったか? クラーヴジヤ、覗いてみろよ」


 ルカが指さす。僕は、花瓶を深く覗いた。……その奥底で、なにかが光を反射しているのが見える。


「これは……?」


 花瓶に手を突っ込み、その小さな物体を取ろうとする。粘着性のテープでくっつけられていたのか、簡単には外れない。手に力を入れて、それを奥から引き剥がした。弾みで、その物体がカウンターテーブルにころころと転がる。物体の全貌を確認して……僕は、言葉を失ったんだ。


「これって……」


 ルカも絶句している。奥底に取りつけられていたのは……可愛らしい花瓶からはとても連想できない、盗聴器のようなものだった。






「……クラーヴジヤ」


 グローザさんが僕の名を呼ぶ。その声は、今までになく冷徹な聞こえのものだった。


「そのカチューシャという娘と関わるのは、可能な限り避けろ」


 花瓶に入っていたものが盗聴器であることを確認した後、すぐに機能停止させて保管した。他、花や花瓶自体にも仕掛けがないか調べ問題ないことを確認して、今それらは他の部屋に無造作に放置されている。


 自分は……。今は、なんにも考えられない状態だった。


 嘘だと思いたい。カチューシャが、あの穢れひとつなさそうな笑顔をする女性が贈り物として用意したものだぞ? 彼女が僕たちの情報を得るために欺こうとしたなんて、到底信じられない。


「親父、俺の考えはこうだ。昨日のクラーヴジヤとカチューシャさんの再会は偶然によるもの。であって、彼女自身が盗聴器を仕込んだ可能性は限りなく低い。彼女の周囲にいる第三者が機器を仕込んだんだろう」


 ルカが言う。そうだ。彼女ではなく、彼女の近くにいる人物の仕業に違いない。


「だろうな。だが、その第三者はどうやって俺たちを疑った? 言い換えれば、どうやって俺たちが脅し屋であることに勘づいた?」


「それは……わかんねぇけど……」


 ルカが口をつぐむ。


「俺たちの情報がカチューシャという娘を通して漏れかけているのは明らかだ。彼女にその気がなくて、脅し屋側からの情報の流出がなかったとしても、彼女とクラーヴジヤが接して発生した要因によって第三者に疑われるに至ったことは間違いない」


 ……グローザさんの言うことは、もっともだった。彼女といて発生したもの……。なにか、僕がとった行動や……彼女との会話……。きっと、そういったものを見たり聞いたりした人が、僕の正体が脅し屋なんじゃないかと勘づいたんだ。


「お前たち。もう一度聞くが、あの盗聴器の周りで脅し屋に関する情報は話していないんだな?」


「ああ。クラーヴジヤの名前が聞かれただけで済んだのは、不幸中の幸いだったぜ」


 グローザさんは、ため息をついてソファに体を預けた。


「名前が知られても、俺たちが脅し屋であることは知られていない。……今後は、なにかあってもシラを切りつつ、ダレント社長殺害の犯人の捜査だ。そして、カチューシャの周囲の人間にも探りを入れるぞ」


 ……カチューシャは、誰かに利用された。その誰かが、僕の正体を見破るために。


 さっそくだ。さっそく、得体の知れない者の手が彼女に近づいている。……それは、脅し屋である僕が彼女に接してしまったからに他ならない。


 グローザさんの言う通り、僕は彼女との関わりを断絶するべきなのだろう。自分が恋焦がれた相手との関わりを。


 ……悲しいな。でも、まだ僕たちの正体が公にバレた訳じゃない。それに、今は疑われている段階に過ぎない。また……カチューシャと同じ時間を過ごせるだろうか。もしそうなったら、彼女に迷惑がかかるだろうけど……まだ離れたくない。そんなことばかり考えてしまう。

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