エピローグ
気がつくと視界には見たこともない天井があった。
どこもかしこも真っ白で、ギルド『クォンタム』の部屋の天井とも、自室の天井とも違っている。頭上にはコンセントが何本も差し込まれ、ベッドの周りを長いカーテンが仕切っていた。
ここはどこだろう?
「いてっ……」
体を動かそうとすると、頭に痛みが走った。今まで感じたこともない頭痛だ。
ぼくはその苦痛から何とか逃れようと、ベッドの上でもがく。
すると目の前に、
「あっ、あっ……」
目に涙を浮かべた妹、リオンがいた。
「おう、リオン。なんで泣いているんだ?」
「なんで泣いているのって……全部、お兄ちゃんのせいなんだからね!」
うわっとリオンは突然、大きな声で泣きはじめた。小学6年生にもなるリオンがここまで幼い子どものように泣くのを見るのは久しぶりだった。
そしてその泣き声で気がついたのか、白衣を着た男女が慌ててぼくのところへとやって来る。
と、この段階でよくやくぼくはここが病院の一室であることに気付いた。
最初にぼくを発見したのは母だった。
大きな叫び声を上げるとともに、ぼくは自分の枕を吐瀉物まみれにし、ヘッドマウントディスプレイを装着したままベッドの上で気絶をしていた。
ぐったりとしたぼくを見た母はすぐさま救急車を呼んだ。ぼくは病院へ運ばれ、倒れた次の日の昼になってようやく意識を取り戻した。
ただ、これはぼくに限った話ではなかった。
それと似た症状が、全国にいる『リング・オブ・ファンタジア』ユーザーを襲っていた。
軽い頭痛とめまいですんだ人や、酷い頭痛がしたものの頭痛薬を飲んで難を逃れた人や、吐瀉物まみれになりながらも病院まで行かなかった人などがほとんどで、意識不明になって病院に搬送された人間はごく一部だった。
それでも「少なくとも搬送者は全国で300人」というのがお昼のニュースの内容だった。
幸いなことに、『リング・オブ・ファンタジア』の警察に対する個人情報開示がすぐに行われたため、1人暮らしのプレイヤーの安否もすぐに確認を取ることができた。そのため、この事故に対して死者は1人もいない。ぼくが目を覚ました昼までには、全員の意識が戻っていた。
そしてぼくが眠っている18時間の間に、『リング・オブ・ファンタジア』は無期限のサービス停止を行政から勧告された。しかし勧告されるまでもなく、重度なシステム障害が発生していたため、復旧の目途は立っていなかった。
マスメディアは被害状況を一通り報道しおえると、原因について語りはじめた。
原因に関しては様々なゲームクリエイターやプログラマー、そしてパソコン雑誌編集者らをゲストに呼んでいたが、ほとんどのコメントは「過去に例がない」という言葉を前置きし、憶測ばかり語られゲストごとに意見がちがい、結論らしいものは何も出なかった。
ただツイッターを含めた世論は、嘘くさいデマのような情報も巻き込んで、ヘッドマウントディスプレイの脳負担が原因だとする論調が多くを占め、ヘッドマウントディスプレイの販売自粛を要請した。そんな市民の声は、一部小売店の販売自粛アナウンスを生み出すことになった。
そこからはさらに世論とマスコミの論調がヒートアップし、次第に揚げ足取りや不謹慎論にまでに発展していった。
けれどぼくはそれ以上の情報を頭に入れる気はなかった。
それらの主張は、ぼくの今の悩みと関係がない気がしたからだ。
トラウムの街で真っ暗な闇に包まれ、気付いたらこの病室にいた。
それがぼくの今の記憶。
それ以上のものはない。
そのはずだけど、何か色々なことがあった気がして仕方がなかった。
世の中の意見の中に、その答えがあるものだとぼくは少し期待をしていた。
「――でね、里香。おばあちゃんの家で暮らすことになったんだって」
院内のロビーにスマホをもっていって、ぼくは浅野孝美と連絡を取った。
孝美は電話越しに里香が引っ越しすることを教えてくれた。
ぼくが気を失っているとき、孝美と里香は頭痛に悩まされるだけで済んでいた。
そして頭痛が治るやいなや、里香は親から離れることを決心したのだという。
理由は親からの虐待。そのこと自体には不思議と驚きはなかった。
「そっか、じゃあ転校しちゃうんだろうな」
「そうだね。遠くはないけど、他県からこっちの学校に通うのは難しいみたい」
「しかしそうなると寂しいな。『リング・オブ・ファンタジア』も再開しそうにないし……テクニカルアーティストの人が頑張ってくれればいいんだけど」
「テクニカルアーティストの誰が頑張るって?」
「うん? いや……あれ? テクニカルアーティストってなんだっけ?」
ぼくはスマホを耳にあてながら、女性看護師の姿を見る。テクニカルアーティストという言葉と看護師の白衣姿に共通するものがあるような気がしたけど、よくわからない。
「もう何言ってるのよ、コウ。それにしてもあの物静かな里香が親と決別するなんて、よくやったなって思うわ」
「このままじゃいけないって思ったのかもしれないな」
「うん、私もそう思う」
「現実逃避をせずに不条理と戦う。それが生きることなんだって里香は思って行動を起こしたのかも」
「それは飛躍しすぎてるんじゃない? ちょっと大げさっていうか……」
「そうかな? ぼくはそれぐらい大げさに考えた方がしっくりくるんだけど」
「まあ、私もそっちの方がしっくりくるんだけどね。なぜか」
「ぼくもそうだな。なぜかそう思う」
迷っていたぼくを後押しする何かの考えが、ここに入院してからずっとある。
それは孝美も同じなのかもしれない。
孝美とはそれからしばらく他愛もない話を続け、『リング・オブ・ファンタジア』が再開するまではLINEグループに『クォンタム』を立ち上げることにした。幸いにも情報通のポッチェを通じて里香を含めた『クォンタム』のメンバーは揃いつつあった。
そしてその中には『クォンタム』のメンバー以外にも、姉妹でゲームをはじめた人から、会社の営業が忙しくなかなかログインできない人から、ポッチェの親しいギルドの猫耳娘アイコンやスキンヘッドアイコンの人まで揃いつつあった。
新しい人が多すぎてよくわからないグループになったなと思いつつも、どこか不思議と懐かしい気持ちになった。
入院3日目に見たニュースでは、ヘッドマウントディスプレイを通した脳への高負荷が原因だったと発表されていた。そしてその負荷には、一時的に日常に支障のない程度の記憶の混乱を生む可能性がある、と重要そうなことも曖昧に発表された。
ただ、サーバー側のデータ送信量が一瞬にして増加したことが原因だと説明が添えられたことで、メーカー側は製品の欠陥説を否定した。それでもメーカーの株価は下がった。
記憶の混乱には少し覚えがある。妙な既視感。
ただそれ以上のことは思い出せそうになかった。
とりあえずはっきりとしたのは、メーカーの欠陥の真偽とは関係なく、ぼくの家ではしばらくヘッドマウントディスプレイ型のゲームはできそうにないことだった。
そしてぼく自身もそれには賛成で、その手のゲームから今ははなれたかった。
フォトリアルなCGと感触には飽きてきた気がしたからだ。
だからぼくは本物の感触を求めて、リハビリついでに病院の庭を散歩することにした。
頭痛どころか健康的な体に戻ったぼくにとって、この散歩は心地よかった。
手入れの行き届いた草木や、丁寧に敷石が埋め込まれた歩道は不自然なほど綺麗で、『リング・オブ・ファンタジア』にもありそうな光景だった。
だけど先へ進むと、歩道の隅にキャンディの袋や丸まったティッシュのクズが固まって落ちていた。清掃員が見過ごしたものかもしれない。
ただぼくはそのゴミをみて、ここが現実であることを感じた。
院内が綺麗すぎて気持ち悪かったとも言えた。
さらに奥へ進むと人工の小さな湖があった。
そこには車椅子に乗った青年と、車椅子の取手を握る少女がいた。
青年は脚と手をガクガクと震わせていて、落ち着きがなさそうだったけれど、そういう病気なのだろうとすぐにわかった。
ぼくはそんな彼のそばを通ろうとした。
すると、
「おい」
と声をかけられた。
振り返ると燃えるような赤い双眸が目に入った。
「お前、どこかて見たことがあるんだよな。最近、俺に対して妙に厚かましくしてこなかったか?」
青年の声はオペラの歌声のように明瞭だった。でも言葉の内容はその綺麗さに反して荒い。
「人違いじゃないでしょうか?」
「そうか……なあ、どう思う?」
青年は車椅子の取手を握る少女に聞く。
少女はおっとりとした声で答えた。
「うーんと、私も見覚えがある気がする。でもそうじゃないと言えば、そうじゃない気もする」
「はっきりしないんだな」
「でも厚かましくしていれば、普通は覚えていると思うけどね」
ふふ、と少女は笑う。その笑みは長い前髪のせいで若干隠れて見えにくい。
一通り話し終えただろうと思ったぼくは、自分の病室へ戻ろうと踵を返そうとした。
だが、「待て」と青年はぼくを呼び止めた。
「たぶんだが、お前はあのゲームの被害者か?」
ぼくは質問の意味を一考する。そしてこれは他愛もない雑談なんだと思いながら答えた。
「そうです。ゲームをやっていて頭痛で気を失って病院に運ばれましたね」
「なら俺たちと同じだ。俺たちもあのゲームの被害者なんだ。たが、1つだけ大きな違いがある。
それはだな、あの現象を起こしたのが、この俺だからさ」
まあ失敗したけどな、と青年は自嘲気味に笑った。
ぼくは意外なことにあまり動揺しなかった。この青年なら、何となくあの現象を引き起こしそうな気がした。
「成功していれば、どうなっていたんですか?」
「お前、驚かないのかよ。……まあ、いいや。
成功していればゲーム内の時間は超加速していた。つまり現実の1秒がゲームの1年になっていた。俺はゲームの中で100年ぐらい暮らして理想郷を築くつもりだった」
「それ、成功していたらぼくも100年一緒に暮らすことになっていたんですか?」
「まあな」
青年は笑った。ぼくは怒りたくなったけれど、あまり怒りは湧いてこなかった。
「ただ、ご覧の通りダメだった。みんなゲロったりのたうち回ったりしただけでおわった。情けないし、情けなさすぎるせいか俺たちが原因だと警察は突き止められていない。でもまあ、情けない結果におわったけれど妙にスッキリしたんだ」
青年の脚はさらにガタガタと揺れた。それを少女はそっと手で押さえた。動きは静まったように見えた。
「なんというか、現実は色々とクソで最低だと思っていたし、この病気も最悪だと思っている。今も理想郷への現実逃避ができるならやってやりたいと思う。だが、前からあったその気持ちと一緒に今は、生きてやるっていう気持ちが不思議と湧いているんだ。
というか俺が作ろうとしていた理想郷なんていうものは、現実に対する墓場みたいなもので、現実に抗うっていうのなら、俺は難病だろうがなんだろうが、絶対生き抜いてみせなきゃ格好がつかないんじゃないかって思い始めている。
なぜかは知らないけどな。まあ暇つぶしに見ていたテレビの誰かの言葉にでも感化されたのかもしれない。こんなことで決心が揺らぐなんて情けない話だ。なあ?」
そう呼びかけられたのはぼくじゃなく、少女の方だった。
少女はこの青年の長々とした言葉に対し、「そうだね」と短く答えた。
まるで熟年夫婦のようなコンビネーションだ。
「では、ぼくはそろそろ……」
ぼくはペコリとお辞儀をして、静かに青年たちから去ろうとした。
そのとき、
「俺の愚痴、聞いてくれてありがとう」
と青年の声が静かに聞こえた。
青年がどうしてそんなことを言ったのか不思議に思ったけれど、ぼくは改めて聞くことなくその場を去った。
途中、狭い歩道の中でラグビー選手のように肩幅が広い男とぶつかった。
けれどその男はこちらを見ることなく、車椅子に乗った青年のもとへと歩いていった。
彼らとぼくの境遇はまるで異なるけれど、彼らと『クォンタム』のメンバーは似たようなものなのだろう。
なぜだかぼくには、そう思えた。
おわりです。ご愛読ありがとうございました。
あとがきは活動報告に載せました。




