現実逃避
なにを聞いているんだとぼくは思った。
ぼくたちのことがトーラスさんにとって邪魔に見えませんか?
お礼のご馳走をいただきながら聞く質問じゃない。失礼すぎる。
だけどリッカの表情はこわばりながらも真剣だった。
そのリッカの心が通じたのだろう。
小馬鹿にしたり、怒ったりするような表情を見せることなく、トーラスは静かに言った。
「じゃあ逆に質問するけど、どうしてそう思う?」
リッカは怯える小動物のように、ぴくりと体を震わせた。
しかし一呼吸を置いてから口を開いた。
「今の状況はトーラスさんにとって理想的だと思うからです。外出はもちろん、風呂に入る必要もトイレに行く必要も、もうないんです。それにサントゥスのバグも直りました。
私たちがこれからすることは、トーラスさんにとって余計なことでしかないと思うんです」
しんと静かになった。
「なるほどな。そして質問の意図もわかった。
俺の心境はこのフリーズ現象を起こした犯人に近いところにありそうだから、俺に質問をすれば何かわかるかもしれない。そう思ったんだろ?」
「あ……」
リッカはバツが悪そうに、下を向いた。食事にしか興味がなかったアイリも、異様な空気を察したのか手を止めてリッカの顔をじっと見た。
ただトーラスは、その空気の悪さとは無縁のように、今度は笑みを浮かべた。
「ただ、申し訳ないが俺とその犯人は意外と近くねえな。嬢ちゃんは肝心なところで勘違いをしている」
「勘違い、ですか……」
「ああ。俺は引きこもりの廃人で、現実の風呂とか食事とかは手間だと思ってる。正直、うんざりする時だってある。そこは嬢ちゃんの想像通りだ。
ただ、だからといって現実との接点がなければいいなんて思ったことは、これっぽっちもないよ。この部屋を見渡せばある程度想像できると思うんだがな」
この痛部屋を見れば何かがわかる?
そうとは誰も思えなかったのか、沈黙は続いた。
「まあ、わかりにくいか。言ってしまうとだな、現実逃避はしているが、俺の逃避先はここに限っているわけじゃねえってことさ。今だってアニメは見たいし、配送中のフィギュアは届くのが楽しみだし、それにRMTでもっと稼ぎたい。この仮想現実じゃ、そういう欲求までは満たしてくれないだろ?
それに俺は他人を大勢巻き込んで自分だけ楽になりたい、なんていうクズ人間にはなりたくねえからな。そんなやつの悪事に万単位の人間が巻き込まれてるんだろ? そんなのは正気じゃねえ。そんなやつの考えはわからんさ」
トーラスはフッと小さく笑い、グラスに入っていたワインを一気に飲み干す。
そして笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「つまりだ、嬢ちゃん。これだけはアドバイスする。いずれ対峙するかもしれない敵は、相当厄介だということを覚悟しておかなくちゃいけねえ。ベルクさんたちもだ」
「心得ていますよ」
「それ、ホントに?」
ベルクの堂々とした言葉に、フィオナがすかさずつっこんだ。
フィオナはこの部屋に来てからずっと不機嫌で、今の言葉も小馬鹿にしたような感じだった。
「ええ、本当ですよ」
ベルクは表情1つ変えず、そして挑発にものらずに食事に再び手をつけた。
フィオナの舌打ちが小さく聞こえた。
ぼくも言葉にはしなくても、フィオナと同意見だった。
ぼくたちでは想像もできないクズ人間。そんなやつと対峙するかもしれない。
心得ていますよ、なんて堂々と発言できる勇気はなかった。
だからベルクの勇気はただの蛮勇のように見えた。殴られたところで痛くはないとか、そんなことを考えているのかもしれない。
事実、殴られても痛くはない。それはここが仮想現実だからだ。
でも言葉の暴力はどうだろう。もしくはプレッシャー。そういったものは直接的でなくても、苦しみを伴うんじゃないだろうか。考えがわからない人間ほど、相手に与える苦しみは鋭利な刃物のようだ。
ぼくにはベルクがその考えに至っていないとは思えなかった。
そこで改めてぼくは、ベルクが何者かを考える。
情報をぼくたちに与え、旅の経路を決め、トーラスと連絡を取り、対峙する相手のことを心得ているベルクのことを。
ぼくらが知らない、そして知るべきことを隠しているんじゃないか?
ぼくらはメイドたちが次々ともってくる料理を平らげていった。
おいしい料理を口にすることが久しぶりだったから、はしが止まることはなかった。
そもそも満腹になることがなかった。このゲームの料理があくまで回復アイテムであり、旨さはオマケである以上、そもそも満腹になることはない。その上、ブラックアウト以降は生理的な症状から完全に切り離されていたので、ますますはしは止まりそうになかった。
なのでアイリの「飽きた」という一言を聞くまで、ぼくらは止まれなかった。
「結構食べたな、お前ら」
「すみません……」
自分の子どもっぽさも恥じて、平謝りをした。
「いや、結構結構。こうして料理をふるまえる機会はそうなかったから、こっちも満足したよ。ところでお前ら、これからどこへ行くんだ?」
「次の目的地は決まっていませんが、最終的にはアルビオンに行こうかと思っています」
「そうか、アルビオンか。ポニーに乗ったとしても遠いな。飛行船はバグで止まったままなんだろ?」
「止まっていますね。バグが直ったトラウムですら、飛行船の便はありませんでしたし……」
飛行船は主要都市を結ぶ空の交通手段だ。だけどバグで誰も乗ることはできなかった。
おそらくこのゲームのバグをすべて直すまで動かないのだろう。
しかし、ぼくらはアルビオンに直行する必要はない。
「アルビオンの道中の街に、ここ、サントゥスと同じようなバグがまだあると思うんです。そこにいる街や人たちをぼくらバグラーは救わなくちゃいけない。すべての街に空港があるわけではないので、ポニーでよかったと思います」
「そうか、わかった。しかし長い旅路になりそうだな。これでも持っていけ」
そう言ってトーラスが渡してきたのは、アイテム袋だった。麻布でできたシンプルな袋だけど、このゲームではこの中にアイテムであれば何でも入る。
だから、一見して何が入っているかわからない。
アイテム袋の中身を触れることなく、調べてみた。
すると大量のグラタンのアイコンが目の前のウィンドウに表示された。
「大量の料理を入れてある。長い旅路に回復アイテムは何気に必要だろう?」
「こんなに……いいんですか?」
回復アイテムは貴重だ。高級料理になれば『おいしい』という付加価値がつくので、市場価格も高くなる。そんなアイテムをトーラスは大量にくれるというのだ。
「いいよいいよ。その代わり、このバグをしっかり直してくれよ」
「は、はい。わかりました! ありがとうございます」
ぼくは頭を下げた。感謝の気持ちは、もちろんこもっていた。
あれだけトーラスの趣味を邪険にしていたフィオナも、そしてアサノたちもみんな頭を下げた。
トラウムの街を出たのは、いつだったか。
正確な日数は最早わからなくなってしまっていた。
たぶんそれはぼくだけじゃなく、ほかのみんなもそうだったはずだ。
現実世界でいうところの2週間ぐらいまでは辛抱強く数えていた。しかしその先は数えなかった。面倒になったといえばそうだし、数え忘れることが多くなったというのも正しかった。
しかし日数がわからなくなった1番の理由は、現実世界についてだんだんと忘れてしまっていたことだ。
前までは、現実世界と仮想現実の感覚の違いを、頭で理解することができた。
しかし今はどうか。
現実世界なんていうものは元々存在せず、この『リング・オブ・ファンタジア』こそ現実なんじゃないかと思う瞬間が、度々襲いかかってきていた。
この環境に、幸か不幸か慣れつつあった。
もしぼくが1人でこの『テラ・メリタ』の大地を歩いていたのなら、正気ではいられなかったはずだ。
リッカたちに感謝しなければいけない。
しかしもう、そうくよくよと悩む必要はなさそうだった。
ぼくらは数々のバグ・ノートリアスを倒して、アルビオンの前までやってきた。
いまはアルビオンのまえに広がる雪原にいる。
「いよいよ、アルビオンね」
アサノの吐く息は白く、風が吹くたびに粉雪が舞った。
寒く見えるのが当たり前の感覚だろう。しかしぼくらは別に寒さを感じてはいなかった。
熱くもなく、寒くもない。それがこのゲームの設定された体感温度だ。だからトラウムを出てから装備は変わることはなかった。
ぼくは相変わらず戦士然をしたジャーキンを着ていた。
「アルビオンって大きいのー?」
アイリがお姉ちゃん、フィオナに聞く。
「大きいよ、めちゃくちゃ。電車も走ってる」
「そうなんだーへー。私、電車に乗りたい!」
「いいよ、乗せてあげる。ただし、動いていればだけどね」
電車が動いているどころか、街すらちゃんと機能しているかどうかがよくわからなかった。
ベルクから聞かされていたのは、「バグったままだ」という情報だけだった。
ポッチェ以上の情報通であるはずのベルクが、どうして大国であるアルビオンの情報に疎いのか、ぼくにはわからなかった。
ただチャットでたまに連絡を取り合うポッチェもわかっていなかったから、仕方がないのかもしれない。
「ねえ、ベルク。アルビオンってすごいバグラーがいるんだよね。そいつとは会わないの?」
なれなれしくアサノが言った。
仲良くなったようには見えなかったけれど、いつの間にかアサノとベルクは会話を交わすようになっていた。
「できれば会ってみたいのですが、どうでしょうね」
「会えないの? もしかしてアルビオンのバグ・ノートリアスにやられちゃってる?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
ベルクにしては珍しく、言葉が尻すぼみになった。
戸惑っているように見える。
アサノの言うすごいバグラーは、1万HPを超えるバグラーのことだ。
そんなプレイヤーがやられるなんてことは、滅多にないはずだ。
「アルビオンにいるバグラーは……あっ、ちょっと待ってください。新しい情報が入ったみたいです」
ニュースキャスターが緊急速報の原稿を受け取ったときのような口調だ。
「どうしたんだ?」
ぼくは尋ねる。しかしベルクは答えない。
ただ、顔がだんだんと険しくなっていくのがわかった。
ぼくらはベルクのチャットがおわるのを待った。
誰とチャットをしているのかはわからない。チャットの交信時間が異様に長く、顔が険しくなっていく様から推測するだけで、楽しい話をしているようには見えなかった。
しばらくすると、ベルクは深呼吸をして、ぼくら全員を見た。
「みなさん、アルビオン入りは中止です。ほかの都市へ向かってください」




