都合のいい話
ぼくは軽いめまいに襲われた。
20週間も現実世界に戻れないとなると、ぼくの体はどうなる?
トイレに行けないからベッドが汚れる、というだけではたぶん済まされない。
それに、どうしてこんな猛者たちの集団がぼくらのバグ・ノートリアスを狙うのか。
ここにいるフィオナが情報を盗み聞きしていたことはわかっていたけれど、それでも「盗まれた」という感情は湧き上がってきた。
やはりあと4回、攻撃しておくべきだったのか?
しかしその悩みとは関係なく、猛者たちはバグ・ノートリアスへ向けて魔法を唱えはじめた。
「永遠の地獄よりいでよ……召喚、クロノス!」
その瞬間、空は暗雲に覆われ、宙空に裂け目が現れた。
別時空へと通じていそうな謎の裂け目から、大小様々な歯車を複雑に絡ませてできた人型の魔物・クロノスが飛び出してきた。
魔物といっても召喚獣。それもS級、つまり最強クラスの召喚獣だった。
トラウム平原で出すような召喚獣では、もちろんない。ラスボスのダンジョンが相応しいような召喚獣だ。
「すべてを灰燼に還せ……イグニス・マグナ!」
「大いなる氷河を作りし息吹よ目覚めん……グラキエス・マグナ!」
クロノスが召喚されると同時に、今度は2人の魔法使いは詠唱をおえた。
偉大なる最強クラスの魔法、マグナ系の中の炎属性魔法と氷属性魔法が同時に発動した。
炎と氷の魔法は相殺されることなく、瞬時にバグ・ノートリアスの体を巨大な炎と氷の嵐の中へと包み込んだ。
そこにクロノスが重力魔法を放ち、空間を歪めた。
炎と氷に包まれたバグ・ノートリアスの像は関節がバラバラになっているように見える。
「このゲームって、こんな魔法もあるのね……」
緊張感なく言ったのはアサノだった。
さっきまで必死に逃げようとしていたことを忘れているようだ。
ただ、それはぼくも、そしてほかのみんなも同じだった。
見たこともない光景に圧倒されて、直前に考えていたことなんてどうでもよくなっていた。
最強クラスの召喚獣と最強クラスの魔法による光の明滅は、近くで見る巨大な花火のように美しかった。
しかもその花火には、多くのプレイヤーの憧れでもある強さも含まれている。
圧倒され、足を止めてしまっても仕方がない。
ただ、そんな魔法の弾雨を浴びせられてもバグ・ノートリアスは倒れていなかった。
しかも驚くことに、HPはまったく減っていない。
力999のぼくよりはるかにダメージを食らわせても、おかしくないはずなのに。
「なんだこのノートリアス、魔法耐性100%か? 魔法が効かないなら俺たちで倒すしかねえな!」
それが合図だったのか、長身イケメンプレーヤーたちはテレビの特撮もののように一列に並び、豪奢な大剣の切っ先を一斉にバグ・ノートリアスへ向けた。
「食らえバケモノ。俺たち5人による究極奥義、フィフス・サークル・スラッシャー!」
金と銀と宝石で彩られたプレートメイルをつけた戦士たちは、大剣の切っ先を先頭にしながら、1つの巨大な光の塊になってバグ・ノートリアスのもとへと飛んでいった。
そして爆風の煙と、斬撃による光が、バグ・ノートリアスを包み込んだ。
この技もまた召喚獣・クロノス同様、ラスボスのダンジョンで使うような高レベルプレーヤー向けの技だった。
それも戦士5人専用の技となれば、もはや都市伝説級の技だ。
「なんのイベントが始まったんだ?」
ぼくの隣に知らない男性プレイヤーがやってきて、のんきそうにつぶやいた。
気が付けば、ぼくらの周りにはいつの間にか野次馬が集まっていた。
「この人だかりはまずいわね。ログアウトする場面をみんなに見られるわ」
野次馬たちが興奮していく中、フィオナがぼくに言った。
「バグ・ノートリアス争奪戦がヒートアップすると思っているのか?」
「そうよ。PKだらけの奪い合いがはじまるかもしれないわ。そんなの起こったら、私たちは少なくとも勝ち目がないわよ」
「確かにここでログアウトできたら勝ち目がないな。でも、ぼくはそうならないと思う」
「どうして?」
「まだHPが削られていないからさ」
「え、ホント?」
バグ・ノートリアスのHPは、戦士5人専用の技が発動した今も変わってはいなかった。
それに、あれだけ威力のある攻撃を受けていても、バグ・ノートリアスがひるむことはなかった。
「くそ、こいつ全然ダメージ食らわないぞ。どうなっているんだ?」
最初は余裕があったイケメンプレイヤーの顔にも、焦りがではじめていた。
そしてついに、「42」の顔から牙が見えた。
ポッチェをフリーズさせた、あの特殊技だ。
ぼくの脳裏に、オブジェと化した無残なポッチェの姿が浮かびあがる。
「お前ら、その攻撃を受けちゃダメだ。逃げろっ!」
しかし『リング・オブ・ファンタジア』の猛者たちは決して逃げることはしなかった。
そして次々と噛みつかれ、やはりポッチェと同じように体が固まっていった。
それでもぼくは何度も「逃げろ」と叫び続けた。
だけど誰もぼくの言葉に耳をかそうとしなかった。
もはや無策で、力を過信しているようにしか見えなかった。
今までの彼らにとって、きっと倒せない存在なんていなかったんだろう。 だから今回のバグ・ノートリアスも倒せると考えていたに違いない。
しかしここは、見えているすべてが正しいとは限らないバグった世界だ。
「ポッチェちゃんみたいに、みんな固まっていっちゃう……」
リッカは眼の前で起こる惨事に、手で目を覆った。
さっきまで盛り上がっていた野次馬たちは一転し慌てはじめ、いそいで街へと引き返しはじめていた。
「くそっ、誰だよ。倒せたらログアウトできるなんていう情報を持ってきたやつはっ!」
ぼくのそばまで逃げてきてそう独りごとを言ったのは、クロノスを召喚した召喚士だった。
周囲にクロノスの姿は見えなかった。
もしかしたらバグ・ノートリアスの特殊技にやられたのかもしれない。
「あんなの、倒したやつがいるんですか?」
そばにいたので、それとなく聞いてみた。
すると召喚士は怒りでわなわな震えながらも、丁寧に答えてくれた。
「知らないよ、俺たちのギルドは誰もログアウトなんてしてないからな。あんなの出会うのもはじめてだし……くそっ、うちのリーダーは悪質なデマをつかんだようだ。
そもそもよく考えてみれば、そんな都合のいい話なんて、あるはずがないよな?」
召喚士はぼくのほうを見て同意を求めているようだったので、「そうですね」と軽く答えた。
ぼくが答えると、召喚士は納得しながらも、失意と後悔の念があったのか、複雑な面持ちのままその場を去っていった。
いま思い出してみるとぼくらは最初、ログアウトの話を疑っていた。厳密に言えば、最初に疑いを口にしたのはポッチェで、ぼくはその話に乗っかっていた。
ただ、その時のポッチェはバグ・ノートリアスの存在も疑っていた。しかしバグ・ノートリアスは実際にいた。
だからなし崩しのように、ポッチェの意見を全否定してログアウトの話まで信じてしまっていた。
「ログアウトしないなんて……私、どうすればいいのよ。ログアウトできないんじゃ、もう絶望しかないわよ」
フィオナはうつむき、声を震わせて言った。
しかしぼくは、絶望することなく、落ち込むフィオナを励ますように言う。
「でも、ぼくらはあいつを倒さなくちゃならない」
「どうしてよ? ログアウトできないのよ」
「まだログアウトができないと決まったわけじゃない」
バグ・ノートリアスを実際に倒せばどうなるかは、まだ誰にもわかっていない。
「ログアウトしない可能性がとても大きくなっただけだ」
「それが絶望的だって言ってるの!」
フィオナが叫び、ぼくは面を食らったが、落ち着いて話を続けた。
「ちょっと落ち着いて聞いてくれ。ほかにも倒さなくちゃならない理由はある。2つ目に、ぼくらはポッチェをあのまま放置しておいてもいいのかっていうことだ。少なくとも、ぼくらは仇を取るべきじゃないのか? それに3つ目の理由、これが1番重要だ。
バグ・ノートリアスを倒せるのは、おそらくこの場にぼくとアサノとフィオナしかいない」
「私も!?」
会話に参加せず、戦闘を見ていただけだったアサノが、変に高い声をあげた。
「この場に……私たち3人だけ?」
「そうだ」
ぼくとフィオナは前を見る。
召喚士は逃げ去ったし、フリーズしたプレイヤーが何人もいたけれど、戦っているプレイヤーはまだいた。
そしてぼくとフィオナはうしろを見る。
そこにはさっきまで野次馬と化していたプレイヤーたちが、ひきつらせた顔をしながら突っ立っていた。職業もレベルも、様々に見える。
それだけ人がいても、ぼくはあのバグ・ノートリアスと戦えるのは3人しかいないと断言する。
理由はもちろん、1つしかなかった。
次回も来週木曜更新です。次々回から週2回更新に戻れるよう頑張ります。




