バグ・ノートリアス
これほど異様という言葉が似合うものも、なかなかないとぼくは思った。
だからぼくはこいつを、モンスターと呼んでいいのかどうかわからなかった。
形だけ見ればヒグマのように大きく、胴があり、顔があり、四脚で立っている生き物には見えた。
しかしそれはあくまで勝手に、形を見てぼくが想像しているだけだ。
フィオナの巨大なレイピアの実体が小さかったことと同じように、見えている形がそのままの役割を果たすとは限らない。
だけど異様であることは間違いなさそうだった。
胴に見える部分は、直方体に切り取られたレンガ造りの建物の一部に見えた。その証拠にガラスと木枠で出来た窓が、レンガの中にしっかり埋め込まれている。
そんな胴を見るだけでも、生き物とは到底呼べそうになかったけれど、ほかの部分の異様さに比べれば随分とマシだった。
胴から地面へ向けて生えている脚なんかは人間の形をしていたからだ。
歳を取った男女、若い男女の計4人がピンと背筋を伸ばし、両手を腰にあてて無表情で脚の役割を果たしていた。4人とも、簡素な麻でできた服を着こなしているあたり、プレイヤーではなくNPCらしさがあった。そんな彼らの苦しみのない無表情は、脚である運命を受け入れている気さえした。
しかし一番特異なビジュアルをしていたのは、人間でできた脚ではなく、この生き物の顔だった。
粗い画素数で作り上げられた数字「42」が、カラフルな色彩で平面な画像として表示され、胴から生えた首の先、顔の位置に貼りつけられていた。
数字の意味はわからなかった。
そもそも平面な画像がモデルに貼りついていること自体が意味不明だった。
フォトリアルなゲームの中で、それは絶対にないビジュアルだった。薄い紙であっても、このゲームではその薄さを表現しているので二次元という表現がそもそもない。なのに、これの顔に関しては厚みがまったく存在しなかった。
そんな異様な塊が、ぼくの目の前にいた。
「なによ、これ……」
謎の生き物の登場に固まっていたぼくたちの中で、やっとアサノが口を開いた。
「42の数字に、人間でできた脚……間違いないわ。これがギルドの連中の言ってたバグ・ノートリアスよ。ほら、ちゃんと実在したでしょ?」
フィオナは得意げに言った。
謎の生き物からは虹色の光の細線が飛び出し、所々にノイズが走っていた。
それはぼくらバグラーの体に現れたバグと同じ症状だった。
そしてバグラーの症状を知らないフィオナが、この生き物をバグ・ノートリアスだと言う。
このことから、この生き物がバグ・ノートリアスだと考えてもよさそうだった。
「話によると、こいつを倒したやつがログアウトできるんだよな?」
ぼくはフィオナに尋ねた。
「そうよ、倒した1人だけがログアウトできるの。私はあなたたちに迷惑をかけたから、戦いには加わるけれど、倒さず譲るわ」
「ありがとう。でもあまり余裕のある戦い方はしてられそうにないな……」
ぼくは「42」と書かれた奇妙な顔に視線を合わせた。
その時、バグ・ノートリアスはぼくらをじっと見つめ、何かアクションを起こそうとしていた。
「全員、戦闘の準備をした方がいい。ちなみにフィオナたちの職業は?」
「私は魔法剣士、アイリはヒーラーよ」
ひざ下まであるコートを羽織り、レイピアより弱い細身の剣・エペを構えるフィオナの職業が、サポート魔法と物理攻撃を得意とする魔法剣士というのは想像通りの職業だった。
コートを羽織り剣をもつ職業というのは、魔法剣士以外にはあまり見かけない。
「あなたたちは?」
と、フィオナが聞いた。
「ぼくは戦士。ジャンプができるアサノは武闘家。うしろにいる杖を持った女の子はリッカで魔法使い。あそこにいるポッチェっていう幼女は盗賊」
「攻撃重視パーティーなのね。私はてっきり、あの小さい女の子が回復役かと思ったわ。見かけによらないのね」
「見かけ通りだったためしがない、不思議な幼女さ」
ここで年齢を追求しないのがゲームの鉄則だ。特にポッチェの年齢を気にしてはいけない。
ともかく、得体の知れないバグ・ノートリアスが動きはじめたので、前衛の防御役を担うぼくは感覚コマンドで所持アイテムから盾・バックラーを呼び出して装着し、バグ・ノートリアスの注意を引くため口笛を吹いた。
奇妙な「42」の顔をもつ生き物は、人間でできた脚をぶつけてきた。
しかしバックラーは軽快な音を立てて、その攻撃をはじいた。
ぼくのHPはほとんど削られなかった。
バグ・ノートリアスとはいえ攻撃力は普通だった。
攻撃力が異常であれば、即座に退散する必要があったけれど、そこまで警戒する必要もなかった。
「攻撃力は心配しなくても普通だぞ」
「わかった。じゃあ先制攻撃は私がいくぞ!」
眉間にしわを寄せたポッチェが、小さな曲刀・シミターを構えて懐に入った。
胴にある窓にはガラスがあった。ポッチェにとってはそこがバグ・ノートリアスの弱点に見えたのだろう。
ポッチェのシミターはその窓に突き立てられる。
しかし、ガラスには一切ヒビが入らない。
「攻撃が入らん! HPが削れないわい!」
そう言って、ポッチェは相手からの一撃を食らうまえに後退した。
ぼくは感覚コマンドを使って、バグ・ノートリアスのHPを見る。
感覚コマンドでHPを見ても正確な数値まではわからない。しかし、おおよその割合ぐらいはHPバーの増減を見るだけでも明らかだった。
バーはすべて緑色になっている。
確かにポッチェの言う通り、HPは削られていなかった。
「今度は私が攻撃するわね!」
そう言ったのはアサノだった。
アサノは鉄でできた獣のような爪・クロウを両手に装着し、敵に向かった。
「それにしても、こいつ……きもちわるっ」
と言いつつもアサノは、機敏な判断で相手の突進攻撃をかわし、脚の一本をクロウの深爪で刻み込んだ。
ポン、とパソコンでよく聞く電子音が鳴り響いて、バグ・ノートリアスは「42」の顔をぼくらに向けながら後退した。
「今の音、なに? というか感触あんまりなかったんだけど、攻撃あたったのかしら?」
「私と違って、当たったっぽいぞ。ちゃんとHPバーは削れておる」
ポッチェが言うように、HPバーは確かにわずかだけど削れていた。
刻み込まれた脚の傷も、ゲームだから血は流れていないものの、赤い光で示されている。
「ホントだ。……でもあまり削れてないわね」
「一応、ノートリアス・モンスターという位置づけだからじゃろうな」
それでも、力が999もあるぼくが一撃を食らわせれば、一気にHPをゼロにできる自信はあった。
だけどぼくはまだパーティーの守りに専念する。
力が999もあるのだから、パーティーの人数がログアウトで少なくなってからでも、バグ・ノートリアスと戦うことはできるはずだ。
それに、そろそろ特殊な技がやってきてもおかしくなかった。
その技はなるべく注意を引きつけてパーティーを守りたい。
「相手の動きは鈍いっぽいし、攻撃力も普通。一気に畳みかければ勝機はつかめるんじゃない?」
今度はフィオナが片手剣・エペを構え、切っ先をバグ・ノートリアスに向けた。
「いや、油断は禁物だと思う。どんな技を持っているのかわからないし……」
ぼくはそう答えた。
「じゃが攻撃パターンや攻撃力も普通じゃろ? だったらいまのうちに一気に畳みかけるんじゃ。技を出させる前に倒すのも、対ノートリアス・モンスター戦の基本じゃろう」
「それはそうだけど……」
フィオナの士気を向上させようと、ポッチェがその小さな身体でフィオナを応援をした。
ぼくはその行為に、嫌な予感がした。
確証はないから言葉にはできないけれど、平面で奇妙な「42」の顔を持つバグ・ノートリアスが普通の戦い方で勝てるとは思えなかった。
いまの所は普通でも、こいつは色々と普通じゃないはずだ。
ログアウトが特典という特殊性があるならば、何かが特殊なんだろう。
たとえば、技とか。
ぼくはそう考え、慎重に動きたいと思った。
だけど、ポッチェとフィオナは結託して話をドンドン先へと進めていった。
「フィオナじゃったかな……強化魔法が使えるんじゃろ。全員に攻撃力アップの魔法を唱えてもらってもいいか?」
「いいわよ……フォルテ・インゲルス!」
ブォンと重々しい効果音が鳴り、ぼくらの体を赤色のオーラが包み込んだ。
強化魔法が発動した証だ。
フォルテ・インゲルスはパーティー全体の攻撃力を強化する効果があった。
「よし、これで私の攻撃も通るじゃろう。見ておれっ!」
意気揚々とポッチェは飛び出していった。
ノーダメージだったのが悔しかったのか、周りのことは気にせず、詠唱をおえたばかりのフィオナを置いて飛び出していった。
「ちょっと、もしかしてポッチェが先にログアウトするつもり? そういうのは話し合って決めましょうよ」
と言うアサノもまた敵へと向かっていく。
「全員で攻撃した方が効率はいいわよ!」
その2人を追いかけるようにしてフィオナが地面を蹴って走り出した。
「みんな待って。私も魔法の詠唱をするから……」
後方にいたリッカも、その場にとどまりながら強力な魔法の詠唱をはじめた。
パーティーの中で、攻撃を仕掛けようとしないのは、バックラーを構えているぼくと、後方にいて回復に専念しているヒーラーのアイリだけだった。
魔法で強化された4人による一斉攻撃を止めるものはなかった。
もちろん、ぼくも不安を覚えながらも止めようとは思わなかった。
その不安より、上手くいけば倒すことができて、誰かがログアウトできるようになるんじゃないかと期待したくなっていたからだ。
この場の戦意は、そのぐらいの勢いがあった。
成功だけが視野に入っている、楽観的な勢いだ。
ぼくもいつものゲームのクセで、その勢いに飲み込まれてしまっていた。
だけど、このバグ・ノートリアスは、4人の攻撃がそれぞれ届く直前に、今までにない動きを見せた。
脚をピンと伸ばし、前屈姿勢になる。
そして、
『トマリナヨー』
と、女性の機械音声のような声を発した。
「えっ?」
全員がそう言葉を漏らして、一瞬だけ立ち止まった。
喋るモンスターと出会ったことがない分、その驚きは混乱にも満ちていた。
そして立ち止まった4人のなかで、ポッチェは一番バグ・ノートリアスに近いところで立ち止まっていた。
「42」の顔が、ポッチェの目の前にあった。
「ポッチェ、避けろ!」
直感的にぼくは叫んだ。
しかし、ぼくの叫びや、ポッチェの動きは、一歩遅かった。
バグ・ノートリアスの平面な「42」の顔は、半分に割れた。そして中からは牙と舌が見えた。
粗い「42」の数字の中には、気持ちの悪いぐらい造形にこった口腔が中に広がっていた。
そしてその口腔の中にある鋭い牙に、ポッチェの身体は捕えられた。
「え……? あっと、いかんな」
他人事のように静かにポッチェは言う。
食べられたわけではなく、ポッチェは牙で噛みつかれただけだった。
しかし赤く光る傷跡は、体の全身を覆っていた。
誰が見ても、大ダメージだとわかる、そんな傷だ。
「おぉ、すごいな。さすがはバグ・ノートリアスじゃ。普通の攻撃は弱くとも、技は一撃必殺だったようじゃな。HPバーはおそらくゼロになるじゃr――」
ポッチェの言葉は最後まで続かなかった。
喋りおえるまでに、HPバーがゼロになった。
しかしぼくは悲嘆に暮れることなく、感覚コマンドでチャットモードを起動する。
死んだキャラクターとの会話は、チャットモードを使えば続けられる。
現実の死のように、「死人に口なし」にはならない。
しかし、ポッチェからチャットはやってこないし、ぼくからのチャットにも反応はなかった。
それどこか、死んだはずのポッチェは地面に突っ伏すどころか、いつまで経ってもオブジェのように固まったままだった。
ぼくはそんなポッチェを見て、つい1時間前のことを思い出した。
噴水広場でオブジェのように固まるアサノ。
突然やってきたブラックアウト。
「ねえ、コウ。もしかしてバグ・モンスターにやられるとめちゃくちゃまずいんじゃない……?」
アサノの震える声が聞こえてきた。
その時のアサノの表情は、今まで見たこともないような、絶望の色を宿していた。




