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目を覚ましたリリィはゆっくりと上体を起こした。薄青の髪の毛がさらりと垂れる。
状況がつかめていないのか、リリィはぼうっとした様子で辺りを見回している。
私は急いで姿勢を正し、リリィに声をかけた。
「お、おはよう。調子はどう?」
「んっ…………はれ?」
リリィはあちこちに視線を彷徨わせた後、最終的に私を見た。目がぱちくりと何度か瞬いた。
その視線、というよりもリリィ自身がまだあやふやな様だったので―――私は何がリリィの身に起きたのかをかいつまんで説明する事とした。
「―――というわけで、気絶したリリィさんをここまで運んできの」
「…………あぁ、そうですか…………」
事の顛末を知ったリリィはようやっと覚醒したのか、顔を両手で隠してうつむきながら「はずかしぃ……」と消え入るようなか細い声を漏らした。
リリィの手の隙間から覗く肌と耳たぶが、赤色に染まっていた。
知的な雰囲気を纏っていた先ほどと異なり、子供っぽい仕草で恥ずかしがるリリィの姿が可愛らしい。
しかしもっと恥ずかしいのは私の方だ。つい先ほどまで自らの欲求に従うままにリリィの胸を揉み楽しんでいたのだから。
……今更ながら、罪悪感がこんこんと心中に沸いてきて居心地が悪くなった。
そう思うぐらいなら初めから欲望に屈せずリリィに悪戯をしなければよかったのに、私は本当に愚か者だ。
今この場で彼女に自らの罪を打ち明けるつもりが毛頭ないくせに、罪悪感を感じる辺りも含めて。
どこまでも度し難い人間だ。
「うぅぅー、うぅぅぅー」
私の暗い心中をよそに、リリィは可愛らしく呻く。
たっぷり二十秒はそうしていただろうか。
「よしっ」と小さく呟いたリリィは自分に折り合いが付いたのか、顔を隠していた両手を離すと私に向き直った。
「……ありがとうございます、レナさん。ご迷惑をおかけしました」
―――何を仰られるか。むしろこちらが勝手に色々楽しんでしまって申し訳ないぐらいだ。
ピンと背を伸ばして、きりりとした表情のまま言ったリリィは続けて頭を下げた。
その姿は、冒険者ギルドの一階で目にした知的な彼女の姿と何ら遜色の無いものだった。
彼女は恐らく、今この時をもって「リリィ・エルノア」から「新聞記者のリリィ」になったのだろう。
なかなかどうして、歳若そうな見た目に似合わずその姿は堂に入っている。
決して少なくはないであろう新聞記者としての経験の重みがリリィの佇まいから感じられて、それに関心した私は少しの間リリィに見入ってしまった。
「……レナさん?」
ややあって頭を上げたリリィが、私を失礼にならない程度に訝しげに見た。
私は、はっ、として慌てて返答した。
「―――ああいえいえいえ! こちらこそ! ぜんっぜん気にしてないから大丈夫、うん!」
「ひゃっ」
慌てていたせいで声量が大きくなってしまい、それでリリィを驚かせてしまった。
リリィがほんの少し身を退く。
「ご、ごめんなさい。びっくりさせちゃったね」
「い、いえ」
リリィが体勢を元に戻したが……そこで会話が途切れてしまった。どちらとも何かを話しかけるでもなく時が過ぎていく。
なんとなく気まずい雰囲気だ、決して険悪な雰囲気というわけではないのだが。
私はなんだかばつが悪くなってしまって、膝の上に手を置いてまごついた。
対してリリィも私と似たような心境なのか、態度こそ変化のないものの視線は下方を彷徨っている。
あれだけ"仮想結界"で練習したのに、どうしてか私の口から言葉が出てくれる気配が無い。
リリィにした悪戯を隠している事に引け目を感じている? それとも緊張しているから?
きっと両方だろう。
とはいえ。兎にも角にも現状維持のままでは話しが進まない。私は意を決して喋りかけた。
「……あの」
「あのっ」
何て間の悪い!
私が喋りかけたと同時に、リリィもまた私に視線を合わせて口を開いたのだ。
「ど、どうぞリリィさん」
「レナさんからどうぞ」
次なる発言もまた、同時だった。続けて同時に喋った事に私たちは直ぐに気がついて、お互いに目を合わせた。
「あー…………ははは」
思わず苦笑してしまう。気恥ずかしくなって私は頭を掻いた。
「……ふふふっ、おかしいですね。息がピッタリでした」
対してリリィは口元に手を当てて微笑んだ。
今の出来事で場の雰囲気が砕けたのか、親しげな口調でリリィが続ける。
私も今ので少なからず緊張感が消えた。普通の受け答えをする分には問題なさそうな程度に。
「私からでも構いませんか? レナさん」
「うん、お願いします」
「……もう一度きちんと挨拶をしておこうかと思いまして。改めまして。私はリリィ・エルノア。新聞社で冒険者ギルドの記事を担当しています。よろしくお願いします、レナさん」
そう言ってリリィは屈託のない笑みを浮かべ右手を差し出した。
私は差し出された手を握り、仄かに微笑み返した。
「こちらこそ改めまして、冒険者のレナ・ナナセです。よろしくね」
これで彼女との握手は二度目になる。
他愛ない握手なのだが、何故かこの握手が私とリリィを深いところで紐付けてしまったのでは、と私は感じた。
何故そんなロマンスじみた思いが浮かんだのかは、わからなかった。
握手が解かれて、リリィが話を続けた。
「先ほど聞いての通り、私は今日はレナさんを直接取材する為に冒険者ギルドに来ました」
「直接取材かぁ……ギルドの依頼も終わったばかりで特に断る理由もないけれど、どんな事をするの?」
「はい、出来ればレナさんの冒険者生活に密着してその事を特集記事にしたいと思っています」
「み、みっちゃく!?」
単語の意味から何を思ったのか、私の脳内で一時あられもない肌色の妄想が浮かんだ。
「……少々顔が赤いようですが、大丈夫ですか? レナさん」
不審に思ったリリィが私を覗き込む。
「だ、だいじょうぶ。つづけてください」
「そ、それではええっとですね。最低でも一日、出来れば数日の間行動を共にしたいと思っています」
何? 何だって? 今リリィは何と言った? 数日の間行動を共にするだって?
「そそそ、それはどれぐらいの範疇で?」
「食事時も、就寝時も、戦闘時も、レナさんが許せる範囲で」
無意識のままごくりと唾を飲み込んだ。
それは、つまり。リリィと数日の間合法的にデートが出来る、ということなのでは。
こんなにも私の趣味に合致している美少女のリリィと、デート?
いや、取材なのだからデートではないのだが私にとっては違う。
女性と二人きりで行動を数時間共にするという事はそれ即ちデートである。
私の中ではそう定義されているのだ。
私はもう一度ごくりと唾を飲んで、リリィに尋ねた。
「ほほ、本当にそうするつもりなの?」
「するもなにも、そうですが?」
―――わお。ファンタスティックだ。信じられない。
「是非受けて立ちます! その取材!」
勢いよくがばりと立ち上がって拳を握り締め、私はリリィの提案する密着取材とやらを快諾した。
密着。なんと甘美な響きだろう。
リリィに対するセクハラへの後ろめたい気持ちなど吹き飛んでしまった。
いやはや、何で私はあんな事で悩んでいたんだろうな、馬鹿馬鹿しいな。ははは。
もっともっと楽しい事が合法的に楽しめるのだ、小ざかしい悪戯なぞ瑣末な事だ。うんうん。
私の様子にやや呆気に取られていたリリィだったが、気を取り直すとこう言った。
「ありがとうございます、レナさん。それで早速なんですがいきなり密着取材、というのもレナさんの都合に悪いと思いますから、この先予定があればそれがどうなっているのかを聞きたいと……」
「予定っ!? な、なんなら今日―――」
「今日、ですか?」
「あ、いや、まって!」
予定なんか無い! 今日からでもいい! 是非密着取材して欲しい! との言葉を私はすんでの所で堪えた。
視線を下げて、自らを省みる。
私の服は埃だらけで、デスグリズリーの肝を持ち歩いていたせいで身体も少し血なまぐさい。
まさか、まさかこんな格好でリリィとデートをするつもりか!?
―――正気の沙汰ではない。頭の沸いた狂人でももう少しマシな判断を下す。
なんて危ない。落ち着くんだ私よ。浮かれすぎているぞ。
焦るんじゃない、これは願っても無い最高のチャンスなんだ。
さあ冷静になれ。レナ・ナナセよ。私が最高の状態でリリィの密着取材を受けるにはどうすればいい?
冷静に自問自答すると答えは直ぐに見つかった。
「―――きょ、今日からでいいんだけど。おお、お風呂入って来てからでもいいかなっ!? 私ちょっと汚れてるからさ!」
そう、風呂で我が身を清めてからだ!
さすれば問題なく彼女とデートに赴けるというものだろう。
こんなにも簡単な事を私は何故思いつかなかったのか。まったく。
「ええ、かまいませんよ。私も今日は直帰で良いと言われていますから一緒に行きましょう」
それはなんとも嬉しい申し出だ。
私にとって公衆浴場は一日の疲れと汚れを洗い落とす風呂場兼、目の保養の為に合法的に裸体の女性が拝める楽園でもある。
そんな公衆浴場に彼女と共に赴けるなどまさしく片手に花を抱いたまま―――なんだって?
「え、あ、あえ? おふろ、だよ? 一緒にだよ? いいの?」
「……? ええ、お風呂に入りに行くんですよね?」
わお。
―――ああもう、今日は何て日だ。私は明日死ぬんじゃないのか!?
「よしっ! 行こうリリィさん! 善は急げだ!」
常日頃からの楽しみである公衆浴場に、リリィと共に入れるだなんて!
私は嬉しくって堪らなくなって、リリィの手を引いた。
「わっ、ちょっ、レナさんっ。まってくださいっ」
ベッドから引き起こそうとする私にリリィは苦笑しつつもまんざらでもない様子だったが、私を呼び止めた。
「ご、ごめん」
いけない、どうもリリィの事になると抑えが効かない。
「いえ、いいんです。ただ……」
ただ? 私は彼女の言葉の先を待った。
「せっかくですから私の家に来ませんか? 公衆浴場もいいですけれど、私の家のお風呂もそれなりに広いんですよ? きっと気に入る筈です」
彼女は微笑みと共に、そんな爆弾発言を投下した。
ことばのいみが、よくわからなかった。
「……ひゃあ」
私はその超弩級の爆弾発言を喰らってしまい頭が真っ白になって。
間抜けな鳴き声一つしか返せなかったのだった。




