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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
21/58

21,王者の恢復

 鈴音は汚い床に膝を着いて、青い袋から赤い色の液体が入った薬瓶を取り出し、蓋を開けた。そして鬼熊に近寄るよう指示すると、鬼熊は苦しそうに立ち上がり、四足で檻の柵までやって来た。


『聞いて下さい。まず、アナタは何時、赤い実を食べたのですか?』


『分からん……十日程前だったかもしれん……人間に連れ攫われた日だ』


 攫われた日……そこで、鈴音は思い出した。鈴音が旅立つ数日前まで、神住み島の付近を人間の船がうろついていた事を……あれは、もしかすると、この鬼熊を攫って行った船なのだろうか。でも、太陽国の人間はあの島に近寄りたがらないと思うのだけれど。


『なんだ? ……手遅れだとでも言う気か?』


 鬼熊の問いに、鈴音は急いで首を振った。そうだ、今は余計な事を考えている場合ではない。


『アナタが食べた〈鬼狂いの実〉は、長い間食べた者を弱らしてから、命を奪います。つまり、とても遅効性の毒なのですが、毒自体は強力です。アナタにはこれから、半年掛けてわたしの薬を飲んでもらいます。その為にも、ここから脱出しなければなりません』


『この状態で外に出る力など……残っている様に……見えるか……?』


 鬼熊は絶えず苦しそうに話している。それもそうだ−−十日、あの苦しみを十日も味わっているのだから。人間よりも頑丈な身体をしているが故に、毒の効果が長引いているのだろう。鈴音は昔の自分を鬼熊に重ね合わせて、悲しい気持ちになった。今なら、おじさんの気持ちが分かる……。


『わたしが今から与える薬を飲めば、一週間は嘘の様に身体が元気になりますよ』


 鈴音は檻の中にある水飲みを手で近付けて、水の中に赤い薬を入れた。濃い赤色は水で薄まることなく、水の中に広まっていく。鼻にツンッと来る強い匂いがした。この薬の主である〈赤色蝮の血液〉の匂いだ。


『飲んで下さい。一気に』


 鈴音が言うと、鬼熊は勢い良く赤い水を飲み始めた。物凄く苦そうに顔を顰めている。鈴音にも気持ちがよく分かった。あの薬は尋常でない程に苦いのだ。アレを飲んだ後は一日中舌が馬鹿になる。週に一度、あの薬を飲む時間帯は常に憂鬱だった。


 鬼熊は水飲みの赤い水を全て飲み干した。今、彼は大きな頭痛と吐き気、そして舌に残る苦味と戦っている筈だ。ずっと遠くからその様子を見ていた椎名と清丸が、何時の間にか直ぐ隣にいた。


「終わったのかい?」


 蹲ってブルブル震えている鬼熊を眺めながら、椎名が尋ねた。鈴音は頷き、空の薬瓶を青い袋に仕舞ったから答えた。


「直ぐに、効果が現れます」


 すると突然、清丸がずっと溜め込んでいたらしい質問を、嵐のようにぶつけて来た。


「アンタは鬼と話せるの? 何で? と言うか今の薬何? 物凄い匂いしたで。いや、それより、何で鬼熊はアンタと普通に会話してんの? それって動物と会話出来るってこと? やっぱり……」


「日比子さんに着いて来て貰えば良かったね」


 椎名が不快そうに言うので、鈴音は微笑んで、額の汗を拭った。知らぬ間に、かなり体力を消耗していたのだ。それも仕方がない。会話をしていても、巨大な獣が直ぐ側にいるという重圧は消え去りはしないのだから。


 突然−−鬼熊が四足で立ち上がった。椎名は驚いて後退り、清丸は質問攻撃を止めて固まった。鈴音は鬼熊の赤い瞳を見詰めて、薬の効果が現れたことを悟った。それと同時に、次に鬼熊がどうでるのかと不安になった。


 ところが鬼熊は、意気揚々と言うのである。


『大した娘だ、気に入った。カイナの言うことも偶には当たる』


 椎名は小さな声で「今、何て言ったの?」と鈴音に尋ねた。鈴音は微笑んで、「もう、大丈夫です」と答える。清丸は相変わらず固まったままだ。


『さぁ、俺様はもう人を食らわん。お前との約束だ、ここから出よう』


「ここから出よう、って言っています」


 鈴音が訳すと、椎名は何故か首を横に振った。鈴音が不思議そうな表情を浮かべると、椎名は答えた。


「鬼熊を連れてここから出るなんて、流石に無理だよ。だから逆に、鬼熊に連れ去られたって事にする予定なんだけれど、連れ去られた医者が、交易島で普通に医療をしていたら大騒ぎだろう?」


「なら、どうするんですか?」


「僕はこのまま、助手を鬼熊に連れ攫われた可愛そうな医者を演じるよ。鈴音さんは鬼熊に助けて貰って、予定通りの土地へ向かって。彼の力があれば、それも簡単だろう」


 椎名が話し終えると、何時の間にか硬直の解けた清丸が、鈴音に向かって言った。


「その方が二人とも疑われないから安心なんじゃ。椎名がここに残った方が、助手のでっち上げ話も作り易いしの」


 鈴音は二人の言葉にゆっくりと頷いた。しかし、どうしても気になる事柄があったので、真剣な表情で尋ねた。


「椎名さんも、富沢さんも、罰せられたりしないですよね」


 鈴音の言葉に、二人は同時に笑って、椎名が言葉を返した。


「鬼熊が暴れた原因を、僕等のせいにするのは無理があるさ。それにこれは秘密だけれど、僕達は特権階級の家の出でね。いざとなれば〈僕達はここにいなかった〉事に出来る」


 特権階級!? と鈴音は驚愕した。この広大な島国でも百人程度しかいない特別な人達だ。そうだ、だからこそ、こんなに簡単に隔離所の警備を抜けて来られたのか……しかし、何故そんな偉い人達が、片や偏狭の島で医術をし、片や動物の穢れに触れる仕事をしているのだろう。


(人には事情があるもんさ……か)


 椎名が言っていた言葉を思い出す。それを敢えて聞こうとは、思わない。


「鈴音さん、色々楽しかったよ。今度こそ、本当にお別れだ。僕には交易島で待ってくれている人達がいる。そろそろ、戻らないと」


 鈴音は頷いた。椎名との、人間の土地の旅。長い時間ではなかったけれど、帆船で出会った時から、奇跡の巡り会わせを経て、ずっと一緒だった。思い出を振り返りながら、鈴音は鬼熊に話し掛ける。


『鬼熊さん、出て来て。ここから出よう』


『いいだろう』


 鬼熊の腕の一撃で、大木で出来た檻は簡単に砕かれた。凄まじい音が鳴り響き、破片が飛び散り、埃が舞い上がる。蝋燭の日がユラユラと揺れて、三人と一頭の影をユニークに動かした。


『乗れ、娘』


 四足で立つ鬼熊の背に、鈴音は躊躇うことなく、苦労して乗った。馬の二倍ほどの高さがある。鬼熊の黒い体毛は硬く、艶やかだった。獣の匂いが、鈴音の衣に染み付く。


 鈴音は自分の目線のかなり下にいる清丸を見て、頭を下げた。清丸は手を振って、それに答える。それから鈴音は椎名のほうを向いて、笑顔で尋ねた。


「また、会えますか?」


 椎名はニコッと微笑むと、鬼熊の背に乗る鈴音に向かって、優しく言った。


「また会えるさ。そう遠くないうちにね」


 鬼熊が走り出す。鈴音は身を屈めて、鬼熊と同化した様に見せた。風が頬を過ぎ去り、髪が勢い良く靡く。鬼熊は〈地下五〉の扉を壁ごと破壊し(兵士は驚いて階段から転げ落ちていった)、そのまま階段を上がって行く。あっという間に入り口へ着き、その入り口をまた壁ごと壊して進んだ。


 兵士達は突然の事態に対応することが出来ないでいる。鬼熊が向かってくる兵士達を吹き飛ばしていく様を見て、鈴音は強い風の中で、必死に鬼熊にしがみ付きながら言った。


『ひ……人を、き……傷つけないで!』


『安心しろ、勝手に向こうが吹き飛んだだけだ』


 進む、進む。鬼熊はどんな駿馬よりも速く、中心都を抜け出し、世渡り橋を無視して、跳躍で堀を飛び越える。そして遠く遠くへと、幻影のように走り去っていった。



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