17,憤怒の咆哮
少女達の石造が置かれている神住み広場。其処へ昼過ぎ頃に、頭を剃り上げた国王の代理人が数人の兵士を引き連れて、石像の前へと訪れた。そして、特権階級の豪華な衣装をまじまじと見せ付けた後、威張るような大声で告げた。
「今から第二十九代太陽国国王・剣王様の有り難いお言葉を皆に伝える。民の者達よ、平伏し・一言も漏らさずに記憶するのだ」
何百もの人間が何時の間にか広場に集まっており、鈴音は人々を避けて群衆の最後列まで退がった。何故わざわざ国王の代理人から遠退いたのかと言うと、太陽国の住人でも無ければ、国王を敬う気もまるで無い自分が、こんなにたくさんいる群集の最前列で詔を聞くのは、何だか他の人に申し訳ないと感じた為である。
「そもそも我が太陽国は−−」
国王の言葉を、膝を地に着け、腕を胸の前に交差させて聞いている大衆を後ろから眺めながら、鈴音は無表情で詔を聞き始めた。
数分が経過した。鈴音が相変わらずボーとしながら代理人の大声を聞いていると、突然肩を後ろから突かれた。鈴音が少し驚いて後ろを振り返ると、そこには椎名が笑顔で立っている。鈴音は、中心都で唯一自分の存在を認識してくれている人との再会に、自然と顔が綻んだ。
「王様の言葉をそんな顔で聞いていてはいけないよ。気持ちは分かるけどね」
椎名が静かな声で告げたので、鈴音は微笑みながら頷いた。そして、椎名は鈴音の手を引いて大衆の後列に紛れ、周囲の人々と同じ体勢をして、国王の言葉を聞き取り始めた。
「儀礼的な物だけれど、一応形だけでもやってごらん」
椎名が優しい声音で鈴音に勧めた。鈴音はまた頷いて、椎名や周りの大衆と同じ体勢になる。そうすることによって別段何かが変わった訳でもなかったが、国王への敬意と、集団で同じ体勢をする事によって、仲間意識みたいなものが生まれるのではないかと考えた。
「そう言えば、道中で変わった人を見かけました」
代理人の大きな声が響く中、鈴音が体勢を変えずに小さな声で語る。椎名はその話しに関心を示し、鈴音の言葉に耳を傾けた。鈴音が九百六十七番と名乗った男のことを全て説明し終えると、椎名は表情を強張らせて、心配そうな声で尋ねた。
「何もされなかった?」
椎名の言葉に、鈴音は戸惑いながら頷いた。その後、椎名は暫く黙っていたのだが、鈴音が物を問いたそうな眼差しでずっと見詰めてくるので、仕方なく……といった口調で教えてくれた。
「それは多分、太陽国暗影兵だよ。法を犯した人を、捕らえる事無く始末する権限を持ってる」
鈴音がまだよく分かっていなさそうなので、椎名は丁寧な口調で続けた。
「王様の護衛兵を守りの専門と呼ぶのなら、彼等は戦いの専門さ。敵と見なした相手なら、年も性別も種族も、例え仲間であろうと関係無く手にかける。彼等の特徴は、世間に紛れ、気配を押し殺し、親に付けられた名前を捨てて、数字を名乗る」
鈴音は驚いたと同時に、自らの知識の少なさを悔しく思った。そんな人物と自分は当たり前のように……二言三言だが……話していたのだ。あの男の存在の希薄さにも納得がいった。対象の命を奪う為に、自ら気配を殺していたのだ。そう思い至った途端、背中がゾクッとした。
半刻程過ぎ去った。しかし、鈴音の感覚ではもっと長い時間が経過している。周りの大衆は鈴音と異なり、長々と続く国王の詔を熱心に聴いていた。鈴音はというと、国王の言葉などにはとっくに飽きており、痛くなってきた自分の膝を撫でながら、必死に欠伸を噛み殺していた。
「−−以上が、国王様のお言葉である」
ああ、やっと終わった……鈴音は心の底からホッとした。精悍な拍手の後、大衆は立ち上がって、皆それぞれに話しを始める。鈴音も椎名も立ち上がり、鈴音が、国王の文句を一つでも言ってやろうとした、その時である。
滑車の付いた巨大な檻に青い布を被せた物を、何人もの屈強な肉体を持つ男達が押して動かしてきた。男達の必死な努力で、漸く布に覆われた檻を生け贄の像の真後ろまで運び終えると、役目を終えた男達は去って行く。そして、男達と入れ替わるように何人もの武装兵が檻の前に配置し、先程の代理人が両手を広げて叫んだ。
「太陽国国民諸君! 御覧に入れよう! 我等が国王の力によって捕われた、最早闘う事の出来ぬ哀れな種族を!」
瞬間、鈴音は確かに聞いた。布によって隠された檻の中から、冷たく響く鬼獣の声を。
『人間共……嗚呼……うるせぇ……』
大半の民はもう、その巨大な青い布の下に関心を注いでいた。何が隠されているのか……代理人が早く布を捲るのを期待して待っている。ところが鈴音は、正反対の反応を見せていた。
(鬼熊……怒ってる……? ……逃げなきゃ……)
勘の鋭い者ならば、既に感じていたかもしれない。現に鬼人の世界で勘を身に付けた鈴音も含めて、何人かの人間がこの場を離れたがっている様子だった。しかし、心に抱いた関心を留める事は出来ないようで、誰も広場から離れようとしない。
「さぁ、民よ! ご覧に入れよう! 王の前に平伏した鬼熊の姿を!」
『うるせぇ……』
鈴音は冷や汗が体を伝っていくのを感じた。寒気がする……何か酷いことが起こる予感がする……どうしようもなく体が震えて、立っていられなくなった。
「どうしたの鈴音さん? 大丈夫?」
へたり込んでしまった鈴音に、椎名が医者らしくテキパキとした動作で尋ねた。大衆は青い布に隠された檻の中身をひたすらに気にしていて、群集の最後尾で鈴音が倒れた事には誰も気が付かず、騒ぎは起こらずに済んだようだ。
「椎名さん……鬼熊の体調は……」
鈴音が座り込んだ状態で不安げに尋ねると、椎名は不思議に首を傾げたが、直ぐに答えた。
「ああ……何か毒にやられているらしくてね……もう、数日の命だろう」
『黙らすには一番の方法………そうだ』
鬼熊の声が聞こえてくる。後、数日の命? しかし、聞こえてくる獣の声は、紛れもない健康体のようだ……。遂に、国王の代理人が、檻から青い布を手こずりながら捲った。大木で作った頑丈な木の檻の中に、黒い体毛の巨大な鬼熊が四足で座っている。
赤くギラギラした眼・鋭く大きな爪と牙・大木のようながっしりとした体躯・両耳の横に生えた短剣程の角……化け物と呼ぶに相応しい姿である。その鬼熊が、ボソッと言って続けた。
『殺しゃあいい』
大衆が声を上げた。国王の為の祝福だ。王の手に掛かればこんな化け物ですら、我等の檻に閉じ込めることが出来る……「国王は神にも等しい存在である」と感極まり、騒いでいる。
「逃げて!!」
鈴音は立ち上がって、震える声で叫んだ。椎名に不思議そうな顔をされても、周りからどんな風に見られても構っていられなかった。僅かに訛りのある少女の叫び声に驚いて、大衆は広間の入り口付近を一斉に見詰める。
「逃げて下さい! 急いで!」
鈴音は大衆の視線を感じながら必死に叫んだが、誰一人動こうとする者はいなかった。当前だ。見ず知らずの娘に突然叫ばれて、その通りに行動するような人間が何処にいる? 困惑が周囲を取り巻く状況下で、凶悪な声が、鈴音には意味を持って、大衆にはただの獣の鳴き声として届いた。
『人間共……殺してやる!』
檻の中で鬼熊が立ち上がり、大声で叫んだ。恐ろしい咆哮に、広場に立つ者全員が押し黙ると、鬼熊は大木で出来ている檻を難なく圧し折り砕いて、広場に下り立った。
何百人もの悲鳴が、一斉に大きな広間から響き渡る。




