16,巫女の石造
太陽城を中心として円形に造られた煉瓦の巨大な街は、住民街も城郭付近も全てを人に埋め尽くされ、その光景は時間が経っても変化することはなかった。それもその筈である。この祭りはまだ始まったばかりなのだから。
数字を名乗った男が去った後、鈴音は再び長椅子に腰を下ろして、通りを行き交う人々へと眼を向けていた。列をなして歩く群衆は時間が深まるに連れ増えていき、中心都は一層賑やかになる。
午後十二時を知らせる鐘が、中心都の青い空に鳴り響く。鈴音は立ち上がり、太陽城城下〈神住み広場〉へと足を向けた。俗に〈特権階級〉と呼ばれる、国王の近場に家を建てる事が許された特別な者達が暮らす地区である。
この地域に建てられた屋敷は煉瓦造りではあるが、住民街の家々と比べると、一軒一軒の大きさがまるで違っていた。鈴音が今までに見たどんな屋敷よりも大きい作りなのである。それぞれ屋敷の門には立派な柵が施されていて、不審者の侵入を拒んでいる。屋根からは縦に長い筒型の物体が飛び出していて、そこから煙が排出されていた。
そういった屋敷を何軒か通り過ぎた後、鈴音の視界に漸く太陽城の姿が見え始めた。数千年もの歴史がある古い国の王、その権威を存分に知らせる為二百年前に建てられたこの城郭は、国中から集められた金や銀を惜しむ事無く注ぎ込まれ、最上階の瓦屋根には、太陽城の象徴とも言われる不死鳥の形に削られた金が置かれている。周囲は、頑丈そうな石垣によって守られていた。
鈴音が覚えている僅かな記憶−−巨大な城門から太陽城へ護衛兵達と共に入り、壁も床もピカピカに磨かれた城の中を階段でひたすらに上がった。その後、下女から何度も身嗜みを整えさせられてから、最上階で国王と向き合った。
「こんにちは、綾乃嬢……さぁ、君の為に用意した料理だ。遠慮無く食べなさい」
国王は、鈴音の想像していた人物像とは全く異なっていた。鈴音の勝手な想像では、国王は太っていて、冠をしていて、とても傲慢な印象を相手に感じさせる姿であった。しかし、実際の国王はむしろ痩せていて、国一番に豪華な衣を纏っている事を除けば、普通のおじさんだったのだ。
鈴音は昔の思い出から覚め、山のように聳え立つ太陽城を見上げてから、大きな人集りができている広場へと向かった。その途中に太陽城の城門を横切ったが、巨大な門は閉ざされていて、鎧を身に付けた兵隊達が番をしている。兵隊達は皆兜を被っているのでその表情は窺い知れないが、鈴音は彼等の前を通り過ぎ去る際に、何だか睨まれているような気がして、少し嫌な心持ちになった。
〈神住み広場〉は木々や遊具も無く、人がいなければ相当に殺風景な空間になるだろうと想像される場所だった。人集りには、豪華で派手な衣装を着た者から、ボロボロに汚れた衣装を纏う者まで階級・年齢性別問わず様々な人が、膝を地に着け、両腕を前に交差させて祈りを捧げている。皆が姿勢を低くしているので、鈴音には群衆が祈りを捧げている対象が広場の入り口からでも確認できた。広場の奥には、祈りを一心に受け止める御神体、少女の石像が七つ、横に並べて置かれている。
(生け贄祭の……主役だ……)
鈴音は即座に理解して、七つの石造を全て確認した。向かって一番左端に、彼の有名な月夜姫が、凛々しい表情で何処か遠くを見つめている。それから、鈴音にとっては先輩に当たる五人の巫女達が並び、一番右端には、他の石像と比べ頭一つ小さい大きさの、鈴音がいた。
鈴音は腰を屈めて目立たないように御神体へと近付き、石碑がよく見える最前列へと移動した。
そして、皆がしているように祈りを捧げる体勢になり、石像の台座に掘られた文字を読んだ(人間の文字は勉強していたので、ある程度は理解できる)。
【七代目 神の巫女 綾野神 命ヲ愛ス 緑ノ神ナリ 神年 六 】
不思議な気分だった。自分が死んでいると認識され、巫女と呼ばれる存在になって祀られている事が。同時に、酷く辛かった。覚悟をしていた筈なのに、こうして改めて知ると、こんなにも辛いことだったのか……。
(わたしは、この世界ではもう、死んでいるんだ)
そう思った途端、胸がどうしようもなく苦しくなった。今ここで祈っている人々は、何を思っているのだろうか。家族の健康? 自分の未来? 世界の平和? 彼等がどれを強く祈っていたとしても、それ等が神に届く筈も無い。何故ならば、霊となって神に彼等の祈りを伝える役割の巫女は、鬼人に救われて、ここに生きているのだから。
鈴音は石像を見るのも祈るのも止めて、広場から去ろうと考えた。その時、誰もが祈りを捧げる静寂の中で、女性の泣き声が後方から聞こえてきた。鈴音は動きを止め、無意識のうちに後方へと耳を澄ました。
「もう……十年経つのか……綾ちゃん……元気かなぁ……」
涙声でそう話す女性の声から、鈴音は反応を抑えるのが大変だった。この声……どこか記憶の深い所で、聞いた覚えがある。それに「綾ちゃん」という名前の呼び方も……とても懐かしい。
「綾は神様になったんだぜ。元気に決まってんだろ……だから泣くな……梅」
今度は青年の声……その小さなきっかけで、鈴音は昔の思い出が、濁流のように頭の中を流れていく感覚を味わった。そして、思い出したのである。この声の主達は、昔、赤坂村でも特別に鈴音と仲の良かった友達の、本居梅子と与謝野一計だ。勉強をするのも遊ぶのも、常に一緒だった親友達である。
二人はずっと一緒だったのだ。鈴音が人の世から去った後も、二人が赤坂村から離れ、中心都に訪れた後も。そんな輪の中に鈴音は入っていける筈もなく、ジッとお祈りを捧げる振りをした。その時、自分の顔が自然と綻んでいる事に、そっと気が付いた。
(ちょっとでもいいから、せめて二人の話を聞かせて下さい。会話をしなくても、向き合わなくてもいいから。せめて、この時間だけは……奪わないで下さい)
鈴音は誰に言うわけでもなく、心の中で願った。二人の親友は顔も見えず、どの程度離れた場所にいるのかすらも分からない。会話することや姿を見ることも当然、出来ない。しかし、鈴音は一太郎と再会した時ほどに幸福を感じていたのである。
「綾は俺達のことを見守ってくれてる。だって、神様なんだぜ?」
「うん……分かってる……分かってる」
鈴音は目を閉じて拳をギュッと握り、二人の下へ駆け寄りたいと思う衝動を必死に抑え着けた。
(一ちゃんは声が変わったみたい……やっぱり、大人になっても頼りがいがありそうだなぁ……。梅ちゃんは相変わらず泣き虫で……でも、とっても優しいところは変わってない……)
鈴音は二人が祈りを終えて立ち去るまで、二人の会話を聞き続けた。二人にとって死んだ人間である筈の自分が会いに行くことなど出来ず、姿を見かけた訳でもない。しかし、鈴音はありったけの勇気を、二人から貰い受けた気分になった。