69 足りない覚悟
「⋯⋯アルドー様はわたくしが自領に戻る事で、何かが起こると思っていたのでしょうか?」
「それを訊いてどうする? 君を囮にしたと思うの?」
カチャリとドアが開き、ペールがお茶を運んできた。
蜂蜜を思わせる甘く優しい香りが漂う。
「兄上ー、殿下の代わりにちゃんと話してくださいよー。殿下は王族として本音を口にするのは慣れてないんですからー」
「全身からアンバーブロウ嬢が好きすぎるのが漏れてるんだけどなあ」
大きなため息をついてフラッハは再びクリスに向き直った。
「いいかい? アンバーブロウ嬢。君がブジェフに行くのだって、何も一緒に行かなくたっていいんだよ? 護衛を何人か配備すればそれで済む話だ。でも、それをせずにわざわざクローステール卿と国王陛下に許可を得て行ったんだ」
「⋯⋯」
「陛下はそれで諜報部隊を一部隊、同行させたんだ。何かあったら動けってね」
「⋯⋯陛下が?」
「殿下に同行した部隊の指揮権は隊長にあって殿下じゃない。王族とは言え、未成年の第二王子だ。軍の統率権なんてないんだよ。だから殿下を責めるのは酷というものだ。⋯⋯まあ、殿下も、尻尾が掴めれば儲け物と思ったかも知れないが。それ以上に、離れている間に君に何かあったら気が気じゃなかったんだと思うよ」
フラッハは一気に話し終えて、味わいもせず茶を飲み干した。
「もー、あの人、可愛すぎるんだよ。遅い初恋に浮かれてんのよ。あー、全部ばらしちゃったよ」
それなら、何故。どうしてあんな言い方をしたのだろう。
クリスには疑問が浮かぶ。
「アルドー様は、『信じてもらえないなら、それでも構わない。けれど、先代マールム公爵の確保のために護衛は今のまま付けさせてもらう』って言ったんです」
フラッハは頭を抱えた。
「かっこつけもいいところだな。まったく。『君に嫌われてしまったなら諦める。けど、自分は好きだから護る』って言ってるんだよ。アンバーブロウ嬢、君は殿下が嫌いになったのかい?」
「それは、ちょっと違う気が……」
男爵令嬢の自分と、王族のアルドーで、ものの見方と価値観にズレがあるのだ。
常に底辺の貴族と、常に最上位の王族。
従う者と従わせる者。
相違があって当然だ。
「いいえ、アルドー様を嫌いになんてなっていません。優しくて、可愛らしくて、一緒にいて幸せなんです」
「あー、こっちが照れちゃうな。とにかく、君たちはこれが初めての意見の相違で、初めての喧嘩なんだ。思う存分言い合って溝を埋めていくのがいいよ」
「⋯⋯逃げて来てしまって、がっかりされていないでしょうか」
と、クリスは俯いた。
「自分にがっかりしてると思うよ。多分ね」
フラッハは右手を左右に振った。
「わたくし謝ります。でも、今日は会わずに帰ります。明日落ち着いて話したいです」
「うん、殿下に伝えておくよ。ペール、チェルニーが来るまで一緒にいてあげて」
クリスはフラッハに深々と頭を下げてその場を辞した。
ペールにも謝罪する。
「いいの、いいの」とペールは返し、クリスの腕に絡みついて歩き出した。
ノアの帰宅後、クリスは共に夕食の席に着いた。
「何かあった?」
クリスの塞いだ様子にノアが口を開く。
「アルドー様を責めてしまいました。ジュール様の事で。⋯⋯あと、自分と一緒にいるのは先代マールム公爵様の確保の為なのかって」
俯きながら言葉を紡ぐクリス。
ノアは静かに首を振り、ため息を漏らした。
ジュールについてはフラッハとほぼ同じ意見だった。
加えて、『芸術』の人間が捜索すれば事が大きくなり、ジュールの命に関わる可能性もあった。
そうノアは語った。
「殿下ほどお前を大切に思っている人はいないというのに⋯⋯。クリス、殿下は休暇の前に私のところへ来て、『クリスの安全が最重要』と言った。『クリスが動けば彼も動くはずだ。護衛数人では済まない』とも」
「そう、なんですね」
「本当はブジェフに行って欲しくなかった。だから殿下も動いた。第二王子の護衛という大義名分で大勢の兵士を連れていけるから。必ず守ると私に約束してくれたんだよ」
「あぁ、わたくしは⋯⋯なんて酷いことを」
涙がクリスの頬を伝った。
「お前はガラスが絡むと周りが見えなくなる。だがね、殿下は『それは彼女の原動力なのだから仕方がないよ。そんな所が好ましい』と父親の私に臆面もなく言ったよ」
「明日、謝ります」
「そうしなさい。そしてよく話し合って、王族と縁付くのはどういう事か自覚しなさい」
ノアの言葉に、改めて自分の考えの甘さを知った。




