第58話
「逃げないで殴られるの待ってるの!?」
神代は私と青野の手を乱暴に掴んだ。
その頃には、すでに治癒師が魔法で金髪女の顎を治していた。
そして次の瞬間。
金髪女が、ヒステリックな絶叫をぶちまける。
「そいつらを捕まえろォォォォ!!!!!」
「逃げるよ!」
神代は私たちを引っ張ったまま転送陣へ飛び込み、迷いなく転送先を選択した。
「“無重力の地”へ転送!」
次の瞬間。
視界の景色が、一瞬で切り替わる。
そこは、緑豊かな山岳地帯だった。
いくつもの山々が、まるで空へ突き刺さる巨大な剣みたいにそびえ立っている。
私たちが降り立った場所は、細い崖の上。
少しでも足を踏み外せば、そのまま崖下へ真っ逆さまだ。
下がどれほど深いのかも分からない。
見えるのは、真っ白な雲海だけ。
「わ、私たち……雲の上にいるの!?」
青野が驚きの声を上げる。
私は海みたいに広がる白雲を見つめた。
白い霧が波のように上下しながら、足元をゆっくりとうねって流れていく。
まるで私は、船首に立つ艦長みたいだった。
一瞬、本当に世界を征服したような錯覚に包まれる。
「ここは足場が狭いからね。あいつらも、たぶん追ってこない。来たとしても、一人ずつ蹴り落としてやるわ」
神代は腕を組み、転送陣を冷たく睨みながら鼻で笑った。
「死にはしないけど、しばらくは落ち続ける羽目になるしね」
一方その頃の私はというと。
崖の縁に這いつくばり、下の雲海を見下ろしながら、目を電球みたいにピカピカさせていた。
「やばっ! ここ超かっこいい!!」
さっきまでの嫌な気持ちが、全部雲にさらわれていく。
鋭い山風が髪と服の裾を揺らし、白雲が指先をすり抜けていく。
そんな景色の中にいると、人間世界の悩みなんて急にちっぽけに思えてきた。
私はぎゅっと拳を握る。
「私、SSSSSSSSSS級冒険者になる!! Sが多すぎて、みんなが羨ましがるくらいのやつ!!」
「……ん? あんた前は“力”とか“自分を証明する”とか、そういうの興味ないって言ってなかった? 何か刺激でも受けた?」
「とにかく私はSSSSSSSSSSSSSSSS級冒険者になるの!!」
「……S増えてない?」
青野が呆れ顔でツッコむ。
「さて、今回のあんたたちの目標は……正式に一度、ダンジョン迷宮を攻略すること。本物の冒険者みたいにね」
神代は剣の柄を握りながら、私たちを見た。
「あなた、私を雇った時に“教育”を依頼目的に選んだでしょ。だから危険時以外、私はレベル15以下の力しか使わない」
「あなたたちは自分で迷宮入口へ行って、パーティを組んで、迷宮を攻略して、冒険者の正式な日常を体験するの。それは大学面接でも大きな武器になるわ」
『なんか嫌な予感する。この迷宮攻略、絶対画風おかしくなる。』
『今さらw そもそもこの配信、普通だった回ある?』
『でも今って、この変人かなり有名になってるだろ? 普通の冒険者生活とか無理じゃね?』
『わかる。高レベル視聴者が勝手に介護しに来そう。』
「……あっ。そういえば顔隠したほうがいいかも」
一分後。
私の顔には黒マスク。
さらにサングラスまで追加されていた。
「……なんか逆に怪しくなってない? 変装してる芸能人みたい」
「心配いらないわ。ダンジョン集会区には“顔を隠したい人”なんて山ほどいる。そういう格好、むしろ普通よ」
神代がズレたサングラスを直してくれる。
「じゃあ、このまま集会区へ向かいましょう」
「どうやって? 周り全部崖じゃん……道ないよ?」
「飛べばいい」
「へっ? ……えええええええ!?」
理解が追いつく前に。
神代は私と青野の襟首を掴み、そのまま迷いなく崖の外へ跳んだ。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……あれ?」
予想していた落下感は来なかった。
むしろ、体は上昇していく。
青野だけは平然としていた。
「“無重力の地”って名前なんだから……由来くらい考えなさいよ」
「名前だけで命を懸けられるわけないでしょ!? 命かかってるんだよ!?」
ゆっくりと浮上し。
そして、ゆっくり下降していく。
次の山頂へ辿り着いた瞬間、ようやく重力感覚が戻った。
なるほど。
この場所は、山頂にだけ通常重力が存在しているんだ。
つまり、この山々は雲海に浮かぶ小島みたいなもの。
別の山頂へ正確に飛び移り続けることで、さらに遠くへ進めるらしい。
高すぎてもダメ。
低すぎてもダメ。
「じゃ、次は自分で跳んでみな。目標はあの山」
神代が手を離し、少し離れた山頂を指差した。
私はその山を見た。
足元の雲海を見た瞬間、本能的な恐怖が湧き上がる。
でも。
昨日、牛頭に言われた言葉を思い出して――
タッ、タッ、タッ……
気づけば、体が助走を始めていた。
踏み切る。
「……ん?」
神代はすでに膝を曲げ、救助の準備をしていた。
けれど、すぐに気づく。
その心配が完全に無駄だったことに。
「一発で……成功した!?」
その声は、少し震えていた。
『はぁ!? 一回で成功!?』
『ここ覚えてる! 俺、一週間練習しても感覚掴めなかったぞ!?』
『見た目簡単そうだけど超むずいんだよここ! 崖踏み出した瞬間に低重力へ入るから、跳ぶタイミングと力加減を身体で覚えないと無理!』
『しかも高く跳びすぎて山頂重力圏に入ると、そのまま高空から山頂へ叩きつけられるから普通に危険!』
『もしかしてこのバカ、実は天才なのでは!?』
えっ?
難しいのこれ?
私はコメント欄をぽかんと眺める。
『いや、やっぱバカだわ。』
私の顔を見たコメント欄が断言した。
『絶対まぐれ!!』
『信じねぇぞ俺は!!』
私はぽりぽり頭を掻いた。
今まで食べてきた毒。
その反転効果で、神経系はかなり強化されていたらしい。
でも、ずっと大して気にしてなかった。
せいぜい、ちょっと身体の動きが良くなった程度だと思ってた。
平地で転びにくくなるくらいの効果かと……
こんな便利だったの!?
「恐ろしいレベルの身体協調性ね」
神代が、顔面蒼白の青野をぶら下げながら跳んできた。
「……青野どうしたの?」
「高所恐怖症」
「へぇ、高所恐怖症……」
私は崖の下を見た。
そして。
自分の顔もだんだん青ざめていく。
「……待って!? 私も高所恐怖症だったぁぁぁ!?」
さっきの私、どうやって飛んだの!?
「SSSSSSSSSS級冒険者になりたい欲望が、恐怖を上回ったんじゃない?」
神代が面白そうに言った。
「……」
でも、さっきの意味不明な勢いのおかげで。
一回成功したことで恐怖が薄れ、その後は普通に自力で跳べるようになった。
『成功率100%!? 本当にD111ダンジョン初見!?』
『やばい、こいつバカじゃない!』
『何者だよお前!? 特級呪霊か!? 俺たちのバカ配信者を返せ!!』
「ふっふっふ〜♪」
私は得意げにカメラへ向かって指を振る。
ついに見せつけた!
私のすごいところを!
もうコメント欄を「wwwww」で埋め尽くさせたりしない!
さあ褒めろ!
未来の“S×100冒険者”を褒め称えろ!!
……
そんなこんなで。
私たちは無事、ダンジョン集会区へ到着した。
そして三十分後。
「………………」
「………………」
私と青野は道端にしゃがみ込み、頭上をカラスが飛んでいきそうな空気を漂わせていた。
二人組の冒険者が私たちの前で立ち止まり、能力欄を見た瞬間、吹き出す。
「……毒無効系能力? しかも成功率10%の錬金術師? 頭おかしいだろ。こんなのがダンジョン来るのかよ……」
「マジで笑うわ。誰がこんなのパーティ入れるんだよ。荷物二つ増えるだけじゃん」
「……」
「……」
すでに三十分。
こちらから送ったパーティ申請は全拒否。
自分で立てた募集には誰一人来ないどころか、能力説明を見た瞬間めちゃくちゃ笑われる。
神代まで横で笑いをこらえながら肩を震わせていた。
「これで分かった? ダンジョンがどれだけ残酷か」
『wwwwwwwwww』
『やっぱ俺たちのバカ配信者だわwwww』
『諦めろバカ配信者! 万能の視聴者様に助け求めろ!』
「……」
うん。
確かに残酷だ……
まさか迷宮入る前から、ここまで露骨な職業差別を味わうとは思わなかった。
「パーティ募集っていうのはね、一種の“自己プロデュース”なの。どれだけ強くても、自分を売り込めなきゃ、集会区で置物になるだけよ」
神代はパーティ情報画面を開き、紹介文を書き換えていく。
画面が一瞬揺れた。
次の瞬間、新しい文章が表示される。
【――万毒不侵の者、S級ダンジョン制覇者!! そして無限の可能性を秘めた錬金術師! あらゆる毒罠を完全回避し、究極の後方支援を提供!!】
「……」
いや、これ盛りすぎじゃない?
そう思いながら。
急激に増え始めたパーティ申請を見て、私は黙った。
ちなみに、申請してきた連中の自己紹介は――
【深淵最下層より帰還した“不滅の冒険者”!! 罠暴走、龍種襲撃、パーティ崩壊、補給断絶――数々の地獄を踏破! 128もの隊を渡り歩き、業界では“絶対に死なない男”と呼ばれる伝説!! 今なお英雄譚を更新中!!】
【ダンジョン時代最強クラスの自由冒険者! あまりにも規格外な実力ゆえ、協会評価システムを複数回バグらせた存在!!】
【“黒太陽事件”より唯一地上へ帰還した男! 崩壊迷宮帯を単独横断し、“三十七時間連続逃亡”伝説を打ち立てた超生存特化冒険者!!】
【複数国家の重点監視対象に指定された超規格外冒険者! 我が存在そのものが、ダンジョン時代の伝説である!!】
……うん。
私たち、まだ盛り方が甘かったかもしれない。




