表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
387/390

第387話「第三層・怠惰の微笑」



 霧は薄い。足元は白い砂。頭上では、ゆっくり回る扇灯がカラカラ鳴り、風のない空気をかき混ぜていた。

 セイン、ミリア、エリシアの三人は、音の少ない回廊を進む。壁は淡く光り、先が見えるようで見えない。


「……拍がズレる」

 セインが眉を寄せ、胸元のペンダントを指で軽く叩く。未来の“窓”が狭む感覚。いつもなら一拍先がはっきり見えるのに、今日はせいぜい半拍ぶん。息が合わない。


「空気そのものが“夢”じゃ。気を抜けば、すぐに飲まれるのう」

 ミリアが顎で示す。広間の中央、円座に座った人々が、全員、笑顔のまま眠っている。子ども、老人、若い夫婦。みな同じ方向を向き、同じ微笑で固まっていた。


 エリシアは無意識に剣の柄を握りしめる。

「……気持ち悪い笑顔。作りものの笑顔だ」


 広間の奥で、木魚の乾いた音が一つ。白木の数珠を持つ痩せた僧が、影から現れた。首には笑う面をぶら下げている。目は笑って、声も柔らかい。


「よう来た。喜べ。怒れ。恐れろ。お前たちの感情は、我の糧だ」


 僧は合掌した。

「わしは《睡魔僧ユウガ》。怠惰の司教ゼノウの“分祀”にすぎぬが、役目は果たそう。楽に、静かに、眠る道を示す」


 セインの未来視がふっと曇る。怒りが喉に上がり、踏み込みが荒くなる。体が重い。関節が硬くなる。

「……ッ!」


「怒るほど重うなる。ええ調子じゃ」

 ユウガが笑面を撫でた。床に見えない輪が広がり、重力が一段上がったような圧が来る。


 エリシアの目に“影”がよぎる。トーマが振り向く、幻の背中。息を呑み、喜びと不安がいっぺんに胸を揺らす。刃の出が、かすかにズレた。

「くっ……!」


 ミリアは円座の笑顔に、知らず口元が緩む。安堵。次の瞬間、足元に黒い印。

「《恍惚印》——微笑み、いただいた」

 ユウガの数珠が鳴り、ミリアの魔力が吸われるように抜けていく。


「楽だろう? 痛みのない、温い眠りじゃ」


「——“静”に落とす」

 セインが短く言った。喉の熱を押さえ込み、胸の拍を“平ら”にする。怒りも焦りも、いったんゼロ。

 剣先がわずかに下がり、足裏の重心が静かに決まる。未来の窓が、ふっと広がった。さっきまで半拍ぶんだった視界が、もう一拍先まで届く。


「合図、了解」

 ミリアが低く歌い出す。響きは細く、長く、まるで遠い森の小川の音。言葉はない。けれど胸のざわつきが削れていく。“喜”“怒”“恐”の波が、緩やかになる。

「《静謡》……落ち着け、落ち着け、戻れ」


 エリシアは鞘に親指をかけ、息を長く吐いた。

「——居合《空》。感情は刃に載せない。今だけは、空っぽで行く」

 腰が決まり、右足の小指が床を掴む。鞘口が軽く鳴る。


 ユウガの笑面が、初めてわずかに傾いた。

「おや。煽っても揺れぬ。ならば……“上”を使うか」


 数珠が一段大きく鳴った。広間の天井が薄く透け、遙か上に“梯子”のような影が走る。

「《大夢梯子》。地上の眠りを、ここへ繋ぐ。今、外の避難路は揺れておるぞ?」


◆  ◆  ◆


 ——地上・泡回廊。

「お主ら、列を崩すな! 慌てるでない!」

 セリスティアが杖を叩く。半透明の橋が一本増え、逃げ道が二本から三本へ。泡の壁がぶるぶる震えるたび、修復の光が走る。


「通せ! ここは我らが押さえる!」

 ノブナガの武士団が、泡の橋脚に殺到する夢影をまとめて弾く。袈裟掛けの一刀、二刀。揺れる導線は、ぎりぎりだが保たれていた。


「ちょいと失礼」

 黒犬——カツイエが、橋の根もとに走る黒い筋を一閃。乾いた音で“節”が切れ、揺れが半分に落ちる。

「今のうちに行けぇ!」


 桃姫は護衛を引き連れ、子どもと老人の隊を抱えるように移動させる。

「焦らぬ! 焦らぬ! 息を合わせろ!」

 背でエルンが短く指示を飛ばし、落伍者を引き上げる。


◆  ◆  ◆


 広間。ユウガは穏やかに合掌したまま、三人を“柔らかく”締め上げる。

「選べ。喜べば吸う。怒れば重くする。恐れれば視界を裂く。楽では、ないか?」


「選ばないよ」

 セインが一歩進む。剣が音もなく走り、ユウガの足運びの拍に、細かく“刻み”を入れる。

「《等拍連穿・刻み針》……こっちの拍で、そっちの拍を乱す」


 ユウガの指先がわずかに遅れる。恍惚印から憤輪への切り替えが、半拍ぶんずれた。


「今!」

 ミリアが歌を一段深く落とし、両手を胸の前で組む。

「《静流封》——三つの回路、静かにして!」

 笑面の内側で回っていた“感情の輪”が、押さえつけられる。回転は止まらない。けれど、はっきり遅くなる。


「核はどこ」

 エリシアの視線が数珠の結び目に吸い寄せられる。指が鞘口を滑り、糸のように細い呼吸ののち、

「——空閃」


 キィン、と高い音。

 ユウガの数珠がぱちぱちと弾け、笑面が床を転がった。

「おや」

 柔らかな声が、初めて素の響きを漏らす。


「ここで寝かせる気はない」

 セインが詰める。ユウガの足が滑る。重力の輪はまだ残っているが、切り替えが追いつかない。


 ユウガはふっと目を細め、天井を見上げた。

「外は、持つ。ならば——ここは、終いじゃ」


 数珠の残りが自らほどけ、ユウガの胸に戻る。僧は静かに膝をついた。

「主に会う器は、ある。……行け」


 次の瞬間、黒い紙片がひらひらと落ちてきた。表は真っ黒、裏に墨の滲み。紙は勝手に開き、滲んだ線が地図になる。街路が曲がり、門が歪み、文字が浮かぶ。


 ——《薄闇の巡礼街》。


 ミリアが紙にそっと指を当てた。

「座標……“礼拝路”。これをたどれば、ゼノウに届く」


「狩りの道だな」

 セインが息を整える。胸の拍はすでに静か。未来の窓は、元の広さに戻っていた。


「やっと見えた。斬るべき“核”が」

 エリシアが笑う。いつもの鋭い笑み。感情は刃から降ろしている。けれど目は強い。


 ユウガの体が、塩のように崩れていく。消える間際、僧は声を落とした。

「眠りは、甘い。だが、お前たちの“静”は、もっと甘い。……主よ、これは面白い。」


 僧が消え、広間の笑顔がばらばらにほどける。円座の幻が砕け、白砂に吸い込まれていった。扇灯の音も止む。


 黒い紙は、ふわりと燃え始める。灰が細い筋になって舞い、広間の出口——北西へ流れていった。


「方角、出たのう。北西じゃ」

 ミリアが息を吐き、うなずく。

「……セイン。さっきはありがと。静かにって言われなきゃ、笑うところだった」


「俺も。怒りに引っ張られかけた」

 セインは笑う。照れくさい笑い方だ。

「でも“静”はやれる。何度でも」


「——行こう」

 エリシアが先に歩き出す。歩幅は変わらない。足音は軽い。

「この先が本番。ゼノウの首、必ず取る」


◆  ◆  ◆


 地上・泡回廊。

「止んだのう」

 セリスティアが杖を下ろす。泡の揺れが静まり、橋はぴんと張り直された。


「通行再開。淀むな、行け!」

 ノブナガが手を振る。武士団の視線が一斉に緩む。誰も声は出さないが、ほっとした表情が走った。


「やれやれ……年寄りには効く揺れじゃった」

 黒犬が肩を回し、にやっと笑う。

「だがまあ、若いのが決めたのだ。気分がよい」


 桃姫は胸に手を当て、遠くを一度だけ見る。

「……信じています。必ず、戻ってくる」


 エルンが頷いた。

「戻ったら、仕事は山ほどだ。避難路の常設、物資、巡回。やれること、全部やる」


◆  ◆  ◆


 第三層の出口で、三人は一度だけ振り返る。

 白砂の広間は、もう“無”に近かった。足跡だけが淡く残り、扇灯の影が細く伸びている。灰の筋は途切れず、北西へ。


「ここからは——“狩り”だ」

 セインは拳を軽く握り、前を向く。


「逃がさない」

 ミリアの声は低い。静かなまま、芯が熱い。


「斬る。浮かんでは消える“眠り”の核を、全部だ」

 エリシアが頷いた。


 灰の筋が、風もないのにするすると進む。三人はそれを追う。

 次の狩り場——《薄闇の巡礼街》へ。

 「面白かった!」


 「続きが気になる、読みたい!」


 「今後どうなるの!!」


 と思ったら


 下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から、作品の応援をお願いいたします。


 面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!


 ブックマークといただけると本当に嬉しいです。


 何卒よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ