クィライスでの再会
いつもより長めです。
夕陽が沈む寸前、クィライスの石畳の路地に、旅の足取りが音を刻む。どこか古びた城塞都市の風情を残した町並みは、廃都よりもはるかに人の気配が多く、商いの声や煙の匂いが柔らかく旅人を包んでいた。
「……ここが、クィライス」
ユリオがつぶやくように言った。サリウスがうなずき、バルクは目を細めて周囲を見回す。ディランだけが、誰よりも早く前方の人影に気づいて立ち止まった。
そして、先回りしていた彼女が歩み寄ってくる。
「ようこそ、クィライスへ――お待ちしておりました、ユリオ様」
変わらぬ笑顔で、ルーヴィアが腕を広げた。月明かりに淡く照らされたその姿は、旅立ちの日と同じく整えられており、黒衣の上に薄い外套を羽織っていた。冷たい空気の中で、その微笑はどこか人工的にさえ見えた。
「ルーヴィア!」
ユリオが駆け寄る。ルーヴィアはやわらかく抱きしめた。ほんの一瞬、その瞳に哀しげな影がよぎったのを、誰も気づかなかった。
「お身体は……お変わりありませんでしたか?」
「うん、元気。みんなも一緒にここまで来てくれたんだ」
後ろを振り返るユリオに続いて、ディラン、サリウス、そしてバルクが近づく。ルーヴィアは一礼しながら、それぞれに丁寧な視線を送った。
「お変わりなく、何よりです。バルク殿、サリウス様、ディラン様。……あれから色々と調整がありましたが、最低限の“迎え”は差し向けずに済みました」
「“迎え”……? お前、何をどこまで手を回してるんだ」
ディランが鋭く問いかけたが、ルーヴィアは軽く首を傾げる。
「…、何のことでしょう? ともあれ、町の外れに簡易の宿舎を設けております。食事も湯も、すべて準備済みです。ご案内いたします」
その言葉にユリオは嬉しそうに笑い、バルクはほっと息を吐いた。だが、サリウスとディランは顔を見合わせ、沈黙のうちに歩き出す彼女の背を見つめ続けた。
用意された宿舎は、石造の古い貴族邸を簡易的に整えたもので、見た目に反して内装は暖かく、暖炉の火が既に灯されていた。
「この部屋は、ユリオ様専用です。ゆっくりお休みになってください」
案内されたユリオは、どこか不思議な表情で部屋を見回した。
「……懐かしい気がする」
「そうでしょう。設えは、あなたの“ご実家”に似せてあります。記録と記憶を頼りに再現しました。ご不満があれば、すぐに調整します」
ユリオは首を横に振り、そっと部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろす。
「ありがとう、ルーヴィア。君は……いつもすごいね」
ルーヴィアは微笑んだまま、視線を逸らした。
「――それほどでも」
その夜。食事を終えた一行は、館の裏庭にある焚き火の元に集まり、旅の疲れを癒すように静かな時間を過ごしていた。
「……いい町だな。ここなら、もう少しゆっくりできるかもしれん」
バルクが呟くと、サリウスが火に薪をくべる。
「ここが“安全な地”であれば、だな」
ディランは黙ってルーヴィアの気配を感じ取りながら、先程、火にくべられた薪のはぜる音を聞いていた。
その沈黙を破るように、ルーヴィアが現れる。焚き火の灯りに照らされたその姿は美しくもあり、どこか距離を置いたような雰囲気をまとう。
「……今夜は月が綺麗です。明日のことは、明日考えましょう。おやすみなさい、ユリオ様。皆さま」
その声に、ユリオは少し目を伏せ、静かに頷きベッドに入った。
火は静かに燃えていた。焚き火を囲む三人――ディラン、サリウス、バルクは、それぞれに物思いの中にいた。ユリオは既に眠りについており、ルーヴィアも「少し席を外します」と言い残して姿を消していた。
夜は深まり、町の喧騒はまるで潮のように引いている。けれど、その静寂の中に、わずかに混ざる“異物”に、最初に気づいたのはバルクだった。
「……囲まれてるな。五十人以上はいる」
ぼそりと呟かれたその声に、ディランとサリウスが同時に顔を上げた。バルクは目を細めたまま、焚き火に薪をくべるふりをしながら、肩越しに屋敷の方角を睨む。
「屋敷の周囲。距離をとって円形に布陣してる。あいつら、歩き慣れてる。傭兵か、それとも私兵か」
「……気配が妙だ。魔術の残滓が、屋敷の空間を浸食してる。これは……結界か?」
サリウスの瞳が淡く光り、周囲の魔力の流れを読む。そこにあったのは自然の魔力ではない、歪んだ意志によって張り巡らされた干渉領域だった。
「ルーヴィアの仕込みか……いや、評議会のものか?」
「違うな」
ディランが短く言い放った。風の音が違う――それが、彼に最初の警鐘を鳴らした。
「この町は、夜になると海からの風が抜ける。それが今夜は、まるで凪のように無音だ。空気が……閉じてる。ここはもう“外”と繋がってない」
無風のはずの夜に、焚き火の火が突然、ぱちりと激しく弾けた。三人は即座に立ち上がる。
「ユリオは?」
「寝てる。ルーヴィアが設えた部屋で、ぐっすりとな」
バルクの返答に、サリウスが舌打ちする。
「まずい。やつらの目的は――おそらく封印だ。ユリオが眠りについたことを合図に、儀式を発動する気だ」
「ルーヴィアは、最初から仕組んでた……?」
ディランが問うが、誰も即答できなかった。
あの時、クィライスへの旅立ちを前に、ルーヴィアはたしかに言った。
『“アレ”がありますから――』
その“アレ”が、ユリオに対する封印だとしたら。今まさに、それが発動しようとしている。
「時間がない。まずユリオを起こす。バルク、入り口を固めろ。俺とサリウスで魔法陣を潰す」
「了解。手荒にやらせてもらう」
バルクが上衣を脱ぎ捨て、鉄製の籠手を嵌める音が響いた。サリウスは巻物を展開しながら、小さく呪文を紡ぎ始める。ディランは剣の柄に手をかけ、屋敷の内部へと駆け込んだ。
――その頃。
ユリオの眠る部屋は、淡く金色の光に満たされ始めていた。
床に描かれた古代の封印術式が、静かに彼の周囲に浮かび上がる。その中心に横たわるユリオの胸元に、小さな印が刻まれていく。微かに苦悶の息が漏れるが、眠りからは覚めない。
そして、窓の外。夜闇に溶け込むように、フードを被った影が数体、屋敷を取り囲んでいた。
その中心には、ルーヴィアが立っていた。
「……これで、ユリオ様は再び“神の器”として安定されるでしょう。少なくとも、暴走の危険は――」
けれど、彼女の言葉は途中で途切れた。
屋敷の内部から、何かが“破られる”音がしたのだ。
ディランだ。あの男だけは、想定通りに動かない。
ルーヴィアの眉がぴくりと動く。無感情な仮面の裏で、微かな焦りが芽生えた。
「……予定より早い。ですが、手順はすでに進んでいる。戻るには遅すぎる」
ルーヴィアはそっと目を閉じる。
儀式の成否が分かれるのは、次の一瞬――。
* * *
屋敷の敷地に踏み込むと同時、風がざわめいた。
瞬間、バルクは刀身を抜くことなくその鞘を振り抜いた。
「――通すかよ」
唸る風と共に、三人の尖兵が吹き飛んだ。
装備された軽装甲がきしむ音。だが彼らはすぐさま立ち上がる。さすがは評議会直属の兵。
「数が多いぞ」
サリウスが冷静に呟く。
「いいから行け。……俺が抑える」
その背を守るように、バルクが前に出る。次々と姿を現す尖兵たちの中心に、すでに彼は立っていた。
「あの子を、殺させるかよ……!」
言葉の直後、爆ぜる地面。
踏みしめた大地が砕け、バルクの影が瞬きの間に三手先へと躍る。肉体強化と空間認識を限界まで高めた異常な動き。鈍重に見えて、全てが的確。強打、貫打、薙ぎ払い――。
一撃ごとに兵が崩れる。
彼は血を流していた。すでに数カ所を斬られている。だがその傷を気にする様子はない。
「誰も、通さねえ……!」
彼の目には、ユリオのためだけに振るう覚悟があった。
サリウスは結界の解析を終え、最短のルートを確保すると、ディランと共に屋敷内を駆けた。
「封印術式は……異質だな。通常の記憶封印じゃない」
「行けば分かる」
ディランは風の音を聞いていた。流れが不自然だ。風が、屋敷の中心――ユリオの部屋を避けている。
扉を蹴破ると、そこには――
「ユリオ……!」
中央に設けられた封印陣。その周囲に立つ三人の評議会員。そして――術式の中心で、眠るユリオ。
「介入するな。これは――」
応じる前に、風が咆哮した。
ディランの放つ衝撃は刃のように鋭く、声を発する間すら与えず、評議会員の二人を吹き飛ばす。残る一人が詠唱に入ろうとした瞬間、ディランの蹴りが鳩尾に突き刺さった。
「……ルーヴィア」
残されていた妙齢の女性に、彼は手を伸ばす。
動かない。ルーヴィアは静かに目を伏せたままだった。拘束魔法の紋が手首に展開され、床に縫いとめられた。
「この陣……“共鳴封印”か。神性と記憶を断絶させる……!」
サリウスの目が鋭く光る。
「……だったら、力でねじ伏せる」
詠唱ではない。意思を魔術核に叩きつけ、瞬間的に回路を逆転させる。
彼が解き放ったのは禁じられた干渉術。世界の“記憶”そのものに干渉し、封印陣を逆流させる。
床に刻まれた文様が蒼白く火花を散らし、崩壊を始めた。
「ユリオ、目を覚ませ!」
その叫びに応じるように、ユリオのまぶたが震える。
「……ディラン……?」
拘束の魔法に縫いとめられたまま、ルーヴィアは目を伏せて呟いた。
「間に合いましたか……。なら、よかった」
彼女は苦笑のような表情を浮かべ、視線をユリオへと向ける。
「この封印は、呪いではありません。彼を、この世界に繋ぎとめるための“楔”です」
彼女の声は、静かに、だが確かに響いた。
「……あの子は、今も“神の転生体”として存在しています。セインの庇護を失った今、神性があふれ出す危険は日増しに高まっている」
うつむきながらルーヴィアは続ける。
「このままではいずれ、彼自身が壊れる。記憶を、感情を、思考を保てなくなる」
彼女はディランを見つめた。
「あなたたちが彼を守ると言っても、暴走すればその手では止められない。だから私は“止められる術”を施そうとしたのです」
「完全封印ではありません。解除条件を残した、可逆の術式。彼が“世界に適応できるようになるまで”の、一時的な眠り」
言葉を選びながら、それでも迷わず、彼女は続ける。
「評議会は、抹殺以外の選択肢を持ちませんでした。私は、時間を稼ぎたかった。それだけです」
ディランが何かを言おうとしたその前に、ルーヴィアは小さく首を振った。
彼女の言葉が終わると、しばしの沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、ディランの低く、押し殺した声だった。
「――神に、感情は要らないのか」
彼の瞳は、拘束されたままのルーヴィアに向けられていた。怒りでも、悲しみでもない。ただ、そこにあるのは疑問と、真実を見据えようとする強い意志だった。
ルーヴィアは目を伏せ、わずかに唇を震わせる。
「……必要ないと、言われています。神は感情を持つべきではないと、そう教えられました」
「なぜだ?」
「感情は平等を歪めます。悲しみや喜び、怒りや慈しみは、“誰か”を特別にする。それが“神”の在り方には相応しくないと、神々の中では……」
彼女はそこで言葉を止め、一度、深く息をつく。
「――愛することさえ、罪なのです」
ディランの表情が動いた。
押し殺したように、拳がわずかに震えた。
そのとき、ふと寝台に横たわるユリオが微かにまぶたを震わせた。
サリウスが即座に駆け寄る。
「ユリオ。……聞こえるか?」
「……サリウス、さん……」
かすれた声。それでも、確かに目を開けた。
封印は完全には働いていなかった。サリウスの術式破壊が、彼を目覚めさせたのだ。
ディランがそっと寝台に膝をつき、ユリオの手を取る。
「……おはよう、寝坊助」
「ディラン……? みんな、……ここに……?」
安堵の笑みが、ディランの顔に浮かぶ。
その光景を見届けて、ルーヴィアが再び口を開いた。
「……よかった。本当に、よかった……」
サリウスが目を細める。
「……お前は、なぜそこまで詳しい? 封印の術式も、神性の危険性も。普通の魔術師が触れられる領域じゃない」
ルーヴィアは一度、静かに目を閉じてから、囁くように答えた。
「……私は、十代の初めに“聖女”と呼ばれていました」
「聖女?」
「神に愛された子として――神の声を聞ける者として、生の神に仕えたのです」
サリウスが目を見開く。
生の神――それは、ユリオの前世。神性を持ち、世界の均衡の外にいた存在。
「……だから、こんな特殊な封印を使えるのか」
ルーヴィアはゆっくり頷いた。
「生の神の聖女として、ユリオ様から……たくさんのことを教えてもらいました。神々の在り方も、転生の真実も。……私は、彼の最期に立ち会い、その転生を見送りました」
「……!」
「そしてその“記憶”が、評議会に知られました。私は“特異点”と判断され、評議会の一員に引き上げられました。……否、“駒”として利用されるようになったのです」
その目に、初めて後悔の色が浮かんでいた。
「生まれ変わったユリオ様を、彼らは危険視していた。私はそれを否定できませんでした。……神を愛した過去が、罪とされたのですから」
ディランは、ただ黙って彼女を見ていた。




