1. 前途多難
聞こえてくるのは鳥の囀り、小川のせせらぎ。虫の音が聞こえてこないのは季節が夏を迎えていない為か。黒い岩だらけの沢から見上げると、まるで地面から茅葺屋根が生えてきたような家の天辺が見える。釜に水を汲みつつ、仕掛けに魚がかかっているかを確認する。うん、良きかな。
痩せ細った両腕に力を込め、3mはある斜面をゆっくりと登ってゆく。
ここを見つけたのは3日程前だったか。それ以前は何をしていたのかはっきりとは思い出せない。おそらくは食い扶持に困った家から追い出されて、数日彷徨った後にたどり着いたのがこの場所だったのだろう。家の中には通日分食つなぐことができる穀物が保管されており、囲炉裏には滅多にお目にかかれない鉄製の鍋まで設置されていた。以前は誰かが住んでいたんだろう、なんらかの理由があって放置されたのではないか?
いずれにせよ、なんとか命を繋ぐことができた。
木くずに石を使って着火させ徐々に太い薪へ火を移してゆく。数日もすれば灰が貯まり、炭火を保存することもできるだろうか。
鍋に穀物と水を入れ石の竈に掛ける。煮える前に石包丁で川魚の腸を取り、やや長めの枝に刺し火にかける。魚に塩をまぶしたい所だが、無いものは仕方がない。沢の上流に行けば岩塩を採取できるような場所もあるだろうが、そこまでの気力と体力が戻ってきていない。出来るだけこの家から離れたくない。
とは言っても、穀物の備蓄が心もとない。主食がなくなればまた飢えることになってしまう。山に入れば食べられるものもあるだろうが、何が食べられて何が毒なのか判断ができないのがつらい。今は雨も降っていないが、雨季が来れば無暗に分け入るのも危険が伴う。現状維持では立ち行かなくなる。
外に出る。背後にはここにたどり着いた時に通った細い道と鬱蒼とした森で、その向こうには山が連なっている。
家の前に流れてる沢の方に視界を移すと、左右に稜線が見え、さらに遠くに山並みが見える。周りを山に囲まれている。盆地というやつか。あの山がどのくらい続いているのかも想像できない。食料を補充できるような土地はあるのだろうか? 軽く絶望感を覚える。
まぁ、まずは腹ごしらえだ。空腹時に悩んでも暗い考えになるだけだ。もっとも、食べたからと言って状況が変わる訳でもないのだけれども。
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食事を終え、汚れた鍋を持って沢へ降りる。残された食料もあと2日という所だろうか。それに塩も欲しい。けれど家から離れたくない。
弱気な考えばかりしていたら腹の具合も悪くなってくる。いつもの水場から少し下流に行った所で腰を下ろし用をを足す。憚りというやつだ。紙はない。水洗いだ。手動のウォシュレットだ。異論は受け付けない。
どうにかして現状を打破しなければ詰みなのだが相談できる相手がいない。以前住んでいた所はどうだったのか。一人じゃなかった分、絶望感は無かったのではだろうか。いや、どちらにせよ食べるに困ってはいたはずだが、ここまで追いつめられる事は無かったのではないか。
手洗いを済ませ立ち上が
「ウゴクナ」
ろうとした時、背後から重く低い声が聞こえた。数日振りに聞いた自分以外の声。おそらく身動きを取らないで下さいという意味だろう。言葉は理解した。そのせいか体が全く動かない。背中に氷を押し付けられたようなゾクリとした感覚。もし麻痺毒を受けたらこうなるのか、そう思ってしまうくらい四肢が硬直している。
「トウ。ナニヲシテイル」
声のボリュームが上がった。わずかに怒気が含まれているような気がする。気付けば口だけが動くようになっていた。ただ、パクパク鯉のようには動くのだけれども、肝心の言葉が出てこない。そういえば、言葉ってどうやって発すればよいのか?
先ほどまではハッキリしていたはずの脳が重くなり、混乱している事を自覚する。怒られるような事をしたのだろうか、それとも敵だと思われたのだろうか?
こちらは丸腰だ。しかも中腰でズボンもまだ上げきれてない。丸出しだ。いや、そういう事ではなく、まずは敵意がない事を伝えなければ。何とか身振り手振りで伝えようとしたが、動くのは口ばかりで体は一切動かすことができない。
しばらく無言の時間が流れる。ありがちな表現だが、実際には2~3分なんだろうけど30分は過ぎたかと感じた。中腰の膝がガクガク言い出した所でようやく体が動くと自覚し、恐る恐るズボンを上げながら機械仕掛けの人形ようなカクカクとした動きで振り向く。どうか敵意をむき出したムサイおっさんが居ませんようにと祈りつつ。
そこには敵意むき出しのムサイおっさんが弓をこちらに向けて立っていた。




