心は揺らぐ雲のように
■この小説は平日更新予定です■
※しばらく、0~20時でそれぞれ時間を変えて更新します。
それ以降になる場合や、更新が難しい場合は活動報告でお知らせします。
ダミアンには姉がいた。
いた、という表現はもっともそのままで、彼女はもうこの世にいない。二十年前の夏、ダミアンが四歳のときに十九歳という若さで死んでしまった。
理由は明快。流行病で生死の境をさまよった弟のダミアンを助けるために霊代を得、その力を行使した代償として命が尽きてしまったのだ。
その後、姉の霊代が起こした事件の所為で、父ビクトルと生き残ったダミアンは貴族の籍を追われ、ルーシェン領主が密かに用意してくれた市井の家でひとりの侍女だけを伴にひっそりと暮らすことになる。
世話をされることに慣れ切っていた父は初め相当苦労したようだったが、持ち前の大胆な性格で見事庶民の暮らしに溶け切って見せ、ダミアンが貴族籍に戻り王都で就職した今でも独り気ままに暮らしているのだから大したものだ。
ダミアンは今でも思う。姉は何故、腹違いの弟などを助けるために霊代を生む程の祈りを捧げられたのだろう、と。父や周囲は姉弟仲が大変良かったのだ、と言って慰めてくれたが、自分はその頃の記憶が曖昧で姉のことをよく覚えていないから実感がまるで無かった。
それでも、頭の片隅に彼女の影があったことは事実。
ルーシェンの館で、ユエがまとった薄青のドレス。あれは姉が昔着ていたドレスだ。もちろん着飾ったユエの変わり様に驚いたのもあったが、姉と同じ金糸の髪と相まってダミアンの脳裏には薄らと遠い記憶の中の姉の姿が蘇ってきていた。
そして、不覚にも熱を出してしまったアンパロの宿。看病のためにユエが取った「首元に触れる」という動作が、おそらく流行病の熱にうなされていた幼い頃の自分に姉がしてくれたものと同じだ、ということに気づき。
同じ年頃で、霊代を得た少女。どこかしら似た所のある彼女達。
姉と、ユエは違う。もちろん分かっているつもりだったが、一度気になってしまえばつい目で追うことを止められなかった。ユエの愛らしい容姿は好ましいし、女性らしくない思慮深い言動もダミアンには心地良い。
好き、なのだろうか。気になっているだけ、かもしれない。
それでも、出来る訳が無いと思っていた結婚をユエとならしてもいいと思えるくらい、彼女のことを気に入っているのは事実だった。
「地図ならボクにおまかせ!」
「薬草ならいくらでも出しますよー。ただし、お金は市場価格分プラス、取り寄せ手間賃として三割増しでいただきます」
目の前で繰り広げられる白イタチと小人の大道芸。あれこれと探りを入れようとするダミアンの上司にあたる人々に、ムッカは「何もできません」というお馴染みの態度を貫く。
三体と数は多いが大きな力を発揮できない彼らに、研究者たちが肩を落とすのが分かる。ぼそぼそと漏れ聞こえる言葉の端々から、「しょうもない力だから三体と契約できたのか?」「いやでもそれでは最初の『人を殺し、傷を癒した』という報告と相違があります」「一度きりの能力だったのでは」「でも人型を維持しているぞ」と好き放題言っているのが分かった。
本当のことを言うつもりはないし、好きなように言ってくれればいい。霊代たちがそうやって研究者の気を引いてくれているおかげで、ユエは当たり障りのない答えを返すだけで後は目下進行中の問題案件をどう解決するか考えていれば良かった。
「ごめんね。皆、ありがとう」
「ううん。いいんだよ。ユエもそれどころじゃないでしょ?」
「何てったってお貴族様から求婚されちゃいましたからね。どうするんです?」
「……本当、どうしたらいいのかしら」
部屋から解放された後、ダミアンの研究室まで歩くユエの足取りは重い。もちろん先の見えない結婚など乗り気のわけがないが、ユエの常識辞書には「貴族の求婚をおいそれと庶民が跳ね付けることはできない」とある。
そんなユエを余所に、ふん、と鼻息荒くムッカは意見する。
「嫌なら断っちゃえばいいのよ。ダミアンだって文句は言わないわ」
「そう簡単に断れないわ……。だって相手は貴族、しかも王都での生活を援助してくださる方なのよ?」
「ユエは真面目過ぎ。いざとなったらレジェスのところに身を寄せちゃいなさい。孫のためなら喜んで家も何も全て用意してくれるわよ。ああ見えて甘いから」
至極楽観的なムッカは楽しそうに笑う。はあ、と暗い溜め息を吐いてユエは眉根を寄せた。
とりあえず「少し考えさせてください」とでも言うしかない。時間を置けばダミアンの頭も冷えるかもしれないし、と淡い期待を抱きながら、ユエはたどり着いてしまった研究室のドアをノックした。
*****
ティハは枯れ草の中に寝転んで空を見ていた。
周囲を建物に囲まれたこの中庭は、極端に緑の少ない王都にあって数少ない憩いの場所だ。空気は冷たいが、太陽の光を浴びていればぽかぽかと暖かい。緑はすっかり立ち枯れて、それでも彼らは眠っているだけで少しずつティハに力を分け与えてくれていた。
そうしているうちに太陽が傾き、建物の影に隠れてしまう。光の届かなくなった地面に身を横たえ、それでもなお茜色に染まる空を見続けていたティハにひとつの影が近づく。
「まだここに居たのですか」
ユエだった。王都に来てから質の良い服を着るようになり、さらに髪型もおさげから下ろした形に変わっている。どこかしら大人びた雰囲気を出し始めた少女は、つい最近十七歳になったと言っていた。
本当に、人間というのは成長が早い。蜥蜴だった時分はさておき、変化を感じなくなって久しいティハにはまぶしいばかりの変化だった。
「ティハ?大丈夫ですか?」
「……ああ。問題ない」
答えて、身を起こす。そんなティハの隣に、ユエはそっと腰を下ろした。
「空を見ていたのですか」
「そうだな。……いや、どちらかと言えば、緑が恋しくてずっとここに居た」
「ふふっ。緑が恋しくて、ですか。……私もそんな気分かも知れません」
そう言って笑ったユエはそっと枯れ草の表面を撫でる。その手つきは愛おしげで、懐かしげで。ラガルティハの森を自然と思いだしてしまうような、胸が締め付けられる様だった。
ティハはふと思う。あの手で鱗を撫でられれば、きっと気持ちいいだろう、と。
「……どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
ここは人間の領域。姿を変えることは叶わない。部屋だって、成人した男女は分けるものだと言われ、ここのところずっと別々だった。
ああ。森に帰りたい。ユエたちを連れて、帰りたい。
この本性を隠すばかりの生活に、ようやくティハは飽きというものを感じ始めていた。
*****
弟子のルイに採ってこさせたヨクーデルの束を検品しながら、バルバはそういえば、と首を傾げる。
「……ユエからの手紙が来ないねえ」
季節は冬に入り、シュトカ村も森も、少し色褪せた雰囲気が漂っていた。暖かい南の地、常緑樹はまだ色濃く緑を残しているが、下草も大半の木々もすっかり枯れ葉色をまとっている。
冬には土の下で眠りについてしまうヨクーデルは今の内に干して保存しておかないと通年納品は難しい。おそらく採集は今回が最後だろう、とルイも口にしていた。
寒さで少し痛み始めた膝を叱咤し、腰をあげる。今日あたり広場に行商の市が立つとレオが言っていた。
一向に来ないユエからの手紙。「運動がてら、久しぶりに遠出しようかね」とつぶやきつつ、バルバの心に小さな不安が膨らみ始めていた。
今日もご覧いただきありがとうございますm(__)m




