ひやかしとリンゴはいつもいっしょ
「気分もましになったので、師匠の家に寄ってから帰ります。中で静かにしていてくださいね」
すでにポケットにもぐっている霊代たちだけに聞こえるようにユエはそっと囁く。
辺りはまだ明るく、道には仕事を終えたらしい村人が行きかっている。返事はできないはずなので、ユエはその答えを待たずバルバの家の扉をくぐった。
最近は暑いので通気のために玄関は開け放たれたままになっている。
「師匠、戻りました」
声を掛けると、ごりごりと響いていた何かを削るような奥の物音が止んでバルバが顔を出す。
ふわり、と強い薬草の香りがして、ユエは彼女が調合していたのだと知った。薬草を細かくする薬研を使っていると飛び散った破片で服に匂いが移る。
「早かったね。何か気になるものはあったかい」
手招かれ、ユエは薬部屋に入った。
小さな引き出しが無数についた箪笥が壁を覆う部屋の中央、机上には案の定薬研と、すりつぶす前の薬草やら乳鉢やらが乗っている。ユエは机に乗った薬草をいくつか目に留め、眉をひそめた。
「誰か、怪我でもしたのですか」
薬草のほとんどは、止血や消炎に効くものばかりだ。ユエは心配になって聞いた。
「ああ、ルイとトージが喧嘩したらしくてね。対したことないよ、まったく。動けなくなるまで殴り合うなんて迷惑だったらありゃしない」
師匠の手を煩わせるなんてルイの奴は薬師失格だ、とバルバがぼやく。
ユエは驚いた。ルイは人から伝え聞く限り温厚なイメージがあったからなおさらだ。
女性たちに村一番の男と騒がれるルイはユエの兄弟子にあたるが、年が離れているので三年前にユエが弟子入りした時にはもう独り立ちしていてあまり付き合いはなかった。
「あいつが受け持っていた客の分も、しばらく私が面倒みなきゃならない。それも師匠の勤めだからね。ちょっと明日から忙しくなりそうだ、手伝ってくれるかい」
バルバは自身の肩を揉みながらリストを取り出すとユエに差し出した。
もちろん、と頷いてユエはそれを受け取る。目を通すと外部との交易用や商店の他に、ちらほらと個人の名前も見える。
「……あ」
そこにレオの祖母の名前を見つけた。暑さで体調を崩したのだろうか食欲増進を目的とした処方が書かれている。
少し前に裏庭でやり取りしたことを思い出す。今も、剣塚に行っているのだろうか。
再び薬研に向かっていたバルバが顔を上げ、ユエを見やった。
「どうしたんだい。何かおかしな部分でもあったかい」
「……いえ、知り合いがリストに載っていたので、ちょっと」
「ああ、クリエルのばあさんだろう。……確か、孫はユエと同い年だったね」
クリエル、はレオの家名だ。バルバは少し考える素振りを見せる。
「個人のところの配達は、ユエにお願いしてもいいかい。ルイのところは外の商人ばかり相手にしているし、そう数もないはずだからね」
「分かりました」
ユエは迷わず了承した。
調合を学びはじめたもののまだ客に出せる程の腕はなく、もっぱら薬草集めや下準備しか手伝えないからだ。レオの祖母以外に載っていた個人の家も顔馴染みがほとんどだった。
「ああ、そういえば、今日は何か採ってきたのかい。早く帰った割に籠がいっぱいだね」
ひょい、とバルバがユエの籠をのぞく。
珍しいものをいくつか手に取ってうなずいていたかと思うと、脇にあった服に目を留めて眉を上げた。
「おや、何だい。男物の服じゃないか]
村人が着る服は男女それぞれ襟周りのデザインが違う麻の服なので一目見ればどちらのものか分かってしまう。
バルバがにやり、と口の端を上げる。
「ユエ、あんた男でも出来たのかい」
目に宿る好奇心の輝きを見て、ユエは慌てて首を振った。しどろもどろになって頬を染める。
「ちっ、違います!これは、父の服で……その、必要な人にあげようかなって、それで……」
その言い方では男が出来たことを否定できていないのだがこの子はそれに気づいていないのだろうな、とバルバは肩をすくめる。
見栄えの良い娘だが、両親に大事にされてきたために色恋に疎いところがある。そろそろ適齢期も近づいてくるし、結婚に向けて良い婿を探してもらわねばなるまい。そうすれば年寄りの心配もひとつは減るというものだ。
「まあ、せいぜい楽しめばいい。若いうちは経験してなんぼだ」
くつくつと笑いまた薬研に向かう。
後ろではリストに準じた薬草を引き出しから取りながらユエが違いますからね、と念押しのように叫んでいる。バルバはそれを面白く思いながら手を動かしていた。
*****
「もう、師匠ったら何度も違うって言ったのに聞いてくれないんだから」
自宅に戻ったユエはいきり立つ。頬はぷくり、と膨らんでリンゴのように真っ赤だ。
思春期前に両親を亡くしたユエは、それからの三年間毎日を過ごすので精一杯だった。周囲の女の子たちが誰がかっこいいとかあの子に告白されたとかで盛り上がっている間、生活費のために薬草を摘みバルバの元で知識を学んでいたのだ。それに、独りになって直ぐは正直そんな気持ちにもなれなかった。
というわけで、自分は恋愛事に全く免疫が無い。それは自覚している。だが今回は本当にバルバの勘違いだ。これはちゃんと訂正しなければならない。
「そんなに必死になって否定しなくても、ババもすぐに忘れるわよ」
意気込むユエにムッカが呆れて水を差す。
その隣で、ちびトカゲがひょいっと顔を出すとぽとりと床に落ちる。そしてぺたぺたと少しユエ達から距離を取ると、振り返って「きゅっ」と催促するように鳴いた。
ユエはつぶらな瞳と目を合わせ、首を傾げる。
「……なんですか?」
「ああ、服が欲しいのよ。そうよね?」
霊代同士、通じるものがあるのかムッカが通訳する。
ユエはそういう事か、と服を床に置くとちびトカゲに背を向けた。しばらくして、ごそごそと衣擦れの音が響く。
「もう、大丈夫だ」
向き直ると男の姿のティハがきちんと服を着て立っていた。
ユエは満足そうにうなずく。服を着なければユエの前で人の姿にならないでほしいと口酸っぱくお願いしたのだ。最初の着方講座はさすがに色々、色々頑張らなければならなかったが、指導の成果で今や立派にティハだけで着替えができる。
「ムッカ、調子はどうだ」
「全然平気よ。あたし、かなり燃費がいいから」
ティハはムッカの心配をしていたらしい。わざわざ調子を聞くために人の姿になったようだ。しゃべるだけなら黒蜥蜴でも良かったのだろうが、自宅の廊下は少し手狭だった。その心遣いにユエは嬉しくなって微笑む。
そうだ、と思いつく。お礼に夕食をご馳走すればいい。
「あの、夕食を食べていきませんか。ムッカを助けてくださったお礼です」
「……いいのか」
ティハは驚いたような顔をした後、ぱっと喜びの表情を浮かべた。
ああ、また目元が優しくなっている。ユエはちびトカゲの姿も可愛いが、この表情も好きだと思った。
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