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もてる男の条件

 ――場面は変わって、ティハが初めて人間に変化したその夜。


 黒蜥蜴は森の中を飛んでいた。もちろん翼や羽の類は持っていないので、木々に力を使い、枝に次々と投げてもらっているのだ。姿は蜥蜴に戻っていたが、その大きな身体に不釣り合いな短い手足を器用に動かして枝から枝へ飛び移っていく。


 しばらくすると、樹木の間からちらちらと灯りが見え始める。ユエの住む、人間の村だ。


 森と拓けた草地との境界で、ティハは地面に降りる。

 そして、昼間身に付けた「自分へ力を使う」ことを意識して体を変化させていく。どんどん体積をを減らし、最後には人の手の平に乗る程度の大きさまで縮む。


 傍目には何もいなくなってしまったように見える下草の間。ティハはどこにでもいるような黒い『ちびトカゲ』になっていた。


「きゅう……」


 確認するように小さな首を振って自身の体を点検する。そして自分よりも背の高いものしかない森の中を見上げた。

 懐かしい感覚だ。この世に生まれてしばらく、普通のトカゲだったころはこんな視界だったのだろう。


 ムッカに言われて村人を観察しに行こうと思い立ったはいいものの、黒蜥蜴の姿のままでは、早晩人に見つかって大騒ぎになってしまう。かといって、それほど大きな村でもないのに人間の姿で夜の道をうろうろしていても見知らぬ者がいると怪しまれるのがオチだ。

 ふつう、人間は警戒心が強い。ユエは、そう、かなり特殊な例である。


 あの後、森にひとり残ったティハは黙々と練習を重ねていた。

 ユエの姿はかなり近くで見ていたのと料理への熱意が関係しているのか、比較的簡単に変化したり、戻したりできるようになった。しかし、便利だろうと思いついて森にいる鳥や蝶を真似ようとしても何故かうまくできなかった。四肢の使い方があまりにも蜥蜴の姿と違うせいかもしれない。

 まあ、移動には木々を使えばいいので、別に困らないといえば困らないのだが。少し悔しい思いをしたことは、自分だけの秘密にしておこうと思う。


 どうやら見慣れぬ姿を真似るのは力を使うようで、何度も何度も変化しているうちに久しぶりにへとへとになった。

 まったく、寿命といいこの力といい、自分はただのトカゲではなくなってしまったと思っていたが、それ以上に生物の枠組みを超えてしまっていたようだ。元の黒蜥蜴の姿が力も使わず一番楽だが、そもそも体が粘土のように形が変わる時点でおかしい。


 ここ数十年は食欲もほとんどなくなり、かといってそれで体に支障をきたすこともなく。むしろ変化の練習で森からの力が減った時のほうが飢餓感が強い。

 ユエは「霊代」と呼んでいたが、自分は果して「生きている」と言えるのだろうか。


 彼女達が去り、森の中にあった明るい雰囲気は霧散する。話しかける者もなく独りでいると、森を彷徨う幽鬼にでもなったような気がして気分が悪かった。




 結局、村への偵察はティハが見慣れた、というよりも経験したことのある小さなトカゲの姿が採用された。これに変化するのは容易い。


「きゅ、きゅうぅ……」


 ただし、人間の言葉はしゃべれない。大蜥蜴のときも人語を発するのが難しかったが、ちびトカゲではあまりにも口が小さ過ぎるのか音を出すのが精いっぱいだった。

 やはり、人間の口のような繊細な作りでないとうまく発声できないのだ。ユエの前掛けにも入れそうな便利な姿だけに、ちょっと残念だった。


 気を取り直して、村の中へ足を向ける。

 まずは、森近くの「トージ」とやらの住処だ。特徴はムッカに聞いてある。四角い石積み――レンガというらしい――で青い屋根の家だ。


 少しずつしか進めないちびトカゲの姿に少し苛立ちながらも、目当ての家を見つける。するすると外壁をよじのぼり、窓枠に手をかけた。


 運の良いことに窓の木扉は開け放たれていて、暖かそうな色の灯りと何かを洗うような水音が漏れ聞こえていた。ちょこん、と窓枠に座り室内を観察する。


 中では、一人の男が木桶にはった水に入り布で体を拭っていた。もちろん衣服はすべて脱いで、そばの衝立の上に掛けられている。


「今日も疲れたなー……。はあ……しかし、納得がいかねえ」


 男の独り言を聞きながら、よしよし、とティハは腰を落ち着けた。ムッカの予想した通り、夜のこの時間は入浴時だったようだ。体を見るには最適だ。


 ちゃぷちゃぷと桶の中で水が揺れる。

 荷運びの仕事をしているというこの男は、事前情報通り体に綺麗な筋肉がついていた。腕や脚は重さに耐えうる強靭さとともに、瞬発力を発揮するしなやかさを備えている。肩や尻も適度な厚みがあり頑丈そうだ。


 ティハはその素晴らしさに感心する。自然界でもそうだが、こういう生命力を感じる体格の持ち主は異性にさぞもてるのだろう。

 そう思って、しきりに眺めていると。


「……ちょっと顔が良いからって、みんなルイに浮かれやがって。あんな軟弱なやつの何がいいんだか」


「……きゅ」


 ぶつぶつ吐かれた悪態に、ティハはおや、と思った。威勢のいい言葉とは裏腹に、男は傷心らしくしおれている。


「マリーの奴も、なんなんだよ。俺は気にしねえって言ってんのに、自分より背の低いあなたとは結婚できない、とか言って。結局ルイに粉かけたかっただけじゃねえか……」


 だんだんと言葉尻が小さくなり、しばらくして嗚咽が漏れてくる。逞しかったはずのその背中は、素晴らしい肉体がかすんでしまうほど小さく見えた。


「ぎゅう……」


 ……人間がつがいに求める条件は厳しいらしい。

 ムッカが「ルイ」も見たほうがいいと言っていたのはこういうことだったのか。ティハは得心する。


 せっかく人間の男になるなら、いろいろと便宜を図ってくれるユエが喜ぶ姿になりたい。そう思っていたが、どうやらその道のりはなかなか厳しそうだ。


 いや、料理の礼もできていないのだから、せめて一緒にいて楽しい見栄えを追及せねば。ここで諦めてはなるまい。

 そうティハは自らを奮い立たせ、窓枠から飛び降りる。そして乾いた地面にぽとり、と着地すると、また次の家を目指し走り出した。




 最終的に、ユエとおそろいのままでいたかったので、彼女の顔にルイの要素を追加し、さらにトージの肉体を彼が気にしていた背丈を高めにした形で、ティハの満足する「人間の男」が出来上がったのである。


 本人の予想以上に、というよりも、ひとたび社会に出れば色々と人間関係に弊害が出そうなほど女性受けする姿になっているのだが、今のところユエしか見る人はいないので被害は局所的だった。

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