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魔王様、喰われて人と出会う ①

 結論から言おう。  

 俺は訳あって、ある巨大生物の胃袋の中にいる。

 胃袋の内壁に背中を預け、下半身を液体に浸していた。  

 まるで天然の温泉に来て、露天風呂に浸かりながら夜空を見上げているかのようだ。

 今、魔界のトレンドはこのスタイルの入浴が流行っている。

 巨大生物に食べられ、胃袋の中を満喫する。その名も『ストマックツアー』。

 専属の添乗員は不在、旅費も一切不要。どなた様でもリーズナブルにお楽しみいただける極上のコース。

 普段の生活では決して味わえない「捕食される側」という貴重な体験。  

 消化が完了するまでに脱出できなければ、もれなく「あの世行き片道チケット」まで付いてくる、スリリングかつ、至れり尽くせりの無料奉仕となっておりま……せん。

 俺の下半身は消化酵素に服を溶かされて、すっぽんぽん。  

 見上げる天井は真っ暗で何も見えない。

 おまけに空気は生臭くて、生温い。


「ハァ……プラス思考でいこうと思ったが、無理だ」


 大体、俺が今すべきことは、ストマックツアー(笑)の消化酵素の湯を堪能することではない。脱出することだ。両足を地面に押しつけ、力を込めて立ち上がることだ……が、ぬかるみに足を取られて、踏ん張りが利かない。

 しかも、液体には粘度があり、纏わり付く。

 両足の自由を奪われていること、いや、現状のすべてに対して、急速にストレスが溜まっていくのがわかる。


「ふふふ。この程度の水気でこの俺を拘束しようなど片腹痛いわ! 一気に蒸発させてやる!」


 俺は深く息を吐き、怒りの渦を魔力へと変換。ドクン、と心臓がひときわ大きく脈打ち、熱を帯びた魔力が神経系を逆流して両足先へと集束していく。

 俺の自由と服を奪われた消化液の中で、俺の足先がぼんやりと禍々しい赤色に発光し始めた。  

 本来、水の中では成立し得ないはずの現象、魔力による強制的な「燃焼」が、絶対零度の深海でも消えない怒りの業火となって点る。

 その炎は周囲の液体を拒絶するように猛り狂い、膝、太ももへと侵食するように勢力を拡大した。


 《ジュジュゥゥゥ……ッ! ブブブブクブクブク!》


 両足全体が獄炎に包まれ、粘りつく液体が沸点を超えて激しく火柱を噴き上げる。

 消化液は盛大に湯気を上げ、凝縮された生臭い匂いを周囲へ強く撒き散らした。


「殿っ、いけませんっ!」


 その声と同時に、大地が大きく跳ねた。

 その勢いで俺の上半身はフワリと浮き上がるが、足元はそれでも離してもらえず、尻と背中を地面に打ちつけられた。


「ぐっ……!」

「きゃっ!」

「うぇあぁっ!」


 周囲でいくつか情けない悲鳴が聞こえる。

 しまった……俺としたことが怒りに身を任せてしまったか。

 主たる者冷静であれ。

 俺は落ち着きを取り戻し、怒りも炎と共に霧散した。


「ふぅ……」


 まずは状況の把握が先だ。


 《ボッ!》


 目の前にいくつかの火球を発現させ、天井へと向かわせる。

 一列となった火球がゆっくりと上昇し、縁日の提灯のように辺りを照らしだした。

 視界が開ける。

 そこは、およそ全長五十メートル、幅と高さがそれぞれ二十メートルという途方もない空洞だった。  

 窓一つない閉鎖空間の形状は、巨大なラグビーボールの内側を思わせる滑らかな楕円を描いている。

 俺がいたのは、その楕円の片方の端――行き止まりだった。

 視界に入る壁面はどこもかしこも湿り気を帯びた粘膜に覆われ、火球の光を鈍く、ぬらりと反射している。

 耳を澄ませば、この空間そのものが巨大な一つの臓器であることを突きつけられる音が響いていた。それは単なる音ではない。

 足元の肉壁から、そして湿った空気の震えから直接脳へと伝わってくる、地響きにも似た重低音――《ドクン、……ドクン》という、執拗なまでの脈動だ。

 心臓が送り出す膨大な血液が、太い血管を奔流となって駆け抜ける猛々しい摩擦音。肉の檻が呼吸に合わせてゆっくりと、だが力強く収縮するたびに、生温い粘膜が擦れ合う「ネチャリ」という生理的な嫌悪感を伴う音が重なる。  

 その規則正しい、それでいて逃げ場のない生命の鼓動は、俺たちが今、一個体の生存を維持するための「燃料」として取り込まれている事実を、無慈悲に、そして不気味に強調していた。

 足元は平坦とは程遠く、まるで巨大な横皺よこじわが連なるように、深い山と谷が幾重にも形成されている。

 皺の隆起は凄まじく、高低差が一メートルから二メートルに及ぶ場所も珍しくない。

 そしてその谷間には、俺の自由を奪っている粘り気のある少し濁った液体が、底の見えない沼のようにどっぷりと溜まっていた。

 周辺には、俺と行動を共にしていた仲間たちがまばらに散っていたーーだが、不思議と液体に捕らわれているのは俺だけだ。

 壁を調べている者。  

 匂いに顔をしかめて口元を塞いでいる者。

 その肩に乗って辺りを警戒している小さな者。

 腰を痛めて擦っている者。

 そして、俺の姿を見つけ、駆け寄る途中で派手に足を滑らせて液体にドブリとはまる者がいた。


「どういうことだ? 仁右衛門」


 直線距離にして十メートルほど下方、腰を擦っている和装の男――仁右衛門じんえもんに尋ねた。


「殿、恐らくここは『砂バクンガ』の胃の中です。無闇に刺激すると暴れ出し、全員が消化液の沼に捕らわれる恐れがあります。そして――この個体は雄かと」

「俺たちは雄の砂バクンガに喰われたというわけか。だが、なぜ雄だと思う?」

「はい。この大きさと、先ほどの流砂の下で待ち構えていたことが証明になるかと」


 砂バクンガの雄の成獣は、頭上を通過するものを何でも吸い込む習性がある。  俺たちは見聞を広めるため、見捨てられた地と呼ばれる『バステッド・デザート』を調べていたのだが、たまたま砂バクンガの真上を通過したことで餌食になったのだろう。

 話には聞いていたがこれ程巨大だとは……。

 あまり良い事態とは言えないが、希少種である砂バクンガの雄がいると判明したことは大きい。  

 雄がいれば、雌がこの地に現れる可能性も高い。

 道中の集落では、最近、家畜の消失だけでなく、作物や魔界人が行方不明となる不可解な事件が相次いでいるという。

 もし雌が繁殖期を迎え、この地に居着いたのだとすれば、それは砂バクンガの「幼獣」による略奪だと見て間違いない。

 巨大な蛙の姿をした砂バクンガは、その名の通り乾燥した砂地を好んで住処とする。

 興味深いのはその独特な生態だ。  

 雄は生涯の大半を砂の中に潜んで過ごす。自ら動くことはほとんどなく、蟻地獄のように頭上を通過するすべての存在を砂ごと一気に吸い込み、胃に収める。

 まさに受動的な捕食者だ。

 対して雌は、活動的で貪欲な性質を持つ。産み落とした大量の幼獣を近隣の集落や森に放ち、動植物から街の備蓄食料に至るまで、あらゆる「栄養」を組織的に略奪させるのだ。

 雌本体の食欲も凄まじく、周囲の資源を手当たり次第に食べ尽くし、ついには繁殖相手である雄までも喰らい尽くして、次の獲物を求めて別の地へと旅立つ。

 その過酷な生存戦略の中には、空腹に耐えかねて自らの幼体を食べてしまう成体もいるらしく、依然としてその生態の多くは謎のベールに包まれている。

 雌が居座った土地は瞬く間に砂漠化が進み、住民すらも捕食の対象となる。そのため、これまで「砂漠の災厄」として数多くの砂バクンガが大規模な討伐の対象となってきた歴史があるのだ。

 今では絶滅危惧種として保護を訴える声もあるが、とりわけ雄の数は極端に少ない。

 吸い込み範囲がこれほど巨大な成獣の雄ともなれば、もしかするとこの個体が、魔界に残された最後の一匹である可能性すら否定できない。

 発見出来たことは良い成果といえるだろうが、どうしたものか。


 内側から突き破って脱出するのは簡単だが、そうなればこの個体は死ぬ。  

 最後の一匹だった場合、種を絶滅させることになってしまう訳だが。

 絶滅すればどうなるか? 恐らく生態系が崩れる。

 これだけ謎の多い生物だ、どう転ぶかは詳しく調べなければわからないが、大抵は思いもよらない方向へ向かう。

 かといって、このまま消化されるわけにもいかない。  

 お互い、生きたままお別れするのが望ましいのだが。


「……」

「殿。拙者の『捌式はっしき』にて、背開きにいたしましょうか?」


 仁右衛門が腰の愛刀『霧切』に手をかけた。

 彼の家系に伝わるこの「捌き」の技は、元々は伝説的な包丁術として磨かれたものだ。

 その切れ味は細胞の結合すら乱さないほどに精密かつ鋭利で、対象が痛みを感じる暇さえ与えない。

 しかも単に切り裂くのではない。切り離した面を再び合わせれば、魔力による即座の自己修復によって、傷跡すら残さず元通りに繋げることすら可能にする、神業を超えた異能だ。

 たとえ巨大な魔獣であっても、鮮魚を捌くかの如く「背開き」にし、用を済ませた後に再び縫合し、何事もなかったかのように生かし続ける。それが仁右衛門の言う脱出プランだった。


「却下だ」

「えぇー、なんでダメなんですか、リエス様?」


 横合いから不意に投げかけられた声に、俺は視線を向けた。

 そこにいたのは、真っ白な仮面に白い道着、下半身には黒いスパッツ姿のナナ・ヤ・ウインドミルだ。

 彼女は重力を無視するかのように、垂直の壁面をまるで平地を歩くような軽やかさで伝い、逆さまのままこちらに向かって歩いてくる。

 その足元が粘膜を捉える音さえ、不自然なほどに無音だった。

 彼女は隠密・情報収集を専門とする集団【ウジャニール】の一員だ。

 ウジャニールは魔界の裏側で暗躍し、その正体は謎に包まれている。

 ナナもまた、例外ではない。

 常にその無機質な仮面で顔を隠しており、主である俺ですら彼女の素顔を一度も拝んだことがない。

 任務遂行のために己の個を殺し、組織の道具として生きる彼らにとって、顔を晒すことは死を意味するのだろう。

 仮面から漏れる声や、引き締まったしなやかな肉付きからは「若い女」であると推測できる。しかし、それすらも「演出」である可能性が拭えないのがウジャニールの恐ろしいところだ。

 骨格を自在に操り、声を模倣し、時には魔力で肉体のボリュームすら偽装する。今、目の前で揺れている豊満なボディラインも、その中身が屈強な筋肉質の男であったとしても驚きはしない。

 ウジャニールとは、『存在しながら何者でもない者』。性別、年齢、人種、そのすべてが不確定な霧のような存在なのだから。


「背中を開いて全員が出た瞬間、閉じようと考えているのだろうが……外は砂の中だ、開いた瞬間に砂が入ってくる。異物が切り口に付着すれば、元通りにつなげることはできまい」

「た、確かに……」

「ちょっとー! あたしがおるやろ!」


 高らかな声が空洞に響いたかと思うと、一番離れた隆起の影から、強烈な旋風が巻き起こった。

 その風を裂くようにして、ルナルが一瞬で「露天風呂の縁」まで飛んできた。

 彼女の移動はもはや飛行に近い。

 着地の衝撃で、生温い消化液が周囲に激しく飛び散り、俺を含めそれを浴びた者達は迷惑そうに拭った。

 俺を見下ろす彼女の髪は、魔力の昂ぶりによって逆立ち、炎のような輝きを放っていた。

 派手で露出度の高い衣装を好んで纏うが、それが彼女の完璧なまでに引き締まった体型をより一層強調している。

 陶器のように滑らかで白い肌と、背中まで届く長い髪。はつらつとした表情には、いつも少し濃い目の化粧が施され、その瞳は夜の闇を射抜くほどに鮮やかだ。

 激情家で、どこまでも自由。だがその根底には、誰よりも深い慈愛を秘めている。  それが俺の誇る妻であり、この胃袋の中という最悪の状況下でも、俺の不安を一瞬でかき消すことができる唯一の存在――ルナルだ。


「ゴラッ! リエス! てんめぇ、ルナル様の旦那を何年やってんだ? ルナル様の風で吹き飛ばせば、どうとでもなるだろうがよ! なんで妻のことを忘れてしまうんじゃい、ボケーッ!」


 ルナルの左肩に乗って、鼻息を荒くしながら俺を指差しているのは、イッスンだ。  正式名称はイッスン・シュワルツェ・フィリポビッチ。  

 身長はわずか二十センチメートル足らずだが、その体は鋼のように引き締まった筋肉の塊である。

 彼は【ナノヴィゴーレ(力小人)】という、魔界の歴史から既に消え去ったはずの古代種族だ。

 その小さな体からは想像もつかないほどの怪力を有し、全力で放たれる頭突きは、魔界一硬いとされている鉱石『カッチン岩』をも粉砕すると謳われている。


 かつて砂漠の果てで餓死寸前のところを、旅をしていたルナルに「珍しい生き物」として拾われたのが出会いだ。最初は威嚇し、毒づいていた彼だったが、ルナルが差し出した一切れの干し肉と、彼女の太陽のような明るさにすっかり毒気を抜かれたらしい。

 それ以来、彼は「恩返し」と称して、彼女の守護騎士気取りで仕え続けている。

 口は災いの元と言わんばかりに悪態をつくが、その忠誠心だけは本物だ。


「あいたっ!」


 威勢のよかったイッスンが、ルナルのデコピンを喰らって怯んだ。


「こーら。あんまり言いすぎたら、首が飛んでいくで? あと、今は動かんほうがええと思うわ」

「へ?」


 イッスンの首筋には、目を凝らしても見えないほど薄い刀身が触れる寸前で止められていた。

 仁右衛門の霧刀むとう――『霧切きりきり』だ。

 一見すれば、鞘から抜き放たれたことにすら気付かない。空気の揺らぎと、ゾッと背筋を撫でるような冷たい殺気だけが、その存在を証明している。

 刀匠、素材、その出自のすべてが歴史の闇に埋もれたこの一振りは、物質的な重みを排したかのような異形を誇る。

 霧状の水滴すら抵抗なく切り裂き、その切断面に一滴の水分も残さないと言われる超極薄の刀身。

 それでいて、魔界一硬い鱗を持つと言われている地龍『マージカッテーナ』すら、まるで豆腐か薄紙を撫でるかのように音もなく断ち切る。

 もはや「切る」という概念すら超越した、因果を断つような反則級の切れ味。それが仁右衛門の振るう、伝説の業物だった。


 仁右衛門はルナルの足元で片膝を突き、右腕を振り抜いた姿勢のまま静止していた。

 やがて刀を鞘に納め、脇に置くと、ルナルに対して深々と土下座した。


「奥方様。咄嗟のこととはいえ、大変な無礼をいたしました。かくなる上は拙者、腹を切ってお詫びいたします!」

「ええよ。悪いのはイッスンなんやから。でも、もし腹切るんやったら、あとできれいに引っ付くように切ってな?」

「ははっ! では、いざ!」


 仁右衛門は覚悟を決め、すっと顔を上げた。その瞳からは先ほどまでの狼狽えが消え、己自身へと向けられた刃のような殺気が宿っている。

 彼は迷いのない手つきで着衣をはだけ、鍛え上げられた上半身をさらけ出した。

 湿り気を帯びた胃袋の空気の中で、死を覚悟した彼の肌だけが白く、際立って見える。

 一度、深く重い息を吐き出す。それは腹の底に溜まった雑念をすべて排するための儀式のようだった。

 彼はどこからか、鞘のない抜き身の短刀を取り出した。

 鈍い光を放つその刃は、食材を捌く包丁と同じく、曇り一つなく研ぎ澄まされている。彼は短刀の柄を逆手に握り直し、その刃先を己の左脇腹へと静かに添えた。


「ビアス殿、介錯かいしゃくを……」


 仁右衛門は、やっとのことで到着したばかりのビアスに、愛刀・霧切を渡した。


「え? えええっ!?」

「ちょっと、ビアスが介錯したらお腹が引っ付いても死んじゃうやんか! おもろ」


 ルナルはこの『いつものやり取り』を、楽しそうに見守っている。

 すぐに止めるべきなのはわかっているが……俺もしばらく静観することにした。

 だって動けないし。股間押さえて横たわったままでは説得力も無いし。


「あ、あのぅ……仁右衛門さん、私、よくわかってないんですけど、死ぬのは良くないと思います! 以前『生涯、殿をお守りする』って言われてましたよね?  今ここで、自分の都合でそれを諦めるのは違うと思うんです」

「むぅ……確かに。しかし、どうお詫びすれば良いのか、拙者には……」

 ビアスは刀をそっと脇に置くと、仁右衛門の正面に回り込み、その両手を取った。

「仁さんにはこの両手があるじゃないですか、この手で作り出される料理は『なくしてしまうには惜しい』と言われて、リエス様やルナル様の配下になったと聞きましたよ。その料理が食べられなくなることは、ルナル様にとっては相当な損失ですし、美味しい料理を作り続けることが、一番のお詫びになるのではないでしょうか!」

「ビアス殿……」


 ビアスの言葉は、彼が抱いていた料理人としての誇りを呼び覚ましたようだ。

 仁右衛門は、溢れそうになる涙を堪えるように何度も瞬きをし、潤んだ瞳でルナルを仰ぎ見た。

 ルナルはそんな彼を見て満足げに頷くと、腕を組んで不敵に笑った。『これからも美味しいものを食べさせなさい』という無言の合意。それは仁右衛門にとって、何よりの救いであった。


「あぁぁ……奥方様……グス……」 


 仁右衛門は涙を拭い、立ち上がろうとした。

 ――が、足を滑らせて、ビアスに覆い被さった。


「嫌ぁぁぁぁぁっ!」


 瞬間、ビアスが激しく発光し、仁右衛門はまるで感電――いや、実際感電して体を激しく痙攣させると悶絶、プスプスと煙を立てながら、地面にキスした。


水狼すいろう】ビアス・バンババ。  

 その肉体には、高濃度の電気エネルギーを蓄積・制御する希少な寄生生物『雷虫らいちゅうテズ』が数体、共生状態で取り込まれている。

 テズは宿主の神経系とリンクし、感情の高ぶりや危機に反応して、殻を激しく摩擦させることで超高電圧の放電を引き起こすのだ。

 この放電は外敵への攻撃手段となるだけでなく、水狼自身の筋力を一時的に爆発させるブースターの役割も果たす。

 しかし、その代償は小さくない。

 電力を生み出すたびに宿主自身の肉体も激しい感電ダメージに晒されるため、これを制御し維持するには尋常ではない精神力と強靭な細胞組織が必要となる。

 魔界では、この『雷虫テズ』を体内にどれだけ多く飼い慣らせるかが、水狼族としての絶対的な「格」と「強さ」を証明する基準とされていた。


「あぁ~、やってしまいましたぁ!  仁さん!  仁右衛門さんっ!  大丈夫ですか!?  ……あぁぁ、呼吸してない!」


 ビアスはうつ伏せになった仁右衛門を激しく揺さぶる。


「大丈夫大丈夫」


 ナナがビアスの肩に手を置くと、ズイと前へ躍り出た。

 仁右衛門を仰向けに寝かせると、心臓めがけ勢いよく両手を突く。

 同時に、仁右衛門は「ぐぶぅっ!」と息を吐き出し、正常な呼吸を取り戻した。


「これで大丈夫、そのうち目を覚ますと思うよ」

「ありがとうございます、ナナさん……!」


 無事解決してよかった。最悪の場合は俺の一言でどうにでもなっただろうが、この姿ではなぁ。 

 それはそうと、意識が他に逸れていたが、俺を不自由させていた「消化酵素の沼」は、ビアスがいとも簡単に解決してくれた。

 水狼族の真髄は、その名の通り「水」との絶対的な親和性にある。

 普段のビアスは温厚な少女風の魔界人だが、能力を解放する際、その肉体は流動性を帯び、半透明の「狼」へと変貌を遂げる。

 液体に浸かったビアスの顔面からは鋭い口吻こうふんが突き出し、全身が青白く発光する液体状の毛並みに覆われていた。

 彼女はその流動化させた肢体を沼へと潜り込ませ、俺の両足に粘りついていた強固な粘膜を、まるで内側から洗い流すかのようにさらりと剥ぎ取ってみせたのだ。


「リエス様、もう大丈夫ですよ! ゆっくり足を抜いてください」


 水と同化したビアスの的確な誘導に従い、俺はようやく「露天風呂」から脱出した。

 もっとも、股間を両手で必死に隠したまま、無様な格好で引き上げられる魔王というのも、我ながら情けない限りだが。

 俺は岸に上がるなり、溜め込んでいた魔力を一気に練り上げ、一瞬で漆黒の正装を生成して身に纏った。


「で、どうすんだよ! その犬がおっさんをやっちまったから、荷物が増えたじゃねぇか!」

「ごめんなさいぃぃぃ……」

「いっそのこと、リエスが焼いたらええんちゃう?  この子は死んじゃうけどさ」

「最悪はそうするしかないだろうが、できれば殺したくはない」


 何かがバクンガの上を通過したタイミングで、逆流して飛び出すか? バクンガの胃は口から直結だったはずだ。

 だがいくらバクンガが大きいとは言え、世界的な視点で見れば巨大な砂漠の小さな点だ。

 そんなに都合よく何かが上を通過するとは考えにくいが……待つか?

 だがそうも言っていられない。

 今は高い位置にいるからいいが、低い場所は水位が上がっており、皺の「山」の部分はほとんど見えなくなっている。

 さらに、壁から定期的に出始めた液体は、沼より強い消化酵素だろう。

 俺たちの荷物にその液体が掛かると、ジュウと音を立てて溶けてしまった。

 このまま長時間、胃の中に留まるのは危険だ。


「リエス様ぁ、あっしが『胃袋返しの方術』で吐き出させましょうか?」

「……それだと、消化酵素に晒される危険があるんじゃないか?」

「わ、私が胃液と粘液を中和できます!  皆さんをお守りします!」

「アカン、あたしビチャビチャになりたないし!  あたしが無理やり口開けたげるから任せときって、ここはあたし一択やで!」

「さすがルナル様!  役立たずの種火魔王とは大違いですねぇ!」


 と、その時だった。


 《……バラバラッ、サラサラ……》


 どこからともなく、乾いた砂の粒が降り注ぐ音が聞こえた。

 天井を見上げれば、火球に照らされた闇の奥から、無数の砂がスターダストのように光を反射しながら舞い落ちてきている。砂バクンガの喉元、その「入り口」で、何かが起きている。


 《ズズッ、ズズズ……》


 続いて、大気を震わせるような重低音が響き渡った。地鳴りだ。

 それは遠くで響く雷鳴のようでもあり、巨大な山が崩れる音のようでもあった。  振動は胃壁を伝い、俺たちの足元の「山」を激しく揺さぶる。  


 《……ドォォォォォッ!!》


 空洞全体が凄まじく揺れる。もはや衝撃波だ。

 胃袋の粘膜が激しく波打ち、溜まっていた消化液が数メートルの高さまで跳ね上がる。

 各々が派手に転倒し、ぬかるんだ肉壁に叩きつけられた。

 悲鳴が上がる中、すぐに態勢を立て直したナナが、険しい表情で天井の「奥」を見上げていた。


「……アレ、なんすかね?」


 全員が息を呑み、天井を見上げる。  暗闇の向こう側から、何かが迫ってきていた。


「リエス様……! これっ、ヤバいっっっす!!」



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