38.こぼれ話 背丈は、追い越されても(前編)
本編13話のサイドストーリー。話の性質上、3話同時に更新します。1/3
スピノエスのルリヤ神殿、神官サディは貧しい家に生まれた。
伯爵領の片隅にある、小さな村だ。
絵に描いたような貧乏子沢山で、上にも下にも兄弟姉妹がいた。皆で畑の作業や家の仕事を手伝って、毎日どうにか暮らしていた。
七歳の時。
「神官さまーー!」
「おや、サディ。大きくなったね。それに魔力も随分強くなった」
神殿の無い村に、巡礼神官がやってきた。
この神官はおよそ数カ月に一度、村を訪れる馴染みの顔であった。だが、ここ数回は外せない用事があったそうで、別の神官が来ていたから、彼とはほぼ一年ぶりの再会だった。
巡礼神官は礼拝所しかない村々を回り、困り事を解決する奉仕者だ。
怪我人や病人を癒やしたり、作物の出来が今ひとつの畑で農業魔法を使ったり。
生まれた子供や結婚した男女には祝福を授け、亡くなった者には祈りを捧げる。
時には、増え過ぎた魔物を間引くのに協力することもある。
さまざまな仕事をこなし、村人から頼りにされる存在であった。
「神官さま、サディ、ななさいになったんだよ!」
「おめでとう、サディ。女神のご加護だね」
サディは優しい巡礼神官に懐いていた。穏やかな顔立ちをしており、常に丁寧で礼儀正しく、誰にでも親切にする。がさつな村の男どもに比べると雲泥の差があった。
「魔法の練習はしてるかな」
「いーっぱいしてるよっ。サディがおまじないするとね、やさいもお芋も、いーっぱいできるんだよ!」
子供の頃からサディは魔法が得意だった。彼女が「おまじない」をすると作物の出来が良い。家族がそう言って褒めてくれる。それが嬉しかった。サディはせっせと畑に通っておまじないをした。
自分が特別だとは考えもしなかった。
幼かったから、ふんわりと、周りのきょうだいや友達と同じような普通の村人として生きていくと思っていた。
けれど。
「サディなら、きっと素晴らしい神官になれるだろう。どう? 神殿に来ないかい?」
巡礼神官の一言が転機となった。
話を聞かされた両親は驚いたが、喜んでもいた。たくさんいる子供を食べさせていくのは大変だ。それに、選ばれて神殿に入るのは名誉あることで、将来を約束されたようなものであった。
「元気でね、サディ」
「しっかりやるんだぞ」
両親に何度も頭を撫でられて、しかしあっさりと送り出された。
巡礼神官に着いて村を出て、近くの町へ。
それから領都スピノエスの神殿へ。
サディは神官見習いとなって修練を始めた。
ルリヤ神殿は清貧を尊ぶ。神官や見習いは、集団生活を送って同じものを食べ、同じように学び、魔法と規律を身に付ける。
最初のうちこそ家が恋しくなることもあったが、大家族で育ったサディはすぐ慣れた。
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十一歳の時。
友達ができた。
一人はソーラ。
スピノエスでも裕福な商家の娘だ。
母が貴族の出身だったそうで、ゆっくりしたお嬢様口調で話す。
「本当はもっと早く、見習いにしていただくはずでしたの。でも……」
母に反対され、今までは自宅から神殿に通うという特例で修行していたらしい。ようやく母を説得して、正式に神殿へ入った。
おっとりした性格で、誰とでも仲良くなれる子。それがソーラだ。
サディと正反対だが、なぜか気が合った。
「私、決めるのがとても苦手で。サディがうらやましいですわ」
ソーラは、引っ張ってくれるサディのそばが楽だと微笑む。
「しょーがないなぁ、ソーラは!」
口ではそう言ったけれど、サディも満更ではなかった。
もう一人は、友達と呼べるか分からない。共に、女神に仕える身ではあるけれど。
クレイス。
見習いの中では抜きん出た力の持ち主。
そして彼はーーサディの故郷を訪れていた巡礼神官、その人の息子でもあった。
つまりクレイスの両親は、神官同士で夫婦となった。
四年前に巡礼が一時期だけ途絶えていたのは、クレイスの弟が生まれたためだったという。
そう言えば、あの巡礼神官は子供の扱いが上手かった。神官さまは何でもできるのだと思っていたが、自身にも子供が居るから慣れていたのだろう。
クレイスは魔法の才能に期待され、領内で一番大きなスピノエス神殿に転籍してきた。
父と同じように。
彼の父もスピノエス神殿に籍を置いているが、今も巡礼神官として辺境を回っており、神殿にはほとんどいない。母はスピノエスとは別の町ーークレイスの生まれ故郷で神官をしており、弟は魔力に恵まれなかったが身体を動かすのが得意で、神殿を守る衛士になるべく修行中だという。
魔法の才能や魔力の強さは遺伝しないから、神官の子が必ず神官になれる訳ではない。ルリヤ神殿の中核は、やはり中級以上の魔法を操る神官だが、他にも多くの人がさまざまな形で神殿という組織を支えているのだ。
「じゃあクレイスんちって一族みんな、女神にお仕えしてるんだ。へえー」
「別に珍しくない。神官の半分くらいはそうでしょ」
当のクレイスは淡々としていた。
容姿は父親似だが、中身に優しさや穏やかさが欠けている。
ーー残念なやつ、と思うサディだった。
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十二歳の時、その人に出会った。
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スピノエスから馬で五日ほどの場所に、魔王軍と対峙する前線基地がある。
多数の騎士や兵士、魔法使い達が送り込まれ、魔物と戦っている。
ルリヤ神殿は、領都の中心から少し離れた区画にあるため静かだが、大通りへ出れば休暇中であろう体格の良い戦士達が闊歩しており、魔術師のローブ姿もたまに見掛ける。
ラクサ王国軍をはじめ彼等の規律は厳しく、以前からごろつきがたむろするような裏街を除けば治安は悪くないのだが。
(近くで戦が続いてるんだよね。ずっと前から)
少し暗い気分になる。
ルリヤ神殿も無関係ではない。直接の戦闘には関わっていないが、前線基地へ赴く神官達は各地から一度、このスピノエスの神殿に集められてから旅立ち、帰る時もここに立ち寄る。
生きて帰れる者ばかりではない。回復魔法や支援魔法を使う神官は後方支援が中心で、戦闘に参加する際も後衛ではあるけれど、やはり命を落とすことはある。
戦死者を弔い、遺品や遺髪があれば届ける手続きをするのも、スピノエス神殿の役割であった。
神官に限らず、亡くなる者は数え切れない。見習いのサディ達も、交代で葬送の手伝いをするようになっていた。
そんなある日。
「なんか騒がしくない?」
礼拝堂の掃除を終えて外へ出たサディは、ちょうどそこにいたソーラに尋ねた。
「従軍される方々が先程、到着したんですって」
いつもの口調でソーラが答え、ゆったりと付け加えた。
「なんでも、聖女候補の方もいらっしゃるらしいですわ。どんなお方なのかしら?」
ーー神官の中でもずば抜けて優れた力を持つ者は、聖人または聖女と呼ばれる。
その候補に選ばれるのだから、もちろん優秀で偉大な女性に違いない。
そう思っていたのに。
夕方の祈りを捧げる時、サディは初めて、その人の姿を目にした。
(あの子が……? え? うそでしょ?)
サディは驚愕の声が出そうになるのを我慢した。
隣にいるソーラを盗み見ると、彼女も目をまん丸にしていた。
周囲の神官達に埋もれてしまいそうな、小さな少女。
それが聖女候補、セレストだった。
年頃は多分、サディやソーラと変わらない。いや、少し年下だろうか。そのくらい小さい。
その華奢な身体を澄んだ魔力が取り巻いている。サディにも、ソーラにも、クレイスさえも太刀打ちできない強い力。
神殿長をはじめ、他の立派な神官達よりも凄いかもしれない。
聖女候補だと言われれば、その通りだ。
でも。
(聖女って! もっと大人の女の人だと思ってた。あんな、ちっちゃい子が? 戦いに行くの?!)
衝撃のあまり、祈りに身が入らなかった。その後の夕食も、食べた気がしない。
急いで部屋へ帰った。
神官や見習いは四人で一部屋を使う。サディとソーラは同室で、他二人は見習いから昇格したばかりの若い女性神官であった。
誰からともなく輪になって座る。
「あの……あれ本当なんですか。聖女候補の」
「私達も最初は信じられなかったけれど、嘘ではないみたいね」
「十二歳だそうよ」
先輩神官達が口々に教えてくれる。
「あ、あたいやソーラと一緒じゃん?!」
「ちょっとサディ、声が大きい! 言葉遣いも乱れているわよ? いつも注意されてるでしょ」
「あうっ。そそそれは直しますっ。でも、やっぱ冗談じゃないんだぁ……」
「びっくりですわねぇ」
ソーラと顔を見合わせ、溜息を抑えた。
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翌朝。
サディは礼拝堂へ赴いた。
祭壇に飾る花を、新しい物に取り替えるためだ。こういった細々とした仕事は、神官見習いが交代して務める決まりであった。
古くなって萎れかかった花を花瓶ごと持ち出し、水と花を替え、ついでに祭壇の上も濡れ布巾で拭いた。新しい花を置き直す。
無心で一連の作業を完了し、戻ろうとしてーーようやく、背後に人の気配がすることに気付いた。
「うわ、すみませーーえっ?!」
セレストがいた。
朝陽の降り注ぐ礼拝堂で、淡い色合いの金髪がきらきらと光っている。
早朝から神官服をきちんと着て、静かな表情でサディを見ていた。
「ーーいいえ。務めの邪魔をしてごめんなさい。目が覚めてしまったものですから」
きれいな声でセレストが言う。
大人びた子だ、とサディは思った。昨日もそうだったが、彼女は皆の注目を集めていても表情を動かさず、非常に落ち着いていた。
それでいて、相対してみるとサディより一回り小柄で、顔立ちも幼さが見える。
(同い年のハズなのに年上のような、でも年下のような……ああもう分かんない!)
混乱してきた頭を振った。
「も、もう終わったから……じゃない、終わりましたから! どうぞごゆっくり!」
サディは小走りに礼拝堂を出て、部屋へ戻った。
ソーラも先輩の神官も皆、それぞれの務めでここにはいない。サディは私物をしまっている引き出しを開け、隠してあった包みを出す。手の中に握り込んで袖口で覆い、来た道を取って返した。
セレストはまだ礼拝堂にいた。
「あ、あ、あのぅ、セレスト様?」
息を切らしつつ声を掛けると、セレストは振り返って少し目を見開いた。
愛らしい人形のように見える彼女も、驚かない訳ではないようだ。
サディはそっと手を出して、包みをセレストに握らせた。
「これは……?」
「ええと、こないだ奉仕活動で焼いたお菓子。一個だけあたいが失敗してヒビ入っちゃったから、こっそりもらったんですけど、良かったら食べて!」
「え」
「失敗作しかなくて悪いけど……」
神官は滅多に甘い物を食べない。
セレストがいくら聖女候補と言っても、神殿では皆、同じものを食する決まりだ。セレストも昨日、他の神官と一緒に食事をしていた。
菓子を口にする機会は少ないと思う。
彼女はこれから、過酷な場所へ行く。
力を持って生まれた者の責務だと、神殿長が言っていた。
でも、こんなに可愛い女の子なのに……。
ひびがある焼菓子は、失敗作でもサディにとっては貴重な甘いおやつだった。
小さな身体で重い使命を負っているセレストに、何かしてあげたかった。だから、ふと思いついて勢いで持ってきた、が。
人に上げられるものでは……なかったかもしれない。
サディは眉を下げて、訊いた。
「……失礼だった、かな?」
「え? いえ、そんなことは」
「じゃあ食べちゃって! 誰かに見つかる前に!」
「は、はい」
セレストが包みをほどく。少し不格好な、ほろほろと崩れそうな焼菓子を細い指でつまんで、口へ運んだ。
さくり、と焼菓子が砕ける音がして。
じっと見詰めるサディの前で。
少女は不意に目を細め、ふわりと微笑んだ。
「おいしい……」
はにかんだ顔をして。
彼女は、のちの聖女セレストは、ささやくように「ありがとう」と言ってくれた。
その時だけは、年相応に見えた。
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セレストは、従軍する他の神官達と共にスピノエスを発っていった。
けれど半年もせずに戻ってきた。別の戦地へ行くために。
スピノエスには、ほんのわずかしか滞在しなかったそうだ。サディは会うことができなかった。
その後も彼女はあちこちを転戦し、成果を挙げ、名実共に聖女として大成していった。
ーーさらには勇者パーティーに招集され、苦難の末に、魔王の討伐を成し遂げることになる。
本当に凄いことだ。
(遠い人になっちゃった、な)
元から親しかった訳でもないのだけれど。
サディは少しだけ寂しかった。
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ーー新しい神殿長が最悪だ。
これまでの神殿長が高齢で引退し、新たに王都から赴任してきた。この男が問題のある人物で、とにかく女性の扱いが失礼に過ぎる。
「あんのジジイ、今すぐ心臓の発作でも起これ! 絶対助からないやつッ」
毒づきながら、サディは地団駄を踏んだ。
「声が大きいよ」
たしなめるのはクレイス。ただし注意したのは声量だけで、内容は黙認している。
「あんなんで! よくも! 神殿長になれるよねええ?! ベッタベタ触ってきてキモい! ホント何で!」
サディは十六歳になり、成人して神官に昇格した。
まさにこれから、というところで。
神官らしからぬ、色欲魔に目を付けられた。
今だって、神殿長の部屋で「特別な務め」とやらを果たすように言われていたところを、クレイスが見つけて引き離してくれたのである。
「誰かに付き添ってもらわないと、うっかり出歩けないとか! 街より神殿の中の方が危険じゃん! どうにかなんないかな」
声は潜めたものの、サディの怒りは収まらない。
「貴族の出身というのが……」
クレイスも苦い顔をする。
新しい神殿長は、貴族の末端に連なる人物のようだ。神官としては可もなく不可もなく、魔法の力量は大したことがない。
魔法ではなく政治的な手腕で栄達する神官も珍しくなく、前任の神殿長もそうだった。だが、あちらはサディ達のような見習いや、下働きの待遇にも心を砕く高潔な人で、皆に慕われていた。
あの俗物ーー神殿長などと呼びたくないーーとは比べるのも失礼だ。
神殿長は文字通り、その神殿の全てを差配する最高権力者だ。しかもあの俗物には貴族の後ろ盾まである。
俗物は狡猾でもあった。外面は大変良く、にこにこしながら神殿上層部の人材を少しずつ入れ替えていった。自分に逆らえる者が見当たらなくなってから、気に入った若い女性にだけ本性を露わにしたのだ。
好好爺に見える神殿長ーーその醜悪な顔を知るのは、サディをはじめ一部の者のみであった。
「父さんがいれば良かったんだが、また巡礼に行ってしまって。連絡は取っているけど、すぐ戻ってくるのは無理そうだ」
そう、現在のスピノエス神殿に残っている神官の中で唯一、俗物を何とかできそうなのはクレイスの父だ。正義感が強く、魔法の実力もあり、絶対にこんな無体を許さないだろう。
しかし出世に興味のない彼は変わらず巡礼神官を続けていたため、遠い地にいる。
不在ゆえに、俗物の小狡い人事を逃れたとも言えるのだが。
「ううう……いっそ、やり返したい! あたいが猫かぶるのも限界!」
「やめるんだ、破門されたらどうする」
「うー! 理不尽!」
気の強いサディだが、人前では神官らしく淑やかに振る舞うよう頑張っていた。そのせいで俗物はサディを大人しい恥ずかしがり屋と思い込み、しつこく誘いを掛けてくる。
きっぱり断れば諦めるかもしれない。ただしサディが破門ーー神殿から永久追放されることだーーや、僻地の小神殿に飛ばされる危険をはらんでいる。
おまけに俗物はきっと、別の女性神官を狙うだろう。例えばソーラ。断るのが苦手な彼女は、ぐいぐい来られたら押し切られてしまう気がする。
そんなことはさせられない。友達のために。
とは言えサディの我慢も限度があった。
肩に手を置かれたり、頭や背を撫でられたり……今はまだ、その程度で済んでいるが。それでも嫌悪感で吐きそうだ。
日に日に俗物の誘いが露骨になっていく。
困り切っていたさなか、サディはセレストに再会したのだった。
✳︎✳︎✳︎
「夕方から客人が滞在されます。皆が知っているお方ですが、一介の神官として扱ってほしいとおっしゃっています。そのつもりで騒ぎ立てず、いつも通り迎えてください。女神に感謝を」
朝の祈りの時間に、副神殿長が言った。
客人は、最近では珍しい。
前線基地があった頃は、たくさんの神官が滞在しては旅立っていった。
基地が解体された後は、領内の神官が時折やってくる程度だが、副神殿長の口ぶりでは、今回の客人は名が知れた人物らしい。
誰が、何をしに来るのだろう。
サディ達の疑問には答えることなく副神殿長は話を終え、そそくさと立ち去った。
恰幅の良い神殿長とは対照的に、副神殿長は冴えない風貌の小男で、俗物こと神殿長にくっついて赴任してきた腰巾着であった。何事もなあなあで済ませようとする日和見だ。
サディが俗物の裏の顔について訴えても、知らぬふりをする。他の細々とした問題も同様で、最近では皆の話すら聞こうとしない。
この時も副神殿長は、当たり障りのない内容しか説明しなかった。
よってサディをはじめとする大半の神官が、事情を知らないまま夕刻を迎えた。
勇者とその一行が、スピノエスまで「お買い物」に来たこと。
神殿の客人が、聖女セレストであることを。
祈りの時間に一人だけ、見慣れない女性神官が混じっていると思ったら。
それが今をときめく聖女その人であったのだ。
(えええええ?! セレスト様?!)
サディは大声が出そうになるのを我慢した。
(ああ、前にもこんなことがあった。初めてあの子が来た時も、こんな風に驚いたんだっけ。でも……)
違うところもある。
セレストは以前より身長が伸びていた。小柄ではあるが女性らしさも増し、幼さはどこにもない。
身にまとう魔力はさらに研ぎ澄まされ、聖女にふさわしい威厳が備わっている。
(凄いなあ……)
こんなにも変わるものなのか。
サディは驚嘆して、セレストを横目で眺め続けた。
他の神官達も、声に出さず感動しているようだ。
祈りの間はもちろん、食事中も私語を許されないのがもどかしい。
ところが。
「ーー少しよろしいですか?」
「へ?! あ、あ、あたいですかっ?!」
いざ彼女に声を掛けられてみると、自分でも不思議なくらい言葉が出てこなかった。
食事が終わり、部屋に戻る途中で、セレストが早足で寄ってきて、話し掛けてくれたのだ。
「あの、その、あたいに何か……」
サディは口をぱくぱくとさせてしまう。緊張のせいで、かぶっている猫もどこかへ行ってしまった。
「もし違っていたら申し訳ないのですが……」
かちこちになっているサディに、セレストが柔らかい微笑みを向ける。
「以前わたくしがこちらの神殿に滞在した時……焼菓子を分けてくださったのは、あなたではありませんか?」
「ふぇ?! おおおお覚えてらしたんですか?」
「もちろんです。とても……嬉しかったですから」
セレストがほのかに頬を染めた。
「こ、光栄、です……?!」
(はぅ……そのお顔……破壊力ある!!)
サディは心臓を撃ち抜かれ瀕死になったような思いでそれを見詰める。
「あれから三年、いえ四年ですね。わたくしの方が、背が伸びてしまったようです」
ーーあの時は、あなたの方が年上だと思っていました。
そう告げられた。
「あ、あはは。あたい、人より成長期が早かったみたいで」
十二歳当時のサディは、同世代で一番ののっぽだった。しかし、そこからはちっとも成長せず、見習い仲間全員に追い抜かれてしまった。
そしてセレストも。
あの時の小さな少女は、眩しく見上げる人になっている。
「そうでしたか。それにしても、もう一度会えてよかった」
「あたいも、です。セレスト様、おかえりなさい」
サディは、久々に晴れやかな気持ちで微笑んだ。
しかし、次の瞬間に笑顔は凍り付いた。
「サディ、神殿長がお呼びです。すぐ部屋へ来るように」
副神殿長が現れて、恐怖の一言を放ったからだ。
「あたい……ええと今、ちょっと」
「早くなさい。神殿長をお待たせするのですかな?」
「あ……あ、あ……分かり、ました。すぐに」
真っ青になったサディを見て、セレストは不審に思ったようだ。
「サディ、どうしたのですか?」
「…………っ」
サディはためらった。
(もし神殿長のことを、セレスト様に言ったらーー)
神官でありながらスピノエス神殿の所属ではなく、ある意味で神殿長に比肩する権威を持つ彼女ならば……。
だが、それは。
スピノエス神殿最大の恥を晒す、ということでもある。
「サディ! 務めを忘れたのかね?!」
腰巾着こと副神殿長がサディの肩を掴み、強く引いた。
「……申し訳ありませんな、聖女様! この者は神殿長に呼ばれておりまして。これで失礼いたします」
ぐいっと引っ張られ、サディは口をつぐんだ。肩に食い込む手が言っていた。余計なことを漏らせば、ただでは済まさない、と。
「ーーお待ちください」
セレストが先程とは打って変わり、鋭い声を発する。
「役職を持たない若年の女性神官に、神殿長のような貴き方が一体どのようなご用事なのです?」
「……スピノエス神殿の内部のことでございますゆえ、いかに聖女様でもお答えはいたしかねます」
「そうですか……女神は全てをご覧になっておられます。わたくしが口を挟むことではないかもしれませんね」
「そ、その通りですな。この者にお話があるのでしたら、後程に」
腰巾着に促され、サディは重い足を動かした。
神殿長の部屋へ向かう。刑場へ引かれていく罪人のように。
(セレスト様……)
聖女の真っ直ぐで心配そうな視線が、どこまでも追って来るーーそんな気がした。




