37.こぼれ話 彼方に在る、日本という国(後編)
暑過ぎて、こうなりました。
「うー、暑いよぅ」
夏の盛りは過ぎたが、まだまだ気温は高い。
トールのおかげで仕事が早く終わったランは、菜園の水やりをして屋敷に帰ってきた。
それだけで汗だくになっている。
「あっ、そうだ!」
こんな時にぴったりなものがある。
「あいす作ろっと!」
トールに教えてもらった甘味。
魔法が得意ではないランにも作れる、不思議な菓子であった。
『こう暑いとアイス食べたくなるなー』
数日前。
農作業から戻ってきたトールが、何気なく言った。
『あいすって何ですか、トール様?』
『ああ、凍らせて作る冷たいお菓子。そういや、こっちじゃ見掛けないなぁ。魔法があるんだから作れそうなのに』
『お菓子……甘味ってことです?』
『そうだな。たまにコンポタ味とか、よく分かんないやつあるけど』
『ふわぁ……甘い物……』
ランは甘味が好きだ。しかしラクサでは、砂糖は贅沢品に入る。庶民が簡単に食べられるものではない。
時折、祭りやお祝い事がある際に作られるのは焼菓子だ。干した果物や蜂蜜で、ほのかな甘みをつけていることが多い。貴族が軽食や茶会で口にするものに比べれば素朴な菓子だが、それでも庶民にはご馳走である。
「あいす」なる菓子は冷たいという。
そうなると、下級なれども貴族に仕えていたランが、食べたことはおろか見たことも聞いたこともない。
とは言え。
使用人の身で、食べてみたいなどとは不相応だろう。
だがトールはこういう時、非常に優しい。
『じゃあやってみるか。俺も食べたいし』
と言ってくれて、試すことになったのだが。
『うまく行かないですぅ……』
『完全に凍っちゃうのかー。意外とコントロール難しいな。フェンかセレストじゃないと無理かな?』
水を凍らせる氷魔法そのものは、比較的簡単である。
それで、屋敷にあったベリーの果汁に蜂蜜を足して、凍らせようとしたところーー瞬時に、かちこちのベリー氷になってしまった。
トールによれば「あいす」という菓子は果汁をかき混ぜながら、ゆっくりと凍らせるようなのだが……そのためには威力をあえて弱くした氷魔法を長時間、使い続ける必要があった。
これが思ったよりも、繊細に魔力を制御しなければならないのだ。
トールもランも、そろって苦手な分野であった。
『魔王なら倒せるんだけど、こういうのはなぁ』
勇者の冗談は時々大袈裟だ、とランは思いつつ、思わず笑う。
『でも逆に言うと、普通の氷はすぐできるんだよな。じゃあ小さい氷をいっぱい作ってさ、塩入れよう』
トールがいきなり奇妙なことを言い出した。
『お塩ですか?! 甘味なのに?!』
『いや、本体にじゃないぞ。こっちの大きい器に塩と氷を入れて混ぜとこう。温度が下がるはずなんだ』
『ほえ……なぜですか?』
『うーん、説明がすげー難しい。とりあえず、この中に一回り小さい器を置いてさ。金属の小鍋がいいかな。で、ジュースを入れる。混ぜながら凍らせたら、いけるんじゃないか?』
ランは何を言われているのか分からなかったが、トールの指示通りにやってみた。
すると、塩と氷で冷やされた果汁はゆっくりと凍り始め、フォークでかき混ぜるうちにシャリシャリした氷の粒々へ変わっていったのである。
『うわぁあ?! スゴい! トール様のスキルですかぁ?!』
魔法を超えた奇跡、と思ったが。
『いや、これは俺の故郷のやり方だから! 魔法でもスキルでもないって。ランが一人でやってもこうなるよ』
トールは信じがたいことを言って、苦笑いしている。
氷に塩を混ぜると、氷だけで冷やすよりも温度が下がる。
故郷でトールが教わった知識だそうだ。
『トール様、色んなこと知ってますね!』
『小学校の先生が理科の実験好きで……つっても通じないか。俺が子供の頃、こういうことを教えてくれる人がいたんだよ』
『わあ、物凄い賢者様ですぅ!』
『そこまで特別な人じゃないぞー』
そして。
『ふぁ……あいすって、おいしいですぅ……』
ランはとても幸せな気分を味わった。
トールも久しぶりだと言って嬉しそうに食べていたが、ふと、さらに不思議なことを口にした。
『ほんとは牛乳なんかでも作れるんだけど、手に入らないからなー』
牛乳は日持ちのしない食品である。
近在のスピノ伯爵領は比較的、酪農が盛んであるが、勇者の屋敷からは七日。魔法を使って最大限に急いでも三日は掛かる距離にあり、傷みやすい牛乳を輸送するのは難しい。
勇者の権力を使えばできそうな気もするが、トールはそういうことをしない人だ。
『牛乳のあいすって、おいしそうですね!』
『うん、そうだな。コレも悪くないけど』
その言葉を聞いて、ランは決意した。
『……私、決めましたっ! とーっても頑張って! いつか牛さんを飼って! 牛乳のあいすを作りますぅ!!』
おいしいものを食べられるのは幸せだ。
それに、このお屋敷で自分も何か役に立ちたい。
スプーンを握りしめて、ランは目標を立てたのだった。
『お金貯めて都会の真ん中で牛飼うって、昔の歌みたいな……ま、ここはど田舎だし。いいのか』
トールはまたしても、理解できない発言をしていたが。
『ありがとな、ラン。出来上がったら食べたいよ、楽しみだ』
笑ってくれたので、ランの決意はますます強固になったのである。
ーーそんなことを考えながら、ランは再びアイス作りを頑張った。
今日は林檎の果汁に蜂蜜を入れてみた。
固めた後もよく冷やしておいて、トールやみんなにも後で食べてもらおうと思った。
ところが。
出来上がった頃合いで、厨房に顔を出したマーシェに発見され、ついでフェンが呼び出された。
「あの馬鹿はまた、ほいほいと……」
「やってくれたよねえ、トール。ああ、ラン。あんたは悪かないよ」
二人は盛大な溜息を落としたのである。
✳︎✳︎✳︎
「なんか背中がムズムズする……誰かが俺の噂でもしてるんじゃないだろうな」
田んぼの横を歩いている最中に、トールはふとつぶやいた。
「くふふ。人気者はつらいものだな、勇者よ?」
同行者は聖鎧装イージィス。
「暇だから」という単純な理由で着いてきた。メイド姿で。
トール達が屋敷にいて来客もいない間、メイドや留守番の仕事はない。聖なる武具の両名が人間形態を取る必要もないが、
「どうせ異空間に居っても、することが無い。イースと語らうのも、既に飽き飽きしておる」
「それは我の台詞であるぞ、イクスよ。千年以上も共に在ると流石にな」
「うむ。勇者を揶揄って遊ぶのも限度がある」
心底、つまらなそうに言われてトールが折れるしかなかった。
「俺だって暇潰しにされたくない……!」
絶対にろくなことが起こらない。
彼女等の文句を脳内で聞かされ続けるくらいなら、好きにさせておく方がマシに決まっている。
なし崩し的に人型で居てもらうことになった。
トールの許可を勝ち取った二大美女は気ままな居候のようになり、パトロールと称して屋敷の中や菜園を散歩したり、出会った誰かしらと喋ったりしている。時折、悪ふざけもするが、ちゃんと加減していて害にはなっていない……はずだ。
メイドの真似事を気に入っているのは変わらず、今日のイージィスは紺色のワンピースの上にフリフリしたエプロンを着けている。
視覚への暴力も案外に慣れるもので、セレストやマーシェの風紀指導も入っているらしく、スピノエスで大暴れした際に比べればかなり穏便になった。
「言われた通り、下にも着込んでおるぞ?」
トールの視線に気付いたか、イージィスはにまぁと笑んだ。何をとは言わない。
「そっちの精神的な修行はもういいって……」
イクスカリバーとイージィスは折に触れ、思い出したようにこの手のちょっかいを掛けてくる。
が、頼めば本当に相手をしてくれるのか、については疑問符が付く。
(それこそ暇潰しのネタにされて散々に揶揄われただけで終わるな、多分)
何となく、その程度は察せるようになっている。
「つまらぬ奴め」
案の定、イージィスはちろりと舌を出す。
「ラヴァエロはもっと己れに忠実であったぞ?」
「あいにくだな、その手は食わない」
「ふん。ならば、いっそ我等を男性体にでも変えれば良かろうに」
「は?!」
田んぼに落ちるかと思うくらい驚いた。
泡を食って振り返ると、イージィスが得たりと笑う。
「イクスには口止めされておったが、もう良いであろう。食指が動かぬなら貴公の好みにしてみてはどうだ。我等は何でも良いのだぞ」
聖なる武具の人間形態は、魔力でできた仮想体だ。見た目はいくらでも変えられる、と言う。
「言われてみれば……や、でも説明されないと無理! てっきり服装だけかと」
「良くも悪くも使いどころが無かったのでな。本来は貴公の影ーー分身を造ったりもできる」
「あー、なるほど」
トールそっくりに化けることも可能という訳だ。
勇者は魔王軍と戦う際、人族側の精神的な支柱でもある。よって負傷などで戦線を離脱した場合に、勇者に化けた聖剣や聖鎧装を影武者に立て、復帰までの時間を稼いだそうだ。
トールにはセレストという稀有な聖女がついていたため、そこまで追い込まれたことはなかった。だが、過去には幾度となく使われていたという。
悪用が怖い能力でもあるが、本人の了解無しに、姿を写し取ることはできないーー。
イージィスは流れるようにそう言った説明を終え、再び、にやりと唇を吊り上げる。
「ちなみにラヴァエロがどうしておったか、知りたいか?」
「……嫌な予感がするな」
トールとは別の方向で、聖なる武具の権能を活用していたのがラヴァエロである。
果たしてイージィスは言った。
「三股を掛けておった」
「…………はい?」
つまり下半身は屑だ。
「頭が追いつかないぞ……ええと、ラヴァエロさん本人と? そっくりに変身したイクスとイースで? 三人の相手と同時並行……?!」
「いかにも。理解しているではないか」
「いや、ちょ、理解したくなかった! 聞けば聞くほど突き抜けた武勇伝が湧いて出るな、逆に凄くないか?!」
「あやつのふりをして女を口説くのは、それなりに楽しかったぞ」
「そこは止めろよ……」
あるべき用途とのギャップが酷い。
「一応あやつの名誉のために言うておくと、嫌がる相手に無理を強いたことは一度も無い。それに、ラヴァエロは哀れな身の上の女を放っておけぬたちでな」
例えば、意に染まぬ結婚をさせられそうな女性。
暴力を振るわれている女性。
結婚したが冷たい扱いを受けていたり、夫に浮気をされたりして悩んでいる女性ーー。
ラヴァエロは来る者は拒まず、去る者は追わず、であったが、自分から口説く女性は気の毒な立場の者がほとんどだったそうだ。
「それ聞いちゃうと何とも言えない……」
複雑な気分になるトール。
苦境にある人を気に掛けてしまうのは、自分にも似たところがあって責められない。
一方、もっと違うやり方はなかったのか、とも思う。
趣味と実益?を兼ねた、ラヴァエロなりの手段だったのだろうか。
ところがイージィスは、けろりとしている。
「幸薄そうな雰囲気の女が、一番グッとくると言うていた」
「……性癖じゃないか! 少しだけ良い話かと思ったら台無し」
「クックック、貴公もまことに甘いな。して、我等の姿はどうする?」
「今になって変えるのもちょっと……」
自分の性癖を反映させて俺の嫁、にする勇気は持てない。
「フハハハハ! 腰抜けめ」
「悪かったなー、面白味のない日本人で!」
勇者のぼやきと聖鎧装の高笑いが、青空に吸われていく。
「そうだ、イースに教えてほしいことがあったんだ」
「ほう? 言うてみよ」
「ラヴァエロさんって、偽名じゃないよな?」
イージィスが、ぴたりと真顔に戻った。
「ーーさてな。あやつは自分のことをほとんど話さなかった。我等もよく知らぬのだ。何故そのようなことを訊く?」
「実は日本人だったりしないかな、と思って」
魔法の無い世界から召喚される勇者。
二人続けて日本人という確率はごく低いだろうし、ラヴァエロという名前も日本的ではない。日本とは関係ないと思い込んでいたが。
念のため確かめておきたかった。
「ふむ……分からぬなぁ」
「髪や目はどう? 俺みたいに黒かった?」
トールは自分の顔を指差した。
黒髪黒目は日本人に限らないが、一つの目安ではあるだろう。
しかし、イージィスは首を横に振った。
「あやつの髪は金色であった」
「じゃあ違うか……残念だけど」
ヨーロッパ系の地球人であった可能性は残っているが、全く違う未知の異世界人だったのかもしれない。
聖なる武具達も知らないのであれば、確認しようがなかった。
「ま、仕方ないな」
分からないものは分からない。
「勇者よ。そろそろ戻るぞ」
「うん、そうだな。帰ろう」
トールはイージィスと、屋敷へ向かった。
すると。
「ーートール様!」
途中でセレストが合流する。
「何をなさっていたのですか?」
「ああ。田んぼの確認だな」
トールはしれっと答えた。
嘘ではない。
真面目なセレストに、先代勇者のどうしようもない話を聞かせても意味はないだろう。
それに、あの女好きと一緒にされたくはない。
「セレストは?」
「わたくしは、開拓地の様子を見て回っていました」
セレストとフェンがあちこちで手掛ける地力回復も順調らしい。
「二人とも頑張ってるもんなー」
「トール様もでしょう」
「俺は農家で領主だからな」
やって当たり前であろう。
「ふふ、謙虚なのがニホン人の美徳……でしたか」
「そんなこと言ったっけ」
「はい。フェンと口喧嘩しながら」
「……そういや言ったような気も……」
詳細は忘れたが、多分くだらない原因だったと思われる。
セレストは口許に手を当て、くすくす笑った。
「フェンとくだらない喧嘩ができるのは、トール様くらいですよね」
トールはなぜか、聖女から妙な褒め言葉をもらう。
「相手が誰でも遠慮なんかしないだろ、フェンは」
「言い返せる人がいないので……普通は燃やされたくありませんものね」
「フェンのやつ、ほんと凶暴だな」
「他にも理由はありますけれど」
「へえ、どんな?」
「うふふ。トール様には秘密です」
セレストは教えてくれなかった。
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三年と少し前ーー。
「……どうしてあんな、ためらいなく話ができるんでしょうか」
そうつぶやいた日のことを、セレストは今でも覚えている。
トールが異世界から召喚され、勇者パーティーが結成されて間もない頃の話だ。
「そりゃ勇者様のことかい? それともフェニックス?」
マーシェでさえ他人行儀な呼び方をしていた、あの頃の。
「……両方、ですね」
野営の最中で、セレストとマーシェとシャダルムは焚き火を囲んで座っていた。
トールは少し離れた場所で魔法の練習をしていて、フェンが面倒を見てやっている。
なぜフェンかと言えば、大魔力の持ち主であるトールの魔法が失敗して暴発した場合、一番的確に押さえ込めるのが魔術師の彼だからだ。
魔法習得は難航している模様で、先程からフェンは文句ばかり言っていた。
「トール……お前、真面目にやってるんだろうな」
とっくに名前を呼び捨てにしていた。
が、それは親しみを持っているからではない。
ーー勇者に敬意を払う気は無い。
フェンを取り巻く刺々しい魔力がそう言っている。
「やってるはずなんだよなー、これが」
勇者も勇者だ。
ぞんざいな扱いをされているのに、こたえた様子もなければ怒りもしない。
「……普通、あのフェニックスにあれだけ怒られて平気でいられませんよね?」
「まあ、ねえ。こっちまで魔力がビリビリ来るもんね」
生き物の魔力と感情は連動している。
しかし、人は感情のままに魔力を動かさないようにしなくてはいけない。魔法の制御が難しくなるからだ。
特に魔法使いは皆、子供の頃から修練を重ねてこの原則を身に付ける。
セレストも神官として、魔法使いとして、強い魔力と自らの心を律する訓練を積んできた。
とは言え、常に感情を殺して生きていく訳にもいかない。情動があれば魔力も似たような動きをするもので、ある程度「こぼれる」のは仕方ないとされている。
魔法使いは持っている魔力が多い。
抑えても、いくらかはこぼれる。
魔力の少ない人間からは、それだけでも恐れられる。
抜き身の凶器を向けられたように感じられるのだ、という。
セレストは癒やす者であるから、そこまで人を怖がらせずに済んでいるけれど。
だがフェンはーー魔力が多い上に「業火」と呼ばれる攻撃系魔術の名手でもある。その彼を怒らせるなど、普通なら逃げ出したくなるはずなのだが。
「アレが何ともないのは、さすが勇者様ってことなのかね」
マーシェは肩をすくめた。
セレストもそこが不思議だ。
嘘偽りなくトールは気にしないのである。
「奇跡的に鈍感、とでも言えばいいかねぇ?」
褒めているとも、けなしているとも取れる表現であった。
魔力というものを感じ取るのが難しいから、トールの魔法習得は進まないのかもしれない。
一方で、フェンが無意識に圧を掛けてしまっても平常心を保てるのは、それはそれで女神の恩恵と言えなくもない。
でもね、とマーシェは続けた。
「勇者様の故郷には、魔法も身分制度も無いって話じゃないか。そもそも魔力が強いとか弱いとか、身分が高いとか低いとか……それで人を分ける、って発想が無いのかもしれない。そう思うのさ」
「発想が無い、のですか」
「だって生まれてこの方、考えたことも無かったんだろう? いきなり気にしろって言う方が無茶なんじゃないかねえ?」
身分の低い者や魔力の少ない者は蔑まれ、時に見下されて当然だという感覚が無い。
同時に、身分の高い者や魔力の多い者は畏れられ、あるいは妬まれて当然だとも思わない。
勇者こそ絶大な魔力とスキルを有し、女神の使いであり、国王も大神官も誰もがひれ伏すしかない絶対王者であるというのに。
本人はそれを望まないどころか、意識すらしていないと?
「……だとしたら、わたくし達は何なのでしょう。あの方にとって」
「あたしの推測でも構わないかい? 聖女様」
「ええ」
「対等の人間だよ。上も下も無い、ただ同じパーティーの仲間」
「…………」
セレストはしばし沈黙して考えた。
「本当に良いのでしょうか、それで……」
「むしろ勇者様は、仲間ってそういうもんだと思い込んでるみたいに見える。ま、ある意味で勇者らしい傲慢さかもしれないね。あたしは大いに歓迎したいけど」
冒険者であるマーシェは、さまざまなパーティーに加わった経験がある。
「圧倒的な強いリーダーが居て、他を引っ張っていくパーティーももちろんあるさ。でも、それが全てじゃない」
勇者は強力なスキルと魔力、身体能力を併せ持っている。
だが、異世界から来た彼には足りないものもたくさんある。
「あたし達はどうしても助け合わなくちゃならない。でないと、このパーティーの意味がない」
マーシェは、セレストの目を覗き込むように見た。
「で、聖女様。あんたはどう思う? せっかくの機会だ、聞かせてもらおうかねえ」
セレストはすぐに答えられず、ぼんやりとトールを見やった。
ーーマーシェが言いたいことは明確だ。
勇者様、とセレストがトールを讃えるたびに、彼が非常に困った顔をする件であろう。
セレストにとっては当然の行動だったのだが。
どうすれば良いのだろう。
女神も答えてくれない問いだ。
肝心のトールは、フェンとまだ何か言い合いをしている。
「フェニックス……気付いているんでしょうか」
「さあてねえ。でも、そのうち嫌でも分からされると思うよ。頭の良いやつなんだし。逆に勇者様は言わないと分かんないだろうけど、あたしは言いたくないね。わざわざラクサの常識に合わせてもらう必要あるかい?」
セレストは再び考えた。
「……勇者様を特別扱いすべきではない、と?」
「そうさね。今のフェニックスくらいで多分、ちょうどいいのさ。ま、あいつは勇者様と仲良くしようだなんて、これっぽっちも思ってないだろうけど」
「……そうですね。さぞかし不本意でしょう」
少しだけ笑って、セレストはついにうなずいた。
「承知しました。トール様が望んでいるーーいえ。望むまでもなく、そうだと思い込んでいる通りにしましょう」
「よし。騎士様もいいかい?」
マーシェは、岩のように口を閉ざしていた熊騎士にも尋ねる。
シャダルムは基本的に喋らない男で、この時も黙々と戦斧の手入れをしていたが、愛用の武器を置いてぼそっと言った。
「よくない」
即答である。
しかし彼は次の瞬間、ぶぃんと首を横に振った。
「違う。言い直そう。同意するが……ならば騎士様と呼ばれるのは、よくない」
「……あは。こいつは一本取られたねえ」
マーシェも、口の端で微苦笑を浮かべる。
「じゃあ、セレストにシャダルム。あんた達も構わないね?」
「ええ」
「二言はない」
「ーーふう! 良かったよ、これで何とかやっていけそうさ。肩が凝るのは苦手でね」
わざとらしく、マーシェは肩を回してみせた。
シャダルムは無言で戦斧の手入れに戻った。
先程までと同じ光景だ。
でも、何だか息がしやすくなった。
セレストは焚き火を見詰めて、女神に短い祈りを捧げた。
心の奥にあった不安も晴れていった。
✳︎✳︎✳︎
その後もトールはそのままだった。
スキルの扱いを覚え、ラクサと日本の違いを理解し、勇者として畏れ敬われるようになっても、人前でそれらしい顔が作れるようになっただけだった。
仲間達の元へ戻った途端に、
「やっぱ無理。偉そうな勇者なんて一生できないよ俺。農家になりたい」
がしがしと黒髪をかきながら、愚痴を言うのだった。
「トール様は変わりませんね」
「いい加減に諦めろ」
「まあ人間、向き不向きがあるさ」
「うむ。トールだからな」
この時のセレストには、まだ分かっていなかったと言える。
いや、セレストだけではない。
仲間達の誰もが。
そう。
魔王と対峙し、仲間達の誰もが、本能的な恐怖に晒されて動けなかったあの時も。
トールがひょい、と足を前に出したのだ。
「あれ? みんな、どうかした?」
魔法を恐れない彼だから、それができた。
「トール様の鈍感は、そこまで行くと本当に女神の与えたもうた奇跡ですね……」
「え? どういう意味だよ」
「止めとけセレスト。この馬鹿に言うだけ無駄だ」
「だから何の話?」
「一瞬で深刻さが吹っ飛んだねえ。これから魔王と決戦なのにさ。どうするんだい、この木っ端微塵でグダグダになった空気」
「みんなが訳の分からないことを言ってる。魔王の精神攻撃じゃないだろうな、混乱させる系の」
「ある意味ではそうだが……気にするな、トール。問題ない」
「ほんとか? 大丈夫だな? じゃあ行くけど。ちゃんとついてきてくれよ?」
トールはそう言って、世界最悪の敵に向かっていった。
セレストが、フェンが、マーシェが、シャダルムが、それに続いた。
共に行くと決めていたから。
✳︎✳︎✳︎
トールの故郷には、億を優に超える人々が暮らしていたという。
想像もつかない数だ。
多くの人が黒髪黒目で、皆が平等に読み書きと計算ができ、魔法もないのに高い技術力を持っている国。
無論、欠点もあったとトールは言っていたけれど……。
数え切れない大勢の人がいて、その中からたった一人。
この世界に呼ばれたのがトールだ。
農家になりたいと言いながら、頼まれれば断われない、お人好しの勇者。
(ーーねえ、トール様。魔王を打ち倒せる勇者なら、誰でも良かった訳ではないんですよ。少なくとも、わたくし達は)
そろそろ収穫するかなぁとつぶやいて、田んぼを眺めている勇者の背中に向かって。
セレストは、声には出さずにささやいた。
✳︎✳︎✳︎
その後、屋敷へ帰ったトールはーー。
待ち構えていたマーシェとフェンから、アイスという食べ物とその作り方について徹底的に詰められることになるのだが。
それはまた別の物語である。
米の名は…「日本晴」
1970年代に日本全国で栽培されたブランド品種。粘りが少なく寿司やチャーハンに向く。




