7.主従の契り
翌日の午後、予定を終えた私はソニアと私室で過ごしていた。
王侯貴族の娘ならお茶会のひとつにでも出るものなのかもしれないけど、生憎と私はまだデビュタントをしていない。うちの両親は社交デビューもしていない12の娘をほいほい茶会へ寄越すタイプの親ではなかった。
なので、お茶をするとしたら相手は二択。妹のシャルロッテか、専属メイドのソニアである。
シャルと都合が合うときは一緒に過ごしているのだけど、そうでないときは大抵ソニアと二人きり。これが今の私のデフォルトだ。
ただ、こういう時に退屈しないためだろうね。ずっと私の傍にいてくれる専属メイドのソニアは、私の話し相手も兼任してくれている。
話しやすいんだよね。同い年だし、話すのも聞くのも上手だし。
ソニア・ローベイル侯爵令嬢。代々にわたって王族の側近を輩出する、王家の右腕と呼ばれるローベイル侯爵家の娘だ。
ローベイル侯爵家は王族に合わせて子供を設け、王子王女の数に合わせて選ばれた子供たちは幼い頃から従者としての英才教育を受ける。門外不出のその教育を経て、王族の懐刀かつ心の拠り所となって王子や王女の側近となるのだ。
彼女はそんなローベイル家の長女。兄が兄様の、妹がシャルの側近を務めている。王族には同性で、かつできるだけ年頃の近い側近がつけられる習わしなのだ。
「ソニアはどう思う?」
「聖女となられた件、でございますか」
「そう。私は納得しているけれど」
ソニアは、少し考える素振りを見せた。この話題はただ肯定してほしいだけのものではないと察したのだろう。
こういうところも私がソニアを傍に置いておきたい理由のひとつだ。王族の子供が相手となれば誰だってイエスマンになってしまうところだけど、ソニアはそうではない。ちゃんとものを考えて、意見してくれる。
一方で、ただ聞いてほしいだけの時は従ってくれる。そのあたりの機微への敏さたるや、私と同じ12歳とは思えない。下手をしたら前世の記憶がある私より大人だよ、この子。
「殿下がそれでよろしいのであれば、最善の選択かと」
「あら。私は納得していると言ったわよ」
「今納得なさっていることと、今後数十年にわたって疎ましくお思いになられないことは、必ずしも同一ではございません」
ほら。こんな風に、彼女は私の内心の一番底を言い当ててくれる。自分からは言いたくないという私のエゴもお見通しなのだろう。
だから彼女は言ってくれる。私の代わりに。
「殿下が今そのように思われているのでしたら、聖女として振る舞われることに問題はないかと。殿下の聖術と高潔な御心は、間違いなく聖女に相応しいものでありましょう」
「ソニア?」
「どこぞの変態のような盲信ではございません。私は冷静に貴女様を見た上で、殿下が大聖女の器だと判断しております」
「ソニア……」
……実はこのメイド、時々口が悪かったりする。
私を含む王族にはそのような素振りは見せないけれど、それ以外であればその舌鋒はなかなかのもの。TPOは弁えているので(というか、ほぼ私にしか聞かれていないので)止めないけれど、まさに慇懃無礼という言葉がよく似合う。
もっとも、王女世話役ソニアは侯爵家の長女。一方たった今声をひそめて罵倒された護衛騎士イザールは子爵家の三男坊だ。身分的には、今回は面と向かって言い放っても問題はなかったりするのだけど。
「ですが」
ソニアは逆接を挟んで、胡乱になりかけていた私の視線を改めさせた。
「殿下が聖女としての働きを苦痛に思われたその時は、このソニアにお申し付けくださいませ。単に聖人を務められる程度の人材であれば、探せば見つかりましょう」
甘い。ソニアに限らず、私に対する王宮内での扱いは、望めばなんでも叶ってしまいそうなほど甘いのだ。
当代は混ざり物かつ変人なきらいがある私と天使シャルだから大丈夫だけど、次代の王女が生まれる前に正しておいた方がいいかもしれないね。この甘さではとんでもないわがまま姫が育ってもおかしくないし。
確かに、実のところ聖人の条件は緩いものなのだ。ある程度の聖術が使えれば務まるから、その気になればそれこそ王都の若者からでも見つかるだろう。
だが、本当にそうなら私が継ぐまで先代が務め続けている必要はなかった。聖人はその時代に一人だけだから、慎重に選ばねばならないのだ。
「大丈夫よ、ソニア」
「ですが、殿下」
「心配してくれているのはわかっているわ。だけど、覚悟はしているの。私が聖女を降りるとすれば、理由は二つだけ」
ソニアは私と同い年だが、どうにも私のことを年下のように見ている節がある。堅い口調でありながらしっかりした態度で接してくれるのも、王族への礼を保ちながら私をよりよく育てようとしてくれているのだろう。
ソニアにとって私は、背伸びをして頑張っているだけの、ただ血が貴いだけで年相応の女の子。仕えるべき主君ではあるけれど、それ以上に守り育てるべき存在なのだと思う。
でも、ソニア。私だって、あなたと同じくらい大人なんだよ。
「王族としての役目がおろそかになるか、その時の私よりも相応しい聖人が現れるまでは、私は聖女として在り続けるつもりよ」
「……殿下」
私は絶対に、ソニアに一方的に庇護されるばかりの、情けない主ではいたくないんだ。
…………ところで、ソニアにはもうひとつだけ秘密がある。
「今日の相談はそれくらいよ。……おいで、ソニア」
「……! はいっ」
私は話を区切って、座っているソファの隣を指で叩く。
その瞬間、ソニアの表情は面白いほど明確に切り替わった。氷の刃のように研ぎ澄まされた懐刀から、大好きな飼い主に呼ばれた仔犬のような表情に。
私の斜め後ろからとてとて、回り込んで歩いてきて、ちょこんと腰掛けて、こてり。頬を擦り寄せてくるソニアの背に手を回して抱き留めてやると、腕を垂らしたまま頭だけで甘えてきた。普段の彼女からはとても想像できない、だらけきった満面の笑みだ。
これがソニアの本性。他の王族も知らない真実である。
「アメリアさま……」
「可愛い子。明日はあまり早くないし、今日は一緒に寝る?」
「よろしければ……えへへ」
もうでろんでろんである。発情期の猫にまたたびを嗅がせてもこうはならないんじゃないか、というくらい。私にしてみれば、可愛くて仕方ない。
別に彼女は催しているわけではない。元々こういう気質で、しかもそうなるよう育てられたのだ。
ローベイルの子女が王族に幼い頃から仕えていることには、彼らの一族が優秀で忠誠心が強いこと以外にも理由がある。
それがこれ。この国の貴族の中では色濃く獣人の血を流しているローベイル侯爵家の人物は、主君に対してだけ見せる大きな弱みを持っているのだ。
恥ずかしい弱みを主君に晒して服従を誓うとともに、二人きりの秘密を共有して絆を深める。こうすれば確かに、王族を傀儡にして成り代わるような現象はまず起こらない。……実に有意義で効率的だけど、制定が大変だっただろう風習だ。これを考えた昔のローベイル当主の忠誠心には感服するばかりだ。
「もう。こんな姿、皆には見せちゃダメよ?」
「はい。わたしもアメリアさまにしか、見せたくないですよぅ」
「当然よ。あなたは一生私のもの。お互いに離れることなんてできないんだから」
ふにゃふにゃ。とてもつい数分前に主君の護衛騎士を変態呼ばわりしたばかりとは思えない、彼に見られれば「変態はお前だ」と言われかねない姿だ。
ソニアが持っているのは、極度の甘えん坊気質。彼女は瀟洒な側近としての能力を仕込まれた上で、元来の甘えたな性格を主君にだけ向けるよう言い聞かされて育ったらしい。
無論、こんな可愛らしい従者を私が甘やかさないわけがなく。私たちの関係は表向きは「聡明な王女と隙のない側近」、その裏では「メロメロな飼い主と甘えん坊なペット」となり果てているのだった。
「あったかいかしら?」
「んー…………」
「ふふ。夕方までこうしていましょうか」
もはや完全に共依存だから、一国の王族としてそれはどうなのかとは思った。思ったけど、どうせ手放す気はないのだからと考えないことにした。だって幸せなんだもの。
なんとでも言ってもらって構わない。だけど、普段は頼りになる同性の従者が二人きりの時だけふにゃんふにゃんに甘えてきても顔色ひとつ変わらない者だけが石を投げなさい。
ちなみに甘えているのはソニアの方なのだけど、一緒に寝る時は対外的には私が我儘を言っているということにしている。ソニアの弱みは重大な秘密だし、私は手が掛からなすぎて多少の我儘は言わないと逆に心配されてしまうので。
ちなみにソニアが私のベッドで背を丸める頻度は、だいたい二日に一度。他のお付のメイドたちには生暖かい目で見られがちだ。まあ、必要経費ですよ。
主従百合、いいよね。自分で言ったら台無しだけど。
ソニア「ふにゃぁ」
アメリア「尊い」
初めて甘えられた時のアメリアは危うく卒倒するところだったとか。
面白いと思った方、続きを読みたい方、今後へご期待くださる方はぜひ、ブックマークと評価ボタンを押していってください。大きな励みになります!