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天使は今日も動かない  作者: たいちゃん
天使の独白
3/30

天使役はかく語りき



随分と長い時を、眠っていたように感じる。


眠っている時間と言うのは至福だ。正しく表現するのならば、底なし沼に沈んでいくように眠りに落ちるあの瞬間と、ふわりと雲の上に乗っているように感じる寝起きの瞬間が最高なのだ。

時間感覚もおぼろで、何を考えるでもなく眠りの海で意識が揺蕩う。


これ以上の幸福が何処にあるというのだ!


皆皆、このようにして一日を過ごせば良いと思わないか?

あんなに疲れ果てるまで齷齪働かなくたって、食物なんて畑に腐るほどあるではないか。案外手入れしなくても実るのでは? それは難しくても、全ての人類で手分けして手入れしたら、一人一時間もかかるまい。そうして他の時間は眠ればいい。

川があるから水も潤沢にある。家畜も勝手に交尾して子を産むだろうから、それを食べれば宜しい。魔物の進行を防ぐ城壁も先達が既に築き上げているから、殺される心配もない。あれは巨大なマジックアイテムのような物らしく、手入れはいらないから、放っておけば良い。どうだ、これこそが幸せな世界なのではないか?


……まぁ流石にこう上手くいくとも思えないが、それでも無駄な仕事が多すぎるのは確かであろう。


最低限のことだけして、食べて、寝る。これが幸福への最短距離の道である。そうであるのに、人類は何故そうしない? 何故仕事をするための仕事を増やす? 

恐らくは、承認欲求がそうさせるのだろう。馬鹿なことだとしか言えないが、まぁ好きにやれば良い。私には関係がない。だが、そのような無駄な仕事を作って、一日中働かなければ怠け者と見下すのは、如何なものだと思うが。

愚か者の偽の欲望を満たすための仕事に、どうして私が従事しなくてはいけないのか。正当な理由が欲しいものだ。


『ちょっとは努力したらどう?』


ふと、昔言われたことを思い出す。……おぉ! ナンセンス!


まずもって、その努力こそが間違いなのだ。努力なんてものに苦痛以上の意味などない。何故なら人間は死ぬのだから。その努力という苦痛によって多少自身の能力を向上させたとして、それが何になろう。

夢を叶えたい? その承認欲求にまみれた夢を? 

努力によって夢を叶えたとして、そこで満足できるなら、それは素晴らしいものだろう。しかし、その夢が承認欲求に支えられている時点で、そこで永遠に満足できるわけがないのだ。その労働に釣り合わせない刹那の満足と、それ以上の渇望が襲ってくるだけ。その尽きることのない欲望に踊らされながら更なる努力を強いられ、苦しむだけの人生を辿ることになるのは目に見えている。

そうして苦しんだその人生の、最終地点に待っているのは、ただの死だ。


さて問題。努力に意味があるのか。正解なんて言わずもがな。

それなのに努力したことをさも誇らしげにして、努力していない人間を馬鹿にする権利を得たつもりであるのだから片腹痛い。


まぁ、もういいか。私は今幸せなのだから。私が幸せであればそれでいい。記憶など遡るだけ無駄である。



あの金髪の男に手を引っ張られて神殿へ連れていかれた日、私はすぐに眠りに落ちた。そして目が覚めた時には、既に天使としての下準備は終わっていた。

手足はなくなり、身体は念入りに洗われ、清潔で肌触りの大変素晴らしい布を巻かれていたのだ。なるほどこれが母の言っていたコスプレというものかと、その時は妙に納得がいったものだった。

そうして、幾日が神殿の地下で過ごした後、いつの間にか天使として祀り上げられていた。


そういえば、例の男は、次期法王という立場にいるらしい。なるほど、だから権威維持のため誰よりも天使を必要とし、そして只人である私を天使に仕立て上げることも可能だったという訳だ。

威圧的な雰囲気も、彼の生まれを考えれば十分に納得がいく。

ちなみに、そんな彼は若法王と呼ばれていた。


若法王は、よく神殿で司祭をしている。そこには天使役として私も連れ立っていく。

神殿の中央にある水槽のようなものに設置された私は、其処で人々の祈りと願いを話半分に叡聞するのが唯一の仕事である。

後は全て、若法王がなんとかする。あぁなんて楽な仕事だろうか! 素晴らしい。


「「「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、清らかなる神の子よ。あなたの手はわたしたちのために葬られた。どうぞお次は、私たちの手をお使いください。」」」


頭を下げる手を捧げるアンジュ教徒と、それを満足そうに眺める若法王は、もはや目に馴染む光景である。


「お救いください……お救いください……。」


喘ぐような、絞り出すような声をして縋るのは一人の痩せこけた男だ。余程切羽詰まっているのだろうが、辛そうな声ばかり気になって、内容は須らく頭に入ってこない。張りぼてといえど天使がこうであるのだから、ゴブリンに説法をするより滑稽である。

しかし、仕方のない話だ。私は他人の望みなんてものに興味は無いので、この男の話すことなど、心の底から如何でもいいものなのだから。明るい望みでも暗い望みでも、私はただ聞くだけだ。


「どうしても、どうしても……殺したい人間がいるのです……。」


まぁ何となく、闇が深いのだろうな、くらいは理解できるが。


『殺しをしてはならない。殺しを望んではならない。アンジュ教の教えを忘れてはならない。』


間違いなく私の口を通って、私の声が出た。しかしこれは私が意識して発した言葉ではない。詳しい説明は受けていないが、恐らくマジックアイテムのような類で、私の声を操っているのだろう。しかしいくら声を出しても全く疲労を感じないので、身体を操っているというよりは、認識を操る類のマジックアイテムだと推測している。


「分かっています……。ですが……! 私の息子は、あの男に殺されたのです。どうしてそれを許せましょうか!」


アンジュ教徒の男が尚も食い下がる声が聞こえる。

その言葉に思考力半分を取られつつも、興味があるのは、今晩の食事だ。


「息子には無限大の未来がありました。頑張り屋で、絵が上手くて……。将来は絵描きになるんだって、一生懸命に……。っ! なのに! あの男のせいで、全ての可能性は消えました。」

『―――。』

「……確かに、あれは事故でした。雨の日の悲しい事故でした。でも馬車にひかれた息子は……酷い状態で……。御者に悪気があったわけではないと分かっています。不注意でした。でも、どうして息子の命を奪った男がまだ生きていて……なんで息子は死んだのですか!? こんなのあんまりじゃないですか!?」 

『憎しみの心を受け入れてはならない。自らの悪魔に立ち向かいなさい。』

「ですが……。じゃあ、どうしたら……。私は、本当は息子に、生き返って欲しいのです。でもそれは、理に反する。私でも分かっています。理に反した魂は幸せにはなれない。それでも……。………………息子に……。いえ……あの男に天罰を……どうか、どうか、お下しください。」

『人には、行い相応の報いがある。罪人であればそれに相応しい鉄槌が下るだろう。天使の名に、そして偉大なる父、神の名に懸けて保証しよう。』

「……。」

『そして息子にも、その息子の善行に応じてそれ相応の報いを。』

「本当、ですか……? 息子は、天国で、幸せになれていますか……?」

『その人間が天国へ行くべき人間ならば、幸せであることを約束しよう。』

「……よかった。よかったぁ……!」

『願うべきものは、殺生であってはならないことを知れ。』

「はい!」


何やら解決したようだ。


晩御飯……肉汁たっぷりの肉も良いが、さっぱりとした魚も悪くない。


肉も魚も、食べるということは殺したことと同義である。しかし多くの宗教が生命の殺生を禁じているのに対し、アンジュ教はその限りではない。

お蔭で食事が美味しいので文句を言つもりはないが、殺しをしてはならない、という言葉がいかに矛盾に満ちているかという証明にもなり得る。なんだか知れば知るほど継ぎ接ぎだらけの宗教だ。

恐らくは、人以外は殺しても良いことになっているのだろうが、この宗教を起こした人の考えは屹度違った。何故なら神典には、動物を殺して地獄に堕ちた人の話が幾つも載っているのだから。


このことから、善悪の基準なんて宗教でも時代でも変わるわけで、当然殺生に関してもそうであることはご理解いただけるだろう。

ということは逆説的に、とある時代のとある環境に生きているとある人にとっての、善行と良い事象に絶対的な因果関係なんてあるはずもない。あるはずもないのだから、人には行い相応の報いがあるなんて、とんだ詐欺である。

それが自分の口から出たことには如何しても違和感があるが、まぁ致し方あるまい。


その後、男は妻と息子たちの無病息災を願って帰っていった。それなりに給金がある人だったのか、礼金もたっぷりあったそうだ。

その一部は私の食事になるので、非常に喜ばしい事である。


このような感じのことを幾回か繰り返せば、私のその日の仕事は終了だ。

good。楽なのは損が無いので、素晴らしい。

そうして更に素晴らしい事に、仕事後は、神殿の地下で私は好きなだけ寝たり食べたりすることを許されている。


「失礼致します。天使様。」


鈴のような美しい声と共に、見慣れた顔が部屋に入ってきた。


「お食事をお持ち致しました。」


私は手足がなく食事も移動も不可能なので、世話係が一人宛がわれていた。話を聞くにどうも若法王の妹らしい。

人々にはシスターと呼ばれていた。

蜜色の髪は手で包み込みたいほど美しく、垂れ目なところも薄くピンク色の唇も、どこか若法王の面影があるが、それでも女らしい花のある容貌をしている。動作も声も静々としていて、五月蠅い所がない。

いや、一つあった。シスターの目は、少五月蠅い。私がただの本屋の娘であることを知らないらしく、彼女の私を見る目は、盲信これ極まれりといった具合だ。気味が悪くもあるし、哀れでもある。


彼女は日に四度、食事を伴って私の前に現れた。そしてその都度、甲斐甲斐しく食べさせてくれる。

まだ私に手足があった頃、フォークやスプーンを使うのが面倒で手で食べていた時は、困ったような顔をした兄が私に食べさせたが、あれは非常に雑だった。咀嚼し終わらない先にどんどん食料を詰めていくし、肉、果物、肉の順番で食べさせた時は流石に殺意が沸いたし、何よりぽろぽろと零れるのが汚らしい。

対してシスターは非常に丁寧で、細部まで気遣いを怠らない食べさせ方だ。丁度食べたいと思った時に食べたい物を口に運んでくれる。水分の取らせ方まで完璧だ。当然、何かが零れることなどない。


ほら、今も魚を食べたいと思った瞬間に、海の幸が私の口に運ばれた。

あぁ! この海産物の独特の香りととろけるような脂の甘さよ! 脳が痺れるようだ。やはり金があるからか、教会の料理は天下一品である。

魚だけでなく、幾種かの副菜もこれまた佳味であり、最初から最後まで堪能しつくした。料理を食べているこの瞬間が一番、天使役を請け負って良かったとしみじみ感じる時間だ。食事が美味しいし、満腹になるまで食べられる。なんて幸福なのか。


―――ごちそうさま。


食後、シスターの顔を瞥見すると、やはりこの部屋に訪れた時と変わりなく、心酔した表情をしていた。彼女は私の食事を初め、風呂も排泄も、何から何まで世話しているというのに、どうしてこのような相好が出来るのか不可思議に耐えない。

彼女の目から、崇拝の念が殴られるように伝わってくる。

その崇拝を向けている先の女が、ただの一般庶民であると知れば、シスターは如何なるのだろうか。


まぁなんでもいい。私は私が幸せであればそれでいいのだ。他人のことなど、知ったことではない。


「御寝所へご案内申し上げます。」


食事が終われば、身体が沈み込むほど柔らかなベッドに寝かしてもらえる。気分はさながら、青空を漂っている雲である。

恐らくこれは、快適な睡眠が出来るようなマジックアイテムだろう。


ちなみにマジックアイテムとは、魔法陣を核としていて、魔素を流せば誰でも効果を発揮できる便利アイテムのことだ。

魔法が使える人間は限られているが、魔素は大概の人間が持っているので、使用に困ることは無い。一家にお一つマジックアイテム! という宣伝文句もあるくらいに、庶民にまで広がっているマジックアイテムではあるが、それはあくまで小さな火を灯したり、小さな箱の中を保温保冷したりする実用的な機能くらいで、睡眠特化なマジックアイテムなんて、非常に贅沢な話だ。


そんな所で寝転がった日には、一も二もなく夢見心地になるのも無理はないだろう。


「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、清らかなる神の子よ。あなたの手はわたしたちのために葬られた。どうぞお次は、私たちの手をお使いください。人類をあわれみ給え。」


シスターは祈りの文句を唱えてから、部屋を後にした。


私は幸せな心地で、意識を手放した。

神よ、もし存在するなら、是非ともこの生活が続かんことを。


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