第九十三話 不安になりました
ラトスと偶然にも顔を合わせることができた翌日。
奇しくも他のクラスと一緒に行われる『合同授業』の日であった。
生徒たちは学校側が用意した馬車に乗り込み、都の外へと向かう。
俺はいつもの面子と一緒の馬車に乗り込んでいた。
さすがはお金持ちの学校が用意するだけあり、馬車の乗り心地は最高だった。
「一度こういうのに慣れると、普通の馬車に乗るのが辛くなりそうだな」
「え? コレが普通ではないのですか?」
「……出たよ、ナチュラルなセレブ発言」
俺が乗り心地の感想を呟くと、カディナが不思議そうに言った。俺とアルフィが思わずジト目を向けると、カディナが肩(と胸)をビクリと震わせた。
「な、何でしょうか。もしかして私は気に触るようなことでも言ったのでしょうか」
「よく考えれば、アルファイア家って名家中の名家だしな。このぐらいなら普段から乗り慣れてるか」
アルフィが呆れたように言った。
俺とアルフィにとって、ジーニアス魔法学校の環境はかつて無いほどに充実したものだ。おそらく、ただ平民として過ごしているだけでは一生味わえないほどの贅沢をしている。
だが、カディナや他の貴族にとっては贅沢ではなく『可も無く不可も無く』程度の認識なのだろう。
ミュリエルは馬車が動き出す前から客席に座り次第に爆睡しているので、会話には参加してこない。
「乗り心地が良いと言ってもそれなりに揺れるし、良く寝られるな」
「逆に、この揺れが心地よい眠気を誘うのでしょうね」
「いやいや。こいつ場合、躯が固定されればどこでも寝られるんじゃね?」
「「ああ、確かに」」
俺の率直な意見にアルフィとカディナが同意した。
──向かう先は都近郊の草原。
近くはあるが距離はそれなりに離れており、馬車での移動はもう少し時間が必要だ。
俺たちは窓から外の景色をぼんやりと眺めていたが、やがてカディナが口を開いた。
「今回の合同授業で、一緒になるのがラトスさんのクラスだったのは驚きましたね」
今朝、草原に出発する前に行われたクラスのホームルームで、ようやく合同授業を共にするクラスがゼストの口から明かされた。
俺もまさか、昨日の今日で一緒になるとは思ってもみなかった。
「おい、リース。ラトスの奴は大丈夫なのか。聞いた感じだとあまり調子は良さそうじゃ無いけど」
「俺が聞きたいくらいだよ。まぁ、体調の面に限れば問題ないだろうさ」
「微妙に含みのある言い方だな」
「さぁ、どうだろうな」
一応、アルフィ達には昨日ラトスにあった事は伝えてある。ただ、手紙の一件で悩んでいる事だけを教え、ラトスの憔悴ぶりは程度を抑えて話した。
ラトスとしても余計な心配は掛けたくないだろうし、必要以上に干渉もされたくないはずだ。
──我ながら〝らしくない〟と思う。
ラトスの事に関して、俺は及び腰になっている自覚がある。
ジーニアスに来て初めてできた友達だからか。
性別を偽って学校に通っているからか。
当人が隠しているのを奇しくも知ってしまった後ろめたさか。
あるいはその全てか。
少なくともラトスは嫌々と性別を偽っているようには見えない。先入観さえなくせれば中性的な男子として堂々と達振る舞っている。それに、ジーニアスでの生活が非常に充実したものであるのは普段の様子から見ても分かる。放課後での魔法鍛錬もやる気に満ちていた。
そこに来て昨日のあの憔悴ぶりを思い出すと、どうにも腫れ物扱いになってしまう。
友人として、ラトスの力になってやりたいとは思う。けれど、どう対処すれば良いのか皆目見当も付かない。
人様にこれほど気を遣ったことが今まであるだろうか。少なくともアルフィには一切の遠慮したことが無い。
ぶっちゃけ面倒だし。
「おい、今失礼なこと考えただろ」
「さすがだな。よく分かったな」
「……今は馬車の中だから我慢してやるけど、後で覚えてろよ?」
相変わらず勘の鋭い奴だ。幼馴染みだから仕方が無いか。アルフィとしても慣れたものだろうしな。
こんな感じで、アルフィが相手ならとことん遠慮せずにすむ。やはり、積み重ねてきた時間があるからだろうか。
「…………(すぴぃ)」
「こいつは本当に暢気だよなぁ」
ミュリエルは俺の苦悩を知らずに、気持ちよさそうに寝ていた。
『合同授業』の目的地に到着した俺たちは馬車から降りる。時間差で到着した馬車からもぞろぞろと生徒たちが外に出ていく。やはり二クラス分の人数だと結構な数になるな。
──ギンッ。
唐突に背筋が震えた。
何事かと周囲を見渡すと、引率の教師達が乗っていた馬車から降りた一人の女教師が、親の仇でも睨み付けるような視線をこちらに向けている。
「あれは……ガノアルクさんのクラスを担当してるヒュリア先生ですね。もの凄くこっちを睨み付けてますけど……あなた、何をやらかしたんですか?」
「おいおい、どうして俺を睨んでると分かるんだよ」
「いや、あなたしか原因はあり得ないでしょう」
「心当たりはある」
カディナに断言されてしい、俺は認めながら肩を竦めた。全く以てその通りだからだ。
「やっぱり……。で、何をしたんですか? あなたのことですから、またろくでもないことなのは予想できますが」
「入学試験の実技試験を担当してたのがあの人だった」
「……大凡のことはだいたい理解できました」
心底気の毒そうにカディナはヒュリアに同情を寄せた。
ジーニアスに入学してからというもの、校舎内で時折ヒュリアと擦れ違うのだが、その度にもの凄い視線を向けられている。
『教師と生徒』という立場は理解してくれているようなので、今のところは問題ないが、いつか廊下で会った途端に攻撃魔法をぶつけられないかちょっとひやひやしている。
「まさか〝指導の一環〟って体でいきなり魔法を打ち込まれたりしないよな」
「やっべ、その可能性は考えてなかった」
アルフィに言われて俺はハッとなった。もしかしたら誤射を言い訳に魔法で狙い撃ちにされるかもしれない。
「本当に大丈夫なんですか?」
「……いつでも超化使えるようにしとくか」
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ」
「うぉぉっ!?」
突然背後から声を掛けられ、慌てて振り向くと腕を組んだゼストが立っていた。
「ゼスト──先生……いつの間に」
「んなこたぁどうでも良い。それよりも余計な心配なんていらねぇよ」
「いや、口だけで信用できる顔じゃ無いっすよ、アレは」
ゼストに顔を向けながら、ちらりとヒュリアの方を見る。黄泉の森に生息する凶暴な魔獣にも匹敵する殺意が込められており、またも俺の背筋が震える。
「奴ぁ誰かさんと入学試験でやり合った後、学校長に短気を起こさないように口酸っぱく言いつけられてる。どれだけ選民主義で短慮でプライドの高いお嬢様であっても学校長には忠実だからな。下手は打たんだろうよ」
「あの……もしかしてゼスト先生とヒュリア先生は仲がよろしくないのですか?」
カディナが恐る恐るといった風に聞くと、何故かゼストは俺を軽く睨んだ。
「どっかの誰かが本領では無いとはいえヒュリアの奴に勝ったせいで、なんやかんやあって俺がノーブルクラスの担当になっちまったんだよ。それでちょっとな」
「そういえば、ノーブルクラスの担任は元々はヒュリア先生が行う予定って最初の頃に言ってましたね」
「んで、俺が担当するはずだったクラスにヒュリアがなったって訳だ。元々仲ぁ良い方じゃ無かったが、完全に目の敵にされちまったよ。何せ、ノーブルクラスを担当することはあいつにとっての『誇り』みたいなもんだったからな」
「学年のトップを集めたクラスの担当ともなれば、大変名誉な役職ですものね」
ゼストだけで無く、アルフィとカディナからも冷たい視線を感じる。俺は入学試験で満点合格しただけであって、疚しいことなど一つも無いぞ。
「話は逸れちまったが、ともかく奴から直接手出しは無いはずだ。……間接的にはどうだかしらんがな」
「最後が不穏だぞ」
「ま、目に余るようになったらそれなりに手助けするから頑張りな」
ゼストは気休めのように俺の肩をポンと叩き、後ろ手を振りながら先に行ってしまった。
「それなりって、信用できねぇなおい」
「……この合同授業、そこはかとなく不安になってきました」
カディナの呟きに、俺は頷きそうになった。
ただでさえラトスのことで悩んでいるのに、ゼストの話を聞いて頭が痛くなりそうだ。
「いや、半分はお前のせいだからな」
「やかましいわ!」
アルフィのツッコミに俺は思わず噛みつくのであった。