第九十話 苦いのですが──しゃっきりしました
「なんかドッと疲れた……」
どうしてか、青髪の顔を確認しようとする度に問題が発生、遭遇していた。どれも一手間で解決できるものばかりであったが、こうも立て続けに遭遇すると気が滅入ってくる。今日は厄日なのであろうか。
俺にとっての不幸であって、被害者らには幸運なのでこれ以上の悪態をつくのは止めておこう。
時間の頃は既に夕暮れ時。空がオレンジ色に染まっている。
いい加減に青髪の追跡を止めれば良いとも思うも、ここまで来ると半ば意地だ。何が何でもアレがラトスなのかを確認しておきたい。
──確認して、何を聞くつもりだろうか。
俺は屋根の縁に立ちながら腕を組んだ。
勢いで追いかけ始めたものの、いざ会ってからどうするかはあまり考えていなかった。
手紙のこと。
性別のこと。
家庭のこと。
ラトスにとってはどれも踏み言って欲しくない話題。それを追いかけてまで問い質すのは無神経すぎやしないだろうか。少なくとも愉快な話にはならないだろう。
柄にも無く尻込みしているのを自覚しつつ、俺は青髪の行方を目で追った。とにかく、青髪がラトスか否かをしっかり確かめておこう。
そう思った矢先だ。
丁度視線の先にジーニアス制服の青髪を捉える。人通りの少なくなった公園だ。ベンチに腰掛けて俯いている。
俺は念のため、右を見て左を見て、邪魔が起きる気配が無いかを確認。何もなさそうなことを確かめて胸を撫で下ろすと、屋根上から近くの人目の無い横道に着地して公園に向かう。
「やれやれ、やっと追いついた」
ここまで来るのに本当に長かった。これであの青髪がラトスで無く全くの別人であれば、今日の俺の行動は何だったんだと言いたくなる。
「ラトスっ」
俺の心配は杞憂だったようだ。名前を呼ぶと、俯いていた青髪の肩がぴくりと反応した。どうやら当人に間違いない。
「……リース・ローヴィス?」
「そうだよ。皆さんのアイドル、リース・ローヴィス君ですよ」
「そのふざけた物言いは間違いなくリース・ローヴィスだね」
疲れと呆れが深く混ざった溜息を吐いてから、ラトスはゆっくりと顔を上げた。
俺は少しだけギョッとなった。
ラトスは中性的な要素を含む整った顔立ち。俺の中では既に『ラトスは女の子』という認識が強いから男装した女性としか見えないが、その先入観が無ければ女性からは黄色い声を上げられる対象となるほどの美形だ。
しかし、今のラトスの肌はかさかさになっており目の下には色濃い隈が浮かび上がっている。頬も少しほっそりとしておりやつれた印象がある。髪も色つやがくすんでいるように見える。
「やぁ、しばらくぶりだね。どうしたんだ?」
「『どうしたんだ』はぶっちゃけ俺の台詞なんだが……」
なにを口にすれば良いのか迷ってしまう程度には、ラトスの変わり様は俺にとって衝撃が強かった。
「……ちゃんと飯食ってんのか?」
「どうにも最近食欲が無くてね」
「あと、寝てるか? 目の隈が凄いことになってるけど」
「あまり眠れてないかな。頭では寝なきゃ駄目だと分かってるんだけど、どうにもね」
当たり障りの無い話題から触れてみたが、こんな返しだ。
まさに不調の極み。
食欲不振に睡眠障害って精神的に末期状態じゃねぇか。多少の心配はしていたが、その十倍以上はラトスの状態がヤバかった。
「ちょっと待ってろ」
俺は胸元から収納箱のペンダントを取り出し軽く叩く。右手の平を上向きに持ってくればあら不思議、ペンダントから漏れた光が形を作り掌に収まる程度の丸薬が出現する。
「とりあえずコレ食え」
「これは?」
「特製の栄養剤だ。噛み砕いてから飲み込め」
寝不足と空腹で頭が働いていないのか、俺が収納箱を使ったことには特に何も言わなかった。ラトスは首を傾げながら丸薬を手に取ると少し観察してから口に含み噛み砕いた。
…………………………。
「────んんんんんっっっ!?!?!?」
若干の時間差で、ラトスは大きく目を見開き口元を手で押さえた。
「吐き出すなよ。気合いで飲み込め」
「んんんっっ!」
おそらく「無茶言うなよ!?」とか叫びたいんだろうが、口が麻痺して開かないのだろう。それでもラトスは散々悶えつつ、涙を目に溜めながら口の中身を飲み干した。
「ほれ、口直し」
丸薬と同じく収納箱から取り出した赤色の果実を取り出して差し出すと、ラトスはひったくるように受け取り外聞も無く齧り付いた。
一心不乱に果実を咀嚼し、やがて芯だけを残して食べきった後にラトスは人心地ついたように息を吐いた。
「いきなり何を食べさせるんだよ!!」
「だから特製の丸薬だ。頭しゃっきりしただろ?」
「ふざけるな! それどころじゃ…………ん?」
俺はすかさず鏡を取り出し、ラトスに向けた。怒鳴り声を重ねようとしたラトスだったが、鏡に写る己の顔を見て眉をひそめる。
少し前までは目の下に隈を濃くし、肌は乾き頬はやせこけていた。だが今は肌全体に潤いが満ちており頬もふっくらとしている。目の隈も無くなり、髪の色艶も良くなっていた。
「滋養のある薬草を、これでもかと詰め込んで調合した薬だ。効果のほどは実体験しただろ」
「さっきまでの倦怠感が嘘のようだ。……あの苦みさえ無ければ完璧なのに」
気持ちは分かるが、仕方が無いのだ。
ラトスに呑ませたのは大賢者に調合法を教わった丸薬だ。
材料は黄泉の森に生えている薬草類。俺にとっては作るのは慣れたものだが、一般の薬師であれば材料を手に入れる時点で挫折するほどの一品。
ラトスの反応を見れば分かるとおり効果は抜群なのだが、苦みもまた抜群。この苦みが曲者で、何やら特別な成分からくる味で単なる甘みでは打ち消せず、ラトスに渡した黄泉の森に自生する特別な果実でなければ打ち消せないのだ。
始末の悪いことに、この果実を丸薬に混ぜるとその効果が大幅に薄れてしまう。よって、必ずあの苦みは体験しないといけないのだ。
「ありがとう……とは言っておくよ」
「どういたしまして」
恨めしい声色で感謝を口をするラトスに、俺はさらりと答えた。
俺も大賢者との修行で、効用は違うが似たような薬をよく飲まされたからな。気持ちは痛いほど分かるのだった。