第八十九話 追いかけるのですが──何故か遭遇します
俺はふと思い至る。
「だったら収納箱とかあればいいんじゃね?」
アレがあれば実際に手に持たず、身につけるのは装備だけで十分だ。入学祝いに貰った収納箱を今まさに身につけているが、中には三日四日は野宿しても全く問題ないほど食料品を詰め込んである。
収納されている物の時間は停止するので、腐る心配も無い。過酷な環境に身を置くならばあれほど都合の良い魔法具は無いだろう。
「おぬしに渡したのは特別製じゃよ」
大賢者は菓子の最後の一欠片を飲み込んでから言った。
「普通の収納箱はせいぜい背嚢一つ分じゃし、時間の流れも通常空間と同じじゃ。長時間入れておけば当然のように腐る」
「あれ? けど俺の貰った奴って──」
「じゃから特別製だと言うとろう」
大賢者が、まるで世間知らずを諭すような顔になる。
「貴重な素材を惜しげ無く使い、超一流の職人が心血注いで作った一品じゃ。だから容量もデカい上に、収納空間は時の流れが停止しとるんじゃよ」
「……もしかして、もの凄く高い?」
「一等地に建つ貴族の豪邸を、土地ごと買い取ってもまだ相当にお釣りが出るくらいじゃの」
潤沢な物資を収納箱に入れていても、それを消費する間もなく所有者が死亡すれば、大損どころの話ではないな。
「つか、そんなものを気軽に人に渡すなよ」
「ああ、儂はおぬしに渡したのと同じ物があるから気にせんでええぞ。そいつはもう正真正銘おぬしの物じゃ。人に譲るなり売り払うなり好きにせい」
「さすがに売る気はねぇけど……よく考えたらこの話、街中でしていいもんじゃねぇぞ」
俺の胸元には、今まさにその超高級レアアイテムがぶら下がっている。今の話がよからぬ事を企む者の耳に届けば、騒動の原因になり得る。
「そこは安心せい。既に対処しておるよ」
大賢者は人差し指をぴんと立てる。そこには指の爪ほどの小さな魔法陣が投影されていた。
え? と俺は自身の周囲を見渡す。注意深く観察して、ようやく結界らしき物が張られている事に気が付いた。本当に、注意深く見ないと分からないほどに巧妙に隠蔽されている。
「防音の結界じゃ。有象無象がいくら群がってもどうとでもなるが、面倒くさいからのぅ」
「いつのまに……」
「不思議な──辺りからじゃ。これに言われて気づくようでは、おぬしもまだまだ修行不足じゃな」
「ほっほっほ」と、大賢者は年寄りがするような笑い声を発した。実年齢はまさに婆さんなのだが、見た目美少女がすると違和感がもの凄い。
「恐れ入りましたよ、大賢者様」
「うむ」
大賢者は得意げになりながら、いつの間にか取り出していた新しい菓子を口に含む。
「うまうま」
「って、まだ食べるのかよ」
「当然じゃろ。ほれ、欲しければおぬしも食え」
と、手渡されたのは香ばしい匂いがする揚げ物のような菓子だった。これまた随分と腹に溜まりそうな物を。先程食べ終わった菓子もかなりのボリュームがあった。なのに、食べるペースが一行に減らないのが恐ろしい。
「異次元過ぎるだろその胃袋。その小さなナリのどこにそんな糖分が入るのだろうか」
「ほれ、女の子にとって糖分とは別腹というじゃろ」
「女の子なのは姿格好だけだろうが」
都合の良いときだけ外見相応になろうとする困った大賢者様だ。
ありがたくお菓子は頂戴しておこう。
婆さんから菓子を受け取ろうと手を伸ばした。
──視界の端に『青色の髪』が映った。
「あれは──」
はっとなり慌ててそちらに目を向ければ、人混みの隙間からジーニアスの学生服を着た後ろ姿を見つける。
「悪い婆さん! 用事を思い出した、また今度な!」
「ちょ、どうしたのじゃ!?」
背中に大賢者の声を受けながらも、俺は人混みの先に消えたジーニアス学生服を追いかけた。『青髪』という特徴だけであり、あれがラトス本人では無くともその確認だけはしておきたかった。
だが、平日とは言え通りを歩む人は多く、追いかけようにもすぐ通行人に阻まれて足が止まってしまう。油断しているとすぐに見失ってしまいそうだ。
「ああもう、面倒くせぇな!」
俺は手近な脇道に入り込むと、近くに人気無いのを確認する。こちらに意識を向けている者がいないのを確かめてから、俺は跳躍を使って一気に通りに並ぶ建物の屋根にまで跳び乗った。
「さて、どこにいるかなっと」
都の建物は故郷の村にあるそれらより圧倒的に高い。早々に視界も高くなり、人混みを良く見渡せる。
適当なアタリを付けて探すと、程なくして目的の青髪生徒を発見した。
「あ、しまった」
一気に飛び降りようとしたところで自制した。
こんな人混みの中に飛び降りたら確実に騒ぎになる。そうなったら落ち着いて話すどころではない。かといって離れた人気の無い場所に降りても、また見失いそうだ。
仕方なしに、俺は青髪が人気も少なく、かつ飛び降りても騒ぎになりにくい場所に行くまで屋根上を伝っていくことにした。 途中、民家の窓から顔を出した人と目が合ったりして、俺は適当に手を振ってすぐ次の民家に飛び移った。
その数軒先で、明らかに怪しい男が人目を忍んで民家の外壁にへばりついていた。観察していると男は壁をゆっくりとだが上っていき、ついにはとある民家のベランダに干してある下着に手を伸ばそうとしていた。
まだ日も高い内から下着泥棒かよ。
「はい残念」
あと一息で手が届く、というところで俺はそいつの背中に跳び乗り、外壁から引き剥がした。
「ああぁぁぁぁぁ…………」
絶望感の溢れた悲鳴が下へ落ちていくのを尻目に、俺は跳躍で次なる民家に飛び移る。
と、更に数軒を跳び伝うと今度は屋根の隅っこで震えている猫を発見。首輪をしており、下を見るとその飼い主らしき少女が今にも泣き出しそうな顔で屋根上の猫を見上げていた。
どうやら飼い猫が屋根に上ったのは良いが降りられなくなったらしい。
「ほら、もう大丈夫だ」
怯えて縮こまっている猫の側に着地した俺は優しくその躯を抱き上げる。俺の登場に驚いた猫は硬直するが、それが暴れ出す前に素早く下に降りた。
目を丸くする少女に、同じく目を丸くしている猫を差し出した。ほとんど反射的に猫を受け取った少女の頭の撫でてやると、俺は直ぐにその場を離れた。
「いけね、本分忘れてた」
屋根上に戻った俺は慌てて青髪を探すが、幸いにもすぐに見つかった。改めて追跡を開始しようとしたところで。
「『ひったくり』よぉぉ! 誰か捕まえてぇぇ!!」
女性の悲鳴が聞こえてそちらに目を向ければ、必死に手を伸ばしながら走る女性と、その先には人混みを強引にかき分けて走る男。手には女性のものと思わしき鞄を抱えている。
立て続けの事にイラッときた俺は半ば八つ当たり気味に跳ぶと、人混みをかき分けてひったくり犯の背中にそのまま着地し踏みつけた。
「ぐげぇっ!?」
カエルが潰されるような鈍い悲鳴を上げながら、地面に叩き付けられるひったくり犯。拍子に鞄が手から離れるが俺は素早く空中で掴み取ると、潰れて動けなくなったひったくりの背中に設置。そしてすぐさま跳躍してその場を離脱した。
「もう、何だってんだい今日は……」
三軒連続でトラブルに出くわすとか、運が良いのか悪いのか。
──俺はまだ知る由も無かった。
青髪を追跡する最中にまだ多くの問題が発生し、その解決に奔走する事になるとは。
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