第八十八話 何故かいるようですが──甘いものは大好きです
放課後になり、普段なら訓練場で鍛錬に明け暮れるところだが、どうにも気分が乗らずに街に繰り出した。
継続は力なり、とはよく言うが『時には何も考えずにサボるのも上達の秘訣じゃ』との大賢者の言葉もある。集中できないときは一層のこと遊び呆けた方がいいのだ。
とはいえ、実際には遊ぶ気にも食べ歩きを楽しむ気にもなれず、俺は一人でぶらぶらと街中を歩く。
理由はラトスと──テリアのことだ。
『ガノアルク家に関して、どれほどのことを知っている?』
授業中にテリアに問われた言葉が俺の頭からどうにも離れなかった。
俺はラトスについて知らないことが多い。
ラトスが意外と短気で喧嘩っ早く、そうであっても良い奴なのは入学初期からの付き合いでなんとなく分かる。アルフィを除けばジーニアスで一番親しい友人は間違いなくラトスだ。
世間話や授業内容については常によく話しはしている一方、ラトスの口から家族についての話が一度も出ていないことを思い出した。強いて言えば、テリアが編入してきたときに少しした程度だ。
あと知っているのは、ラトスを男としてジーニアス魔法学校に通わせている程度だな。
(ある意味、最重要機密を知ってるわけだが)
ラトスが俺が『本当の性別』を知っている事に気が付いていない。それに、普段の見る限り、今の境遇に特別不満を持っている様子は無い。逆に、己の技量を高めようと日々精力的に動いている。
だから、コレまであえて俺は男装について触れないようにしてきた。それで良いと思っていた。
今でもその気持ちに変わりは無い。ただ、ラトスが性別を偽っている理由を知りたい、という欲求が僅かばかりだが芽生え始めていた。
だが──聞けば間違いなく俺とラトスの関係は変化する。それも、おそらく悪い方向に。
何せ、本当の性別を知った切っ掛けがラトスと決闘した時であり、『サラシ』の内側に隠されていた破城槌を見たからだ──とは到底口にできない。
聞いてはいけないことは分かりきっている。だけど聞いてみたい。そんなジレンマが俺の頭の中をぐるぐると回っていた。
ラトスはジーニアスでできた初めての友人。それが崩れるのは俺も避けたいところなのだが……。
「あー、頭がもやもやする」
答えの無い悩みを抱え俺は頭を掻いた。
ここは一つ、甘い物でも食って気分でも変えよう。
都はこの国の中心部であり常に賑わっている。外から来る絶えずそれを狙った出店が多くあり、当然菓子を扱っている店も多くある。
その内の一つを探していると。
「店主、コレを一つ頼むのじゃ」
「あいよ。嬢ちゃんは可愛いからもう一個おまけしてやろう」
「おお、ありがたいのじゃ」
何やら見覚えのある後ろ姿が菓子を扱っている出店のおっさんと和やかに会話していた。一瞬見間違いかと思いたかったが、年寄り臭い口調と背格好からして間違いようが無かった。
「……こんなところで何やってんだよ、あんた」
「ん? おぉ! リースではないか。奇遇じゃのぅ」
「奇遇じゃのぅ……じゃねぇよ」
両手に受け取ったばかりの菓子を持ち、満面の笑みを浮かべている少女は、俺の師匠──すなわち大賢者であった。
「(もぐもぐ)あんた引き籠もりのはずだろ。なに出てきてんだよ」
「(もぐもぐ)そこはかとなく『森の奥に引っ込んでろ』と言われてるような気がするのぅ」
俺と大賢者は、先程の店で購入した焼き菓子を口にほおぼりながら並んで歩く。傍目から見れば兄と妹が仲良くしている風に見えるが、実際には祖母と孫である。血の繋がりは無いが。
「ほれ、おぬしが学校長の弟子とやり合ったじゃろ」
俺とミュリエルの『決闘』だな。学校長に招待されて百年近く出不精だったこの大賢者様は、久しぶりに住処である『黄泉の森』の外に出てきたのである。
「その帰りに街中をぶらついておったんじゃが、まぁ見たことの無い美味そうな菓子が見つけてな。試しに買って食ってみたらこれまた美味いのじゃよ」
大賢者は生粋の甘党。三食全てがお菓子でも構わないと言い切ってしまう程度には甘い物が大好きなのだ。俺の甘味好きは確実に婆さんの影響もある。
「婆さん家の近くにも甘い物は山ほどあるだろ」
黄泉の森は一般人にとっては地獄のような環境であり滅多に人は入り込まない。言い換えればほとんど人の手が入っておらず、天然素材の宝庫。当然、果物を初めとした『甘味』も探せばいくらでも手に入る。そのどれもが、料理人なら生涯に一度は調理してみたいと言わしめるほどの超高級材料だ。
「分かってないのぅ。素材そのままの味を楽しむのも悪くは無いが、人の手を加えられてこそ生まれる味わいというのもあるのじゃ」
黄泉の森に長年住んでいる大賢者も、とってきた果物等を使って菓子は作れる。だが彼女の持っている菓子の調理法は百年以上も昔のモノだ。だから尚更に、現代のお菓子が新鮮に感じられるのかも知れない。
「……不思議なもんじゃ」
婆さんは手元の菓子を眺めながら呟いた。
「……どうしたんだよ、急に」
「どれほどの金品財宝や名誉を前にしても黄泉の森を出ようとしなかった儂が、出店の菓子一つでこうも簡単に外へ足を踏み出すようになった。儂を歴史の表舞台に引っ張り出そうとした者たちが聞けば何と思うじゃろうかのぅ」
大賢者の名がまだ強く社会に響いていた頃。大賢者は世の柵に縛られるのを嫌って世間の前から姿を消した。だが、そんな彼女を外の世界へと連れ出そうとする者たちは存在していた。当時に強い権力を有していた支配階級がその大半だ。
彼らはあの手この手で大賢者を森の外に連れ出し、あわよくば己の陣営に加えよう、配下の者を黄泉の森へと送り込み、大賢者を説得させようとした。
だが、大賢者は決して首を縦に振らなかった。
そういった支配階級の人間と関わりたくないからこそ、大賢者は世俗から離れたというのに、本末転倒である。
「馬鹿な奴らじゃよ。宝石や金貨ではく、美味い菓子の一つでも持ってくれば、あるいは儂も少しは話を聞いたかもしれんのに」
「黄泉の森を踏破するのに菓子を持ってく奴は、相当に変わりもんじゃなかろうかと」
大賢者が黄泉の森から出るはずも無い。彼女に会うためには『黄泉の森』を通り抜けなければならなかった。まさに命懸けの行軍。装備や物資で荷物が一杯で『菓子』を積み込む余裕は無かったに違いない。