第七十三話 新しく入ります──知りたいようです
──ミュリエルとの決闘から三日が経過した。
「学生の本分は勉強だ」
「なに唐突に当たり前のことを言ってるんだよ」
朝の始業前。俺とアルフィはいつものように雑談を交わしていた。一昨日と昨日はミュリエルとの決闘でクラス内の話題は持ちきりだったが、今日になってようやく落ち着きを取り戻してきた。
「いやほら、最近は殴る蹴るぶっ飛ばすと荒事ばっかりやってたじゃんよ。ここで少し初心に返っておこうと思って」
「『決闘』をただの喧嘩みたいに言うなよ……。まぁ、そろそろ真面目に勉強しなきゃとは俺も思ってたけどさ」
──大賢者は決闘をした日の夜に会話をした。
ちょいちょいと小言を頂いたが、ほとんどが自業自得なので甘んじて受け入れた。ただ、小言の他にも「弟子の元気な姿が見れて何よりじゃ」と笑っていた。
折角来たのだから、都の案内でもしようかと申し出たが断られた。
「久方ぶりに外に出たが、やっぱり人混みは苦手じゃ」と引きこもり体質に改善は見られず、その日のうちに黄泉の森へ帰っていった。また今度、顔を出すとしよう。
それと、俺の周囲に小さな変化が生まれた。
「ごきげんよう、リース・ローヴィス」
「おはよう、カディナ」
どんな心境の変化なのか、ミュリエルとの決闘の翌日から、ノーブルクラスの『おっぱい枠』ことカディナが良く声を掛けてくるようになった。
「……なぁ、いちいちフルネームで人を呼ぶのってめんどくさくね?」
「申し訳ありません。親しくない方を呼ぶときにはどうしてもこうなってしまうので」
「……それを親しくない本人の目の前で言っちゃうか普通」
これまでは目が合う度に睨み付けられていたのだが、今では幾分かそれが和らいでいる。意識的な〝壁〟はまだ若干感じるがそれでも大分マシになっただろう。
「お二人とも、最近は決闘で色々と忙しいようでしたが、試験勉強の方は問題なくて? そろそろ中間試験が始まる時期ですけれど」
「一応は。毎日の予習と復習は欠かしていない」
「俺もだ」
ジーニアス魔法学校は、一年を三つの期間にわけている。入学してから夏の長期休暇までを一学期。休暇明けから年末までを二学期。そして年明けから昇級──最上級生は卒業──までを三学期。
そして、三学期を除いた一学期、二学期にはそれぞれ二度の大きな試験が実施される。
近頃は決闘やなんやらで賑やかであったが、そろそろ一学期の最初の試験──中間試験が始まる。ジーニアスに入学してから学んだ事を総合的にテストするのだ。
その為、来週から試験が終わるまでの間は決闘が禁止になる。試験勉強に専念して貰うためだ。
「アルフィ・ライトハートはともかく、リース・ローヴィスが毎日机に向かっていると聞くと違和感を覚えますね」
「お前本当に本人の前で遠慮しないのな。……今のところ、実技でも座学でも学年主席の座を誰かに明け渡すつもりはないんでそこんとこよろしく」
「望むところです。名実共に、必ずやあなたを主席の座から引きずり下ろすので首を洗って待っててください」
軽い挑発を込めて答えると、カディナは気を悪くするどころが不敵に笑い返してきた。以前なら殺意すら籠もっていそうな視線でにらみ返されたものだが、一体どういった心境の変化なのか。
ただ、これが嬉しい変化には違いなかった。切磋琢磨する相手と嫌悪し合わなければならない道理はない。アルフィと同じく楽しく馬鹿騒ぎをしながら研鑽し合う仲の方がずっと良い。
何より、学年三大おっぱいと交友が持てるのが何よりも嬉しい。これで真正面から巨大弩級おっぱいを拝むことが出来る。
ありがたや、ありがたや。
「えっと、どうして彼は急に拝みだしたのですか?」
「気にするな。いつもの病気だ」
「はぁ、そうですか……」
誰が病気だおうこら、とアルフィにツッコミをいれようとしたところで、予鈴が鳴り教室の扉が開いた。
「今日も楽しい学校の始まりだぁ。ほら席についたついた」
相変わらず目に隈を作ったゼストがやる気なさげに教室に入ってきた。また徹夜で研究でもしていたのか、教壇に立つとあくびを噛み殺し俺たちの方を向く。
ゼストからはやる気が全く見られなかったが、職務そのものは非常にこなす。最初はそのちぐはぐ具合に不思議な気持ちにさせられたが、今ではもうクラス全員が慣れていた。
主な話は、アルフィやカディナと話したように試験期間が近づいたことだ。試験の結果次第ではノーブルクラスからの一般クラスへの降格もあり得るとの警告も加えられた。
一通りの連絡事項が終わり、いよいよゼストの眠気も最高潮に達したとき、最早眠る一歩手前といったところでゼストが思い出したように目を開けた。
「おっと、忘れてた。今日からノーブルクラスに新しい生徒が在籍することになったからよろしく」
──重要事項が一番軽くね!?
おそらくクラス全員の心が一つになった瞬間だった。
「ゼスト先生、ノーブルクラスに誰かしらが入る場合は、既存の生徒が一般クラスに降格した場合に限られると以前に説明があったと思うのですが」
挙手をしたカディナが問い質すと、ゼストは面倒くさそうに頭を掻いた。
「そこはちょっとした大人の事情って奴でね。詳しく説明しちゃうと俺の首が飛んじゃうかもしれないんで勘弁してくれ。とにかく、今回に限っては生徒の入れ替えはなしだ」
清々しいほど裏事情があることを認めるゼストに、カディナが「うわぁ……」と顔を引きつらせた。本当に、なんでこんな人がノーブルクラスの担任をやっているんだろう。教師としては優秀かも知れないが、それ以外のところが駄目すぎやしないだろうか。
「前置きをこれ以上長く説明すると俺の居眠り時間が削られるんでさっさと終わらせるぞ。はい、ご入場」
ゼストが感情が欠片も込められていない拍手をすると、再び教室の扉が開き、廊下で待機していた新たなノーブルクラス在籍者が姿を現した。
彼女の登場に俺を含めたクラス全員が唖然となった。
「まぁ、大半の奴は顔と名前くらいは知ってるだろうがな。ほれ、自己紹介」
ゼストに促されると、胡乱げな目のまま口を開いた。
「……ミュリエル・ウッドロウ。今日からノーブルクラスに所属することになった。よろしく」
必要最低限の名乗りの後にぺこりと頭を下げたのは、俺が先日に決闘で打ち負かしたミュリエルであった。
──大人の事情って、学校長権限かい!
ミュリエルの師がこの学校のトップであるのを知る俺は、ゼストの言う『大人の事情』を悟った。
「細かい話は時間が勿体ないから省くぞ。気になることは休憩時間にでも聞け。さて、ウッドロウの席は──」
「彼の隣を希望する」
教室内を見渡すゼストに、ミュリエルはある一点──俺を指さしながら言った。
「……いや、あいつの両隣は既に埋まって──」
「彼の隣を希望する」
静かながらも頑として譲らない意思が言葉に含まれていた。ゼストは面倒くさそうに肩を竦めてから、視線をこちらに向けてきた。
俺の右隣にはアルフィが座っている。そちらに目を向けてから、俺とアルフィは揃って俺の左隣を見る。
左隣に座る男子生徒はぎくりと肩を震わせたが、やがて諦めたような溜息を吐いてから机の中の者を纏め、席を立ち上がった。なんだか催促するようで悪い気がしたが、下手に話が拗れずに済んで良かった。
ミュリエルは俺の左隣の席に腰を下ろした。
「んで、何でまたノーブルクラスに来たんだよ。しかも学校長権限まで使って」
俺は早速隣に座ったミュリエルに問いかけた。
「別に、ノーブルクラスとかはどうでも良かった。一年生時に履修する内容はほぼ全部網羅してるから、授業内容とかあまり興味ない」
おい、それは多分周囲に聞かせちゃ駄目な奴だぞ。
だが、それを口にする前に彼女はこちらに顔を向けた。
「でも、このクラスにはあなたがいる」
俺の胸が少し高鳴った。
「私は、あなたの──リースの事がもっと知りたい。だからこのクラスに来た。だから、よろしくね」
──ミュリエルが浮かべていたのは、彼女と出会ってからこれまでで一番可愛らしい笑みだった。




