第五十四話 久々です──ワクワクしてます
訓練場が閉まった後も、リースは学校の敷地内にある人気のない場所で鍛錬を行っていた。とはいうが、魔法は使わない鍛錬を中心としたもので、体術のキレ具合を確認する意味が強かった。
普段の彼であれば、決闘を翌日に控えていてもここまで丹念に調子を整えるようなことはしない。むしろ、早めに休息を取り心身ともに充実した状態で闘いに臨むのがリースの常だった。
だが、この日は別だった。
「せいやぁぁ!!」
空を撃ち貫くような正拳突き。気迫と共に拳を撃ち出したリースの表情は、今まさに誰かと闘っているかのような真剣みを帯びていた。
カディナに話したとおり、リースは最強を目指して魔法の研鑽を始めたわけではない。己の考えた魔法を実践するために誰かと矛を交えるようになったのだ。けれども、闘いを続けていく内に、闘いそのものにも楽しみを見出していった。
明日の相手──ミュリエルがどのような魔法を使ってくるのか。どれほどの実力を有するのか。想像するだけで胸が躍る。けれども、それ以上に彼の胸中には強い予感があった。
──明日の決闘は、ジーニアスに来てから一番激しい闘いになる。
根拠はなかったが確信めいたなにかがあり、気持ちばかりが高ぶっていく。とてもじっとしてはいられずに、こうして空が暗くなり始めてからも躯を動かし続けていた。
「……ふぅ」
躯に熱がこもり始める頃、リースは一度深呼吸をした。そして、少しの間を置き再び躯を動かそうとしたとき。
──闇夜を切り裂くような、一筋の閃光が走った。
「──防壁!」
リースはほぼ無意識レベルで反応し、魔力壁を投影。己へと発せられた『攻撃魔法』を防ぐ。閃光と防壁の衝突地点から、火花のように魔力の光りが弾けた。
「──ッ!?」
閃光は中級魔法に匹敵する力を秘めていたが、同等の魔法をリースはこれまで幾度となく防いできている。だというのに、防ぐ彼の表情には小さく焦りが含まれていた。
やがて閃光が消え去ると、リースは安堵するように大きく息を吐いた。
……それから、閃光が飛んできた方向をキッと睨み付けた。
「どうやら、勘は鈍っておらんようだのぉ」
「……久々に顔を合わせるにしちゃぁ、随分物騒なご挨拶じゃないですかね、大賢者様」
最早星明かりしかなくなった薄暗い空間の奥から、ケラケラと笑い声を発しながら幼い少女が姿を現した。
魑魅魍魎跋扈する『黄泉の森』の深奥に住まい、リースの師でもある『大賢者』であった。
「粒揃いとはいえ、まだ未熟な若者たちに囲まれた空間でぬるま湯に浸かっていると思っとったが、その心配はなさそうじゃな。一安心じゃて」
腕を組みながらまたも笑う大賢者に、リースは即座に疑問を投げかけた。
「なんで婆さんがこんな場所にいるんだよ」
「先日にここの学校長から便りをもらってのぉ。面白いものが見れると書いてあったので、こうして出向いてやったのよ」
大賢者が彼を指さしながら続けた。
「聞くところによると、お主は明日誰かしらと──ほれ、ここで言えば『決闘』だったかの。それをやらかすんじゃろ?」
大賢者の言う『面白いもの』が見当も付かずに首を傾げていたリースだが、続きを聞いて『ミュリエルとの決闘』であるとようやく気が付いた。
「って、婆さん。あんた、明日の決闘を見にわざわざ黄泉の森から出てきたのか?」
「可愛い弟子の奮闘する姿を一度は拝みたくなってな。にしても、あの森から出るのは何年ぶりじゃろうかのぉ。余程のことがない限り、世俗とは縁を切るつもりではあったのじゃがな」
しみじみと呟く大賢者。ミュリエルの話では百年ほど歴史の表舞台から姿を消しているらしい。
「これを機に今後もちょくちょくと外界に顔を出すようにするかの。胸くそ悪い俗物どもはその大半がくたばっているだろうし」
「まぁ……いいんじゃないのか? あんな薄暗い森の中に閉じこもっているよりは」
大賢者の引きこもり脱却発言に、リースは家に閉じこもっていた娘を再び世に送り出した親のような心境になった。
「ところでリースよ」
感慨深い気持ちを抱いていると、不意にかけられた声にリースは我に返った。その途端に、彼の背筋がゾクリと震えた。
それまでは陽気に笑っていた美少女が、次に見たときには老齢で狡猾な笑みを浮かべていたからだ。外見はそれまでと同じではあったが、滲み出る深みのある気配が彼女が『大賢者』と称されるだけの〝凄み〟を有しているのだと思い知らされた。
「先ほど、ワシの『閃光』を防いだのは見事だったが、防壁そのものの〝欠点〟は未だに改善できておらぬようだな」
「あー、そいつに関しては言い訳できない。色々と考えちゃいるんだが、今のところ目処が立ってないんだ」
リースは気まずげに大賢者から視線を逸らした。
「最早言うまでもないだろうが、過信は身を滅ぼすぞ。特に、お主の場合は必要以上に防壁を多用したがる。下手を打てば致命的な状況を招くぞ」
大賢者の忠告は耳に痛むが、一点の隙間ない正論にリースは黙って耳を傾ける。何しろ、彼女の言葉は常にリースが懸念している事でもあったからだ。
「お主のことだ。すでに見せつけるように防壁を使っておるだろう。そう遠くないうちに、お主ご自慢の防壁の突破口を見出す者が出てくるだろう」
〝突破口〟とはまさに言い当て妙だった。文字通り、防壁を突破してくる者が、この先必ず出てくる。
「案外、それはすぐかもしれないぜ」
「なんだと?」
リースの防壁を突き破る者。
──大賢者を除けば、それを成せた者は幼馴染みにして親友であるアルフィに他ならなかった。
だが、リースの中にある根拠はなくとも確信めいた予感が告げていた。
「まだお主がこの学校に入学してから一ヶ月と少し程度であろう。これほど早く──」
「婆さんも言ってただろ。このジーニアス魔法学校にいるのは粒揃いってさ」
明日の決闘。もしかしたらミュリエルは自慢の防壁を突破してくるかもしれない。
「……それにしては随分と楽しそうじゃな」
「そう見えるか?」
「ああ。まるで新しい玩具を見つけた童のようじゃぞ」
人様を相手に玩具呼ばわりは失礼極まりないが。なるほど、心境としては大賢者の言葉に近かった。
「これは確かに、明日は面白いものが見られそうじゃわい」
「ご期待に添えるかは分からないが、精一杯やらせてもらうさ」
──決闘を翌日に迎え、夜は更けていく。




