第五十三話 好きであるからこそ──
リースとの会話の後、カディナはそれ以上は気分が乗らずに訓練場を後にしていた。
まだ夕暮れ時にも早く、今から町に出て買い物をする時間はある。だがカディナは真っ直ぐに自室への帰り道を辿っていた。
その最中にリースとの会話を何度も思い返す。
──昨今の魔法使いにとって、魔法とは手段にすぎない。
いかに多くの魔法を習得しあるいは魔法の練度を高め、闘うこととなる魔法使いを上回るか。そこに重点を置いている。リースの考え方は、どちらかと言えば研究職を目指す者の思考に近いだろう。一昔前の、それこそ神秘の秘奥を追い求める人間の考え方だ。
本来なら、他者の夢や目標に口を挟む道理はない。ないはずだが、リースの言葉がカディナの琴線を揺らし続けていた。
「……魔法が好き──か」
まるで子どもが無邪気に口にするような言葉だ。そうでありながら、どうしてあれほどまでの魔法を手に入れられたのか、カディナには理解ができなかった。
カディナがジーニアスに入学したのは、兄が率いる魔法騎士団に入り、兄の補佐をする立場に上り詰めるため。やはり、彼女にとっても魔法とは手段の一つにしかすぎなかった。
彼女だって己の魔法への思い入れはあるし誇りにも思っているが、好きかどうかと聞かれれば答えに迷ってしまう。リースのように断言はできない。それがより一層、カディナの心を刺激して仕方が無い。
むしろ、〝子どもっぽい〟と馬鹿に──は失礼が過ぎるが、呆れる位は許されるだろう。実際に、これを語った本人は直後に「動機としては子どもっぽすぎるよな」と笑いながら述べていた。
だが、カディナは馬鹿にも呆れもできずに、これを聞いた直後に逃げ出すように訓練場から離れた。そうしなければ、胸中にある形容しがたい感情が溢れ出しそうになったからだ。
リースは破天荒な物言いや行動を除けば、実は良識のある少年だ。目上の者に対する敬意は皆無ではあるが、かといって反骨精神の塊では無い。権力を振りかざせば際限ない挑発が帰ってくるが、立場で物事を考えずに正面から向き合えば会話が成立する相手である。
しかし、魔法使いとしてのリースは本当に『無邪気』なのだ。幼い頃に抱いた『魔法が好きである』という気持ちを、今の今までずっと胸に宿している。
あんな子どものような考えを持つ輩に己は劣っているのか。そんな者と闘うことを私は恐れているのか。
そう考えつつも、いずれもしっくりこない。
胸の中にある蟠りの根源を、カディナ自身が摑みきれていなかった。そしてこれは、今回彼の話を聞く以前から。それこそ入学した当初に初めて彼と言葉を交わした時から胸の中にあった気持ちそのものであった。
しかし、不意にカディナは思った。
──もし幼い頃の己であればどうであろうか。
カディナも将来の立場や夢を考えずに魔法を習っていた時期があった。
それは、幼い頃に両親や兄から魔法の手ほどきをしてもらっていた頃だ。
あの年頃は、魔法を使うことが純粋に楽しかった。魔法を上手に使えれば周囲の人間が褒めてくれる事もあったが、新しい魔法を使えるようになればその度に心が躍ったものだ。父にねだって新たな魔法を教えてもらったこともよくあった。
カディナは思った。
……その気持ちが薄れてしまったのはいつだろうか。
他の同世代と接し、魔法使いとしての優劣を意識し始めた時だろうか。あるいは偉大な父の背中と兄の姿を見て、将来の夢を魔法騎士団の入団と定めたときだろうか。
いつの間にかカディナにとっての魔法は『好きなもの』から『夢を叶える道具』へと変じていた。魔法を楽しむよりも、魔法を使って目的を成す事に思考が切り替わっていった。
彼女に限った話では無く、多くの魔法使いが同じような道を辿っているはずだ。やがては魔法で身を立てていくことを考え始め、魔法が『道具』へと成り果てた。
「……ああ、そうなんですね」
ここに至って、ようやくカディナは考えが至る。
単純な話だ。
──好きこそ物の上手なれ。
リースは、子どもの頃からの気持ちを持ち続けている。純粋に好きであるからこそ、不純無く全力で高みを目指すことができる。
「つまりは、どれだけ好きな『魔法』に集中できるか、ということですか」
だからこそ、本気で新たな魔法を生み出す。
だからこそ、本気でその使い方を模索する。
だからこそ、十全に発揮するため己を高めようとする。
「だからこそ、彼が気になって仕方が無かったのかも知れない」
ようやく合点がいった。
カディナが忘れてしまった、魔法への想いをリースは大事に大事に抱き続けていた。
カディナは自分でも気づかないうちに小さく嫉妬をしていたのだ。時が経つにつれて失われるはずのその尊い気持ちを、未だに保ち続けているリースに。
〝純粋〟な魔法使いであるリースを、羨ましく思っていたのだ。
この時、カディナは気がついていなかった。
リースへ抱いていた羨望の感情が、実は幼い頃に父親に憧れていた時のそれに近かったこと。
そして、今まさに己がとびっきりの笑顔を浮かべていることに。




