第二十七話 実は意外と早起きです──ちょっとだけ過去話
今回は、リースとアルフィのちょっとした過去話。
アルフィの境遇に関しても少し掘り下げます。
──リース・ローヴィスの朝は早い。まだ朝日が差さぬ薄暗い夜明け前に彼は目を覚ます。その日が特別なのではなく、常日頃からこの時間帯なのだ。
男子寮の自室に置かれたベッドから身を起こしたリースは、寝間着姿から軽く身なりを整え、欠伸をかみ殺しながら運動に適した私服に着替える。
食堂はまだ開いていないが、代わりに買い置きをしてある消化に優しく栄養価の高い保存食を少しだけ腹に入れた。
寮から外に出る頃には眠気も抜けて思考が明確になってくる。
「さ、今日も張り切っていこうか」
軽い準備運動をすると、リースは朝の日課を開始した。
最初に学校の外回りを走って体力作り。
次に腕立て伏せや背筋、腹筋と躯の各部に負荷を掛けていく。
それが終われば、魔法の制御。防壁を繰り返し投影し、反射で宙を飛び回る。
一通りをこなした後は体術の訓練をひたすら続ける。
「せいやぁぁ!!」
普段の彼からは想像もできないほどに真剣さ。
風を切るように拳が突き出され、空を薙ぎ払うかのような蹴りが放たれる。ただ躯を動かしているだけのはずなのに、まるで軽やかに舞っているかのようだった。
──彼の戦い方は『防御魔法』と『体術』を融合させた、一般の魔法使いとはかけ離れたものだ。特に、攻撃の手段の多くは敵の懐奥深くにまで侵入する必要がある。その戦法を可能とするためには、『肉体』を鍛えることが非常に重要だった。
反射による移動法は、反射する衝撃に耐え切れる脚力とバランス力。手甲も、その効果を最大限に発揮するには実戦で通用する体捌きが大事。他にも手札はあるが、どれも鍛えられた肉体の存在が前提となっていた。
ジーニアス魔法学校に入学する前から、入学した後も、リースは朝の肉体作りを疎かにしたことはなかった。それも、我武者羅に鍛えるのではない。
『黄泉の森』の森に住まう大賢者の知識によって効率よく論理的に、余分な筋力を付けず理想的な体作りを目的とした訓練となっている。どの訓練が躰のどの部位に負荷を掛けているのか。それにどのような効果が発揮されるのかをリースは常に意識し、結果として肉体的にも精神的にも高いレベルで昇華されていくの。
まさに、闘うための肉体を作り出すための鍛錬なのだ。
──そんな日頃の訓練に余念が無いリースではあるが、実は最初から『防御魔法で天下を取る』なんて事を考えていたわけではない。
当初、彼にとって防御魔法は『一番身近にある玩具』であった(その認識は今でもあまり変わっていない)。
防御魔法は初心者向けと呼ばれるだけあって非常に制御が容易い。一番基本的な防壁など、ただ魔力を固めるだけで作り出せてしまうのだ。
やがてほとんどの魔法使いは、防壁を扱う上で必要な魔力制御を体得したらすぐに己の持つ属性に準ずる魔法に専念する。一度でも属性魔法を発動させれば、防御魔法と属性魔法の間にある消費魔力の差に気がつく。そうすれば、もはや防御魔法を扱おうとする気はなくなってしまうのだ。
逆に、リースは防御魔法しか扱えず、だからこそ防御魔法の扱いに熱中していった。
普通の人間であれば落胆するような防御魔法への適正は、彼にとっては「より自由に玩具楽しめる」程度の認識でしか無かった。悲壮感など入る余地はなく、防御魔法の活用法を模索し続ける日々であった。
反射による移動法を思いついたのも、結局のところは「面白そうだったから」という純粋な遊び心からくるもの。そして、この「面白そうな考え」を実現するために始めたのが、彼が毎朝の日課としている体力作り。元々は、闘うためではなく遊び心を満たすために始めたことなのだ。
だが、そんな彼の人生に大きな転機を与えた人物が二人いる。
一人は、魑魅魍魎が跋扈する魔境の深淵に住まう大賢者。
そしてもう一人が、彼の幼馴染みでありお互いを親友と認め合う希代の四属性持ち魔法使い。
アルフィ・ライトハートである。
アルフィの朝はベッドから脱出する事から始まる。寝付きは良いのだが逆に寝起きが悪く、毎朝起きることに四苦八苦するのだ。
彼はどうにか魅惑の寝床から抜け出すと、寝ぼけ眼をこすりながらボヤいた。
「……高性能な躯なのに、どうしてこの寝起きの悪さだけは前世のままなのかな」
周囲に誰もいない為に、彼は胸中の言葉をそのまま口にしていた。仮に誰かがいたとしても彼の発言には首を傾げているだろう。
──十五年と少し前、アルフィ・ライトハートはこの世に生を受けた。
その躯に宿ったのは赤子の魂ではなく、この世界とは全くの別世界──『地球』と呼ばれる世界で、不慮の死を遂げた若者の魂であった。
彼が己を『転生者』であると自覚したのは、物心が付いた頃。
言葉を覚え始める段階で急速に自我が目覚め、同時にこことは別の世界で産まれ、そして死を迎えた記憶があることに気が付いたのだ。
一度目の死を迎える前──つまりは『前世』での彼は、いわゆる軽文学を好んで読む若者であったからだ。
暇さえあれば本を開き、そうでなければ携帯端末でネット小説を愛読する程度であった。それらの中には『異世界転生』なる物語も描かれており、そのおかげで最小限の混乱で自らの境遇を受け入れたのだ。機械文明が発達した地球から、『魔法』が存在するこの世界の仕組みも、それと同じ理由で容易く受け入れられた。むしろ、魔法という空想の中でしか登場しなかった『神秘』が実在することに狂喜乱舞したほどであった。
己が転生を果たした当初は、自我が目覚めたのが物心付いてからであることに安堵。乳離れする前に自我を目覚め記憶を取り戻していたとすれば、母親に母乳を与えられたりおしめを変えられたりするところまで体験するところだったのだ。それを喜んで受け入れられるほど、アルフィの嗜好は尖っていなかった。
自我を得てからアルフィの内面的な成長は著しいものであった。
一度見聞きした物事は殆ど忘れず、圧倒的な早さでこの世界の言語を覚えていった。文字を覚えてからは近くに存在する本を片っ端から読みあさり、魔法についての情報をとにかく頭の中に詰め込んでいく。
その過程でアルフィは、己が歴史的にも希に見る『四属性』である事を知る。
『異世界転生で高性能持ちとか、胸熱すぎる展開だろ、これは』
アルフィが前世で一番好んでいたのがいわゆる『成り上がり』の物語。権力や血筋的に強力な背景を持たない主人公が活躍し、やがては世界的に名を知らしめる存在となる英雄伝記。
かつては憧れ、そして空想に過ぎないと諦めていた夢が、文字通り生まれ変わったことによって夢ではなくなったのだ。
四属性持ちであるのを自覚したアルフィだったが、彼の能力はそれに止まらなかった。『一を教われば十を得る』を体現するかのように、大人に教わった魔法を短期間で大人以上に上手に使いこなし、さらには別の形に発展させるまでに至った。
魔法だけではなく肉体面でも周囲の子供を大きく引き離し、どのような勝負であっても負けることはなかった。加えて、幼い頃からその美貌は周囲を魅了し、羨望と嫉妬を大きく集めていた。彼が同世代の子供たちの中心的存在になるのは時間の問題だった。
「よし、まだ『アイツ』はいるだろうな」
水属性魔法『浄化』で躯を清め、動きやすい服装に着替えるとアルフィは寮の外に出た。朝日が照らし始めた頃合いに、清々しい空気を大きく吸い込みながら、彼はある場所へと向かった。
寮から少しだけ歩いた場所にある広場。放課後になれば片隅に置かれているベンチに腰掛け、お喋りを楽しむ女子生徒たちの姿があるが、早朝からお喋りに勤しむ者はいない。
けれども、その開けた空間の中で、激しく動き回る男子がいた。
──物心付いてからまさに順風満帆な人生を送っていたアルフィ。
あまりにも優れすぎる能力に嫉妬し、一回り以上大きな子供に喧嘩を売られることはあった。だとしても魔法なしで勝てるほどであり、魔法さえあればそれこそ大人にも負け無いほどに破格の才能を有していた。
だが、順調に見えていた彼の『成り上がり物語』は、一人の少年によって大きな挫折を迎えるのであった──。
アルフィは一心不乱に躯を動かしている『彼』に声をかけた。
「相変わらず殊勝だな、リース」
「お? 珍しいなアルフィ。おまえ、朝はめちゃくちゃ苦手だったろ。涎の跡ついてんぞ」
「え、嘘?!」
アルフィはとっさに己の口元に手を伸ばす。
「嘘です。いつもながら憎たらしいほどのイケメンだ」
流れるように口に出されたリースの冗談に、アルフィは無言で真顔になった。
………………………………。
「────(ブォオン!!)」
「無言で殴りかかってくんの止めてくんない!?」
「朝っぱらから下らないことを言うお前が悪い」
己の拳があっさり避けられた事に不満を抱くが、悔しいと思ったことがリースに伝わるのが癪だったのでアルフィは表に出さず胸の内に留めた。
「で、改めて聞くけどどうしたんだ?」
「俺のこの格好を見て分からないのか?」
「勝負下着で無いのは間違いない」
…………………………(ブォォン!)。
「武術の授業がなくて不満だったんだろ? 久々に付き合ってやるよ」
「そいつぁ嬉しいが調子崩さず笑顔浮かべながらハイキックすんなよ!? すんげぇ怖いから!!」
悲鳴を上げながら、それでもどうにか顔面狙いの蹴りを回避するリース。口では情けない台詞を叫びつつも、身のこなしは見事としか言いようがない。ただ回避するだけではなく、即座に次の行動に移れるように重心移動をしっかりと行っていた。
そこから、なし崩し的に二人の組み手が開始する。
「魔法は無しだよな?」
「当たり前だ。俺とお前が本気を出したら、この広場なんて影も形もなくなるぞ」
「ごもっとも」
二人に関して全く知らない者がこの光景を目撃すれば、彼らが本当は『魔法使い』であると信じられなかっただろう。武道家と言われれば素直に納得できるほど、リースとアルフィの動きは苛烈を極めていた。
「今日こそその腹立つ顔に一発は入れてやるからな!」
「おい! 趣旨変わってるぞ!?」
「やることはどうせ一緒だ!!」
言い合いを重ねる間にも、拳や蹴りが絶え間なく交錯していく。
──アルフィは幼い頃、一人の少年に敗北した。
自分と同じ日に産まれたというだけの、どこにでもいるような普通の少年。世間では『初心者向け』されて不遇な扱いを受ける『防御魔法』に適正を持つ落ちこぼれ。
彼は思い知ることになった。
『たった一つだけ』を極め続けた者の真の恐ろしさ。
己の希有な才能など些細な問題と一蹴する存在。
それが、リース・ローヴィスという少年であったのだ。
──アルフィはこの出会いを呪い、そして感謝した。
だが今は……。
「上等だ! だったらそのイケメンフェイスにぶっこんだらぁぁぁ!!」
「やれるものならやってみろぉぉぉぉぉ!!」
朝日を浴びながら、二人は実に楽しげに拳を振るいあっていた。
アルフィの前世に関してはまたの機会に詳しく。長々と説明してもダレるでしょうし。
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