第二百五十四話 尻尾狐の尾の数は──
尻尾狐の一本尾は、【竜のクエスト】に出てくるお馴染みの青いアレと同等です
──この時、俺は確かに油断していた。
周辺が落ち着きを取り戻していると思っていたが、それは違った。
直前まで魔獣たちが暴れていたにしては、あまりにも静かすぎたのだ。
「こいつも、馬鹿のやらかしに巻き込まれたんだよな。……狩人目線だと余さず使うのが礼儀なんだけど、俺個人としては埋葬してやりたい気も……ん?」
事切れた魔獣をどうしようかと悩んでいると──俺はようやく『それ』に気がついた。
木々の間のさらに奥側に佇む、一匹の獣。
遠間でまだよく分別は付かない。
目を細めて注意を向けると、耳の形状からおそらくは狐の類であろう。
この森には狐の魔獣も確かに生息していたが、どうにも毛並みが気になる。
ただの黄色では無く、もっと色鮮やかなものに見えるのだ。
『それ』は誘導香で無理矢理に興奮させられた魔獣をも正気に戻し、恐れ慄き遠ざかったのであると、後々になって気がついた。
狐の背後で何本もの尻尾が揺らめいた。
「────────────ッッッッ!?」
全身の肌が泡立った。
まるで心臓を鷲掴みにされたような恐怖が襲いくる。
思考よりも先に反射が体を突き動かす。残っている内素のありったけを翼に込め、全力で飛び退いた。
次の瞬間には、俺が直前まで立っていた場所から紅蓮の火柱が立ち昇った。僅かでも動き出すのが遅ければ、間違いなく巻き込まれていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
火柱を見据えながら、荒い呼吸が口から溢れ出す。炎が収まれば、文字通り渦中に横たわっていた魔獣の死骸は黒く炭化していた。風がヒュルリと吹けば、音もなく脆く崩れ去る。
周囲の熱気に反し、背筋が凍え、冷や汗が止まらなくなる。
俺は生唾を飲み込み、もう一度、狐に目を向ける。
いつの間にか、姿を確認できる距離まで近づいてきていた。
虎型の魔獣ほどではないにしろ、狐にしては相当な大きさ。
これだけでも魔獣と判断するに足るが、問題なのはその背後から伸びている尻尾だ。
「七……八…………九……嘘だろ?」
数えながら、俺は己の正気を疑いたくなった。
──尻尾狐という魔獣がいる。
姿形は狐そのままではあるが、成長し力が増すほどに尻尾が増えるのだ。
一本や二本なら、狩人が普遍的に狩る獲物。三本あたりから注意が必要になり、舐めてかかって返り討ちにある狩人も出てくるだろう。
六本になると体格が飛躍的に大きくなり、狩人組合が要警戒対象に選ぶほどになる。
もっとも、そこまで尻尾を増やす個体は滅多にいない。尻尾狐の中でも限られた個体しか六本尾にはなれないからだ。七本までいくと、その目撃例は狩人組合ではほとんど記録がないとされている。
そして、俺の前に現れた魔獣の尾は──九本。
俺も大賢者から教わった限りであり、実際に目にしたのは初めてだ。存在を知っている者もおそらくほとんどいない幻の魔獣。
九尾狐と個体名が付けられるほどの、最上位危険魔獣である
──ケェンッ。
まるでアクビするかのような、小さな鳴き声。しかし、九本の尻尾が揺らめくと、その先端に火が灯り、俺に向けて放たれる。
衝撃から立ち直るも、そのせいで初動が遅れる。回避している余裕もなく、俺は吸魔装腕の回転翼を全力で稼働、魔力を供給しながら防壁を多重に投影する。
「ふざけんな! 初級並みの投影速度でこれかよ!?」
火炎が防壁に命中する度に、表面に罅が入り容易く砕かれる。砕かれる度に防壁を投影するが、尻尾から放たれる炎の連射は止まらない。しかも、防いでいるはずなのに火傷しそうな熱気が伝わってくるのだ。
九尾の狐は炎を撃ちながら、俺がいまだ健在であることに首を傾げる。
──クァッ!
それは苛立ちかあるいは戯れか。人には判別しにくい鳴き声を漏らすと、九尾狐は尻尾のそれぞれから放っていた炎を止めると、その先端を一点に向ける。
九つの尾が示す先に浮かび上がるのは、俺がこれまで嫌というほど目にしてきた、けれどもそのどれよりも緻密な構造を有し、濃密な魔力を帯びた陣。
俺は強化を解除して即座に超化を発動。迷わずに三枚の魔力翼を掴むと胸に叩き込んだ。
「進化!!」
右腕に剛腕手甲。左腕に吸魔装腕を具現装着。瞬く間に膨れ上がる狐の炎に向けて要塞防壁を構えた。
大火球となった紅蓮が解き放たれ、防壁に接触。
──その刹那、音が消えた。
完全に聴力が麻痺し視界も明滅する中で、構えた右腕がへし折れそうな凄まじい衝撃に耐える。ほんの僅かでも力が緩んだが最後、虎の魔獣と同じ末路を辿る。
要塞防壁への圧がなくなり、麻痺していた感覚も戻ってくる。自身の周囲を確認すると、前方と左右の斜め後ろ──つまりは俺の背後以外が軒並みに吹き飛ばされていた。地肌が剥き出しになっており、先程まで木々が生い茂っていたとは思えないほどの惨状である。
「くそっ、こんなの何発も貰ったら、先に腕が駄目になる」
要塞防壁を解除して九尾狐を見るが、あれほどの魔法を使ったというのにケロッとしていた。やはり消耗は無いに等しいらしい。対して俺は、右腕の痺れが取れず、心臓の鼓動が緊張で早っていた。
「明らかに魔法を使ってる──黄泉の森の外で『幻獣』に出くわすなんぞ、誰が思うかってんだ、クソッ」
九尾狐が宙に描いたあれは、紛れなく『魔法』の投影に他ならない。その事実に、俺は悪態をつかずにはいられなかった。




