第二百五十三話 手甲派生・爪
人間の頭など一口で噛み砕ける巨体を有する魔獣であるにも関わらず、その動きはあまりにも俊敏だ。視界に収めても次の瞬間には消え去り、耳に土や木の幹を抉る音だけが残る。
虎型の魔獣がその巨体にも関わらず、木々の間を縦横無尽に駆け回れるのは、体の節々から生えている角が理由だ。爪や髪と同じく、肉体の一部が硬質化したもので、魔獣はその角を突起として地面や木に突き刺し、踏切に利用しているのだ。
この辺りの木々が重量と踏切の圧に耐え切れる強靭さを有しているのもまた、魔獣の機動力を底上げする要因となっている。
とはいえ、種が割てしまえば対処のしようはいくらでもある。
速度そのものは大したものだが、そこから生じる音や気配がダダ漏れだ。ましてや、ただ速い程度の相手に遅れを許されるほど、大賢者の指導は生易しいものではなかった。
「うぉらぁっ!」
背後の右斜上から爪を振りかぶる魔獣に、振り向きざまに防壁を投影。衝撃で辺りの木の葉が舞い散るも、巨体の突進を受け止めるのには問題ない。停止した巨体の鼻面に手甲の拳をぶち込んだ。
俺に強襲を仕掛ける瞬間に、明らかに音が変わるし、何よりも殺気が一層に濃くなる。であればタイミングを見計らって迎撃を仕掛けるのも簡単だ。
自身よりも一回り以上の巨漢を吹き飛ばす衝撃に、鉄製の甲冑を容易く陥没させる手甲の強度が加われば相当な威力になる。
ただそれは相手が人間に限ればの話。
野生で培われた魔獣の肉体は、鍛え上げた人間の肉体を容易く凌駕する。鼻の骨に罅が割れよう血が吹き出し、吹き飛ばされようが殺気を挫くには届かない。即座に地を蹴り再び木々の間を飛び交う。
既に何発もの手甲を叩き込んでおり、外からは見えにくいが骨は何本も砕けて内臓も損傷しているだろう。生えている角も何本も折っている。
しかし、魔獣はさらに気勢を高め咆哮で空気を震わせ、さらなる殺気を撒き散らしながら俺を狙ってきた。
「やっぱりタフだな。それだけじゃねぇだろうけど」
魔獣の元々の気質もあるだろうが、誘導香の興奮作用も悪い方向に働いている。もしかしたら諦めて撤退を選択するほどの負傷であっても、今の魔獣は正常な判断力を失っており、それ以前に興奮のあまりに痛みすら感じていないかもしれない。
「胸糞悪いったらありゃしねぇな」
あの馬鹿二人には後でお灸を据えてやるとして、まずはそいつらがしでかした愚かな行為の尻拭いが先だ。
そのまま幾度かの強襲を迎え撃っていると、やがては魔獣は俺の正面に着地する。
口から血を吐き、それでも目だけはギラリと光らせている。
高機動を維持できる角は無くなったが、持ち前の爪で地面を抉り、これまでで最速を発揮する。けれどもそれは、奇策も何も無く愚策な突進には違いなかった。
俺は翼から魔力を解き放ち、迎え撃つ形で加速。魔獣が爪を振るうよりもさらに早く懐に飛び込み、すれ違いざまに右手を振るった。
「手甲派生・爪」
俺の背後に着地した魔獣は即座に振り返ったが、直後に首筋から鮮血が迸る。どうにか魔獣は俺に牙を突き立てんと踏み出すが、やがては力を失いほのかに地を揺るがせながら倒れた。
「悪く思うな。こっちも黙って餌にはなってやれねぇからよ」
自己満足と分かっていながらも声を投げかける。おそらく意味も何も伝わっていないだろうに、魔獣は最後に俺を瞳に浮かべると、そこから光が失われた。
『爪』は手甲の派生魔法。指に沿って投影された極薄の防壁。その先端は、まさしく刃と化す。
切れ味は相当なモノだと自負があるが、限界まで薄く形成するために強度の維持が難しく──簡単に言えばとても『脆い』。手元にある魔力の爪は。既にひび割れてボロボロになっており、切れ味も損なわれている。
完全に一度の攻撃で使い切る魔法であり、防壁の派生とは謳っているものの、脆すぎて防御にも使えない。
魔力を多く込めれば強度の担保になるが、そこまで労力を注ぐなら普通に手甲を投影して殴った方が早い。この魔法は、魔獣にトドメを刺す時が主な利用法である。
あと、切れ味そのものはあるので、人間相手に使うと容易く重傷に追い込みかねない。対人戦では使い所がないのが現状だ。
「さて、と。どうしたもんか」
やる事は決まっているが、戦闘後の高揚を落ち着かせる意味でもあえて口にする。
問題を起こした馬鹿二人を、教師たちのいる本営に連れて行くのが第一だ。それ以降については、教師たちからの指示待ちだ。
幸い──と言っては犠牲になった狩人に失礼だが、虎の魔獣は確かに強くはあったが、黄泉の森の基準で言うと『弱い個体』に部類される。おかげでほとんど消耗なく討伐する事ができた。
速度に限れは確かにかなりのものであったが、黄泉の森には同程度の速度を前触れなく、音も気配をほとんど消してやってのける化け物が存在する。そのレベルに行くと、継戦能力に秀でた強化ではなく、戦闘力のある超化でなければ、俺も対処できない。
「当面の目標で言えば、前に超化で勝てた奴らに強化で対応できるくらいか。……いや、これを『当面』にするには流石にハードル高すぎるか。まずは強化の精度を高めて──」
誘導香の効果も薄れてきているのか、大暴れをしていた虎型の魔獣を倒したところで辺りが落ち着きを取り戻していた。森全体についても、おそらくは魔獣の興奮もおさまりつつあるはずだ。




