第二百四十六話 異常事態が発生したっぽい
最初に足を止めたのはアルフィだった。
先頭を歩いていた親友は不意にその場に立ち止まると、険しい表情で周辺を見渡し、やがては俺に目を向けた。
「……なぁリース」
「やっぱりお前も気がついてたか」
「じゃぁ」
「もうちょい進んだくらいで俺も止めようとしてたところだ」
アルフィも森に入る機会が多い生活を送っていた。俺ほどではないにしろ、辺りに立ち込める『異変』を、他の班員よりも早く察知したのだ。
「も、もしかして何か問題が?」
班の一人が不安げな声を漏らす。
アルフィが俺に目配せするので頷きを返し、事情を説明する。
「実は、少し前あたりから森の空気が妙に張り詰めてる。ここまで急に肌がヒリついてくるとなると、あまりよろしくない」
非常に曖昧で感覚的な話だ。言葉にしたところで全てが伝わるとは思っていない。それでも、俺とアルフィが揃って真面目な顔をしているからか、只事でないことだけはわかってくれたようだ。
「……それで、これからどうするの?」
「課題の分はすでに仕留め終わってる。今すぐに本営に戻るぞ」
こういう時、話が早いのは実にジーニアスの生徒らしい。俺の意見に異を挟むものはおらず、アルフィを含めた班の全員が頷いた。
班長には本営の方向を示す魔法具が渡されているので確認。先ほどまでとはまた違った緊張が班の生徒達に伸し掛かるなか、気持ち急ぎ足で撤収のルートを辿る。
「教師達が気がついてると思うか?」
「少なくとも狩人の連中は気が付いてんだろ。とはいえ、情報の共有はしておきたい」
修行の一環として黄泉の森で長く過ごしただけあり、俺も経験の長さだけは他の狩人とも引けを取らない。ただ、ジーニアスに入ってからはその辺りは随分と疎かになっており、勘が鈍っていない断言できない。その辺りは現役で活動中の狩人と意見をすり合わせる必要がある。
と、周辺を警戒しつつも今後の事を考えていたその時だった。
俺とアルフィはハッとなり背後──つまり森の奥へと振り返った。
直後、森が脈動し、聞く者の心を鷲掴みにするような野生の咆哮が響き渡った。耐えきれず、女子達は耳に手を当てながら悲鳴を上げて蹲ってしまう。
咆哮の余韻が消えてなくなると、徐々に森全体の騒がしさが増していく。ここまでくると他の班員達にも感じ取れるようだ。顔を青くして落ち着きなく視線を彷徨わせていた。
俺は即座に決断を下す。
「アルフィ。班のこと任せられるか」
「お前はどうするつもりだ」
懐から、班長が持つ緊急用の魔法具を取り出しアルフィに差し出す。驚いた顔の親友がすぐには受け取らずに逆に問いかけてくる。
「他の生徒の避難を助けてくる。俺なら空から行けるしな」
おそらく、今のアレで狩人たちは生徒の避難誘導を開始するはずだ。けど、こいつは明らかに異常事態。狩人だけじゃ手が足りないかもしれない。
「だったら俺も」
「戦力としちゃ心強いが、だったらあいつらはどうすんだ」
俺が指差すのは、不安げにこちらを見ている同じ班の女子達だ。多少魔法が使えようとも、俺たちと違って森に不慣れの素人なのだ。彼女達を残してはいけない。
一瞬だけ苦い顔をしたアルフィだが、渋々ながらも納得し俺から魔法具を受け取る。
「班を本営の教師達に引き渡したら、俺のことも含めて仔細全部伝えろ。その後は、他のハンターと合流して森に入れ。お前の実力を微塵も疑っちゃいないが状況が状況だ。森のプロが同伴した方がいい」
臨機応変が求められる状況であれば、アルフィの四属性は必ず役に立つだろう。
「分かった。……でも、無茶は良いが無理はするなよ」
「おう、任せな」
アルフィと握り拳をぶつけ合わせると、俺は跳躍で一気に飛び上がり高い樹木を越える。見下ろせば、アルフィが最後にこちらを一瞥してから、女子達を率いて本営へ向かって進み始めた。
親友を見送ってから俺は森の上空を駆け始める。
想像に違わず、森の至る所から殺気だった魔獣の声が聞こえてくる。ここまで顕著に荒れたのは間違いなく先ほどの『咆哮』だろうが、俺とアルフィが感じた『異変』はそれよりも前であったことが気になる。
課外授業の直前までこの近辺には入念な調査が行われている。魔獣が平時とは異なる行動を起こしていないか。他所から近辺に生息していない魔獣が流れ込んできていないか。危険が伴う授業ではありつつも、生徒の安全のために綿密に前準備を敷いてきたはず。
少なくとも、昨日の時点では問題があったとも、異常があったとも、狩人空報告はされていない。それに、俺たちが入った直後の時点では、森は昨日と変わらず穏やかであった。
嫌な予感を覚えながら下界を注意深く見ていると、不意に視界に過ぎるものがあった。
他の班を見つけた。だが、運悪く興奮した魔獣と遭遇している。しかも初動が遅れて後手に回っていた。先頭に立つ生徒が果敢に魔法で迎え撃っているが、他のメンツが浮き足だっている。このままだと怪我人が出る。
「強化!」
反射で小規模の圧縮魔力を生み出し胸部に叩き込む。軽い衝撃が全身を駆け巡ると、左腕と背中に魔力鎧と翼が形成。音を立てながら外素を吸収すると、それを魔力翼から解放して一気に加速する。
加速の最中に投影した手甲が狙うのは、今まさに生徒に鋭い爪をむけている魔獣。そいつの脳天に防壁越しの拳を打ち込み、地面に叩きつけた。
魔獣が事切れたのを確認して、俺は生徒達に目を向ける。
「全員無事か?」
「え? あ……えぇっ?」
確認を取るが、突如として空から首席が現れた事態をうまく飲み込めずに、全員半ば呆然気味に目を瞬かせていた。
どうにかこうにか落ち着かせることに成功すると、俺は即座に撤収を命じた。
「魔獣の死骸はこの際だから全部置いてけ。文字通り、餌を背負ってるのと同じだ」
さすがにこの状況で成績にバツをつけるほどジーニアスの教師は薄情ではない。むしろ、緊急事態における最適な解を選んだことで評価を出すだろう。
「それと水属性が使えるやつ、いるか」
「は、はい!」
「全員に浄化を徹底的に使え。死骸の匂いを徹底的に除去しろ。気休め程度かも知れないが、無いよりゃ遥かにマシだ」
「分かりました!」
興奮した魔獣が食欲の有無関係なしに襲ってくるかも知れないが、中には空腹の個体もいるだろう。それらを誘導できるだけでも幾分かは楽になる。
「もし戻る最中に他の班に合流したら、俺が今話した内容を徹底させてくれ」
真摯に言葉を受け取ってくれたのを表情を見て確認すると、俺は再び空へと飛び上がる。
「全員が無事に学校の寮に帰るまでが課外授業だ! 最後まで気を抜くなよっ!」
最後に大声で告げてから、俺は空を疾駆した。




