第二百四十五話 悪い大人達の考え(後編)
イアンは少年らに、誘導香の入った小瓶を誰も見ていない森の奥で割るように指示を出した。だが具体的に『どのように割るか』はあえて教えてはいない。
ジーニアス魔法学校に通うだけあって、あの二人も最低限の学力は備えているであろう。だが、学校の知識がいくらあろうともそれが賢さに繋がるわけでは無い。その点でいえば、あの二人は残念であるとイアンは踏んでいた。そもそも、真面目に知恵が回る人間であれば、不良狩人の誘いに乗ることは無かっただろう。
であるならば、あの学生は小瓶を直接地面に叩きつけるに違いない。しかしそれは致命的な間違いだった。
「離れた位置の魔獣を呼び寄せる強烈な臭いの劇物を身近で使ったら、体や服に染みつくのは当然。普通に考えりゃぁ分かるもんだが」
「あの坊ちゃんどもがそこまで頭が回るとは思えねぇよなぁ」
矢尻に容器を取り付けて、弓などの手段を用いて射出し遠方で割るのが本来の扱い方。敵陣営を混乱させるのが目的で開発されたものだから当然の仕様だ。もしその場で割って使用しようものなら、付近にいるであろう使用者に臭いが付着し、恐るべき『移動する魔獣ホイホイ』と化してしまう。
「臭いがキツすぎて鼻がすぐに馬鹿になるから、わかってなきゃぁ気付かない」
「前にちょっとだけ嗅いだことがあるが、ありゃぁ酷いもんだったぜ」
マットは渋面になりながら無意識に鼻を摘んだ。丸々半日は嗅覚が完全に麻痺し、そこからしばらくの間は鼻腔の奥にこびりついたような感覚が取れなかった。
始末が悪いのは、密閉容器から解放された香りは直後は猛烈な激臭を放つものの、外気に触れてしばらくが経過すると分解されて無臭となることだった。これは軍事利用で開発された際に、臭い──効果が長時間維持されるのを防ぐ為の措置である。
この仕様を逆手に取ると、個人が秘密裏に使用したとて、直後でなければ誘導香が使われたと露見しにくいのだ。臭いが消えたところで、香りを一度嗅いだ魔獣の興奮はしばらくは継続するので、一箇所に魔獣が集まればあとは暴れ回るのみだ。
「あの二人は怖い思いをするだろうが、その辺りは経費みたいなもんだ。お坊ちゃまに生まれた我が身を呪ってもらう」
「やだやだ、貧乏人の僻みってのは怖いねぇ」
「金持ちにはそれなりの『苦労』ってもんを味わってもらわねぇとなぁ」
それっぽく語るも口端が釣り上がるイアン。マットもゲラゲラと笑いが込み上げてきていた。
あの二人は学年首席に恨みを持つ同志かもしれないが、それ以前にイケすかないお金持ちの学校に通うお坊ちゃんだ。懇切丁寧に仲良しこしよで手を組む道理などありはしない。
流れはこうだ。
エディ達が誘導香を使い、森の魔獣を興奮状態にさせて終結させる。そこに偶然居合わせたイアンらが押し寄せてくる魔獣を仕留める。
イアン達にとっては荒稼ぎができてかつ、自分たちを舐めてきたジーニアスにちょっかいをかけることもできて溜飲が下がる。エディらも、己達を蔑ろにしてきた周囲に仕返しができて満足がいくというものだ。
さらに一歩先に行けば、今回の騒動によって魔法学校にも組合にも生徒の保護者達から責任追及を受けることは確実。イアンはこれを目論んでエディ達を巻き込んだのである。
大きな懸念はダカルの言った通りエディらがイアン達に唆された事実を他者に告げた場合だ。そうなればいよいよ逃れようがなくなるかもしれない。
本来であればイアンとてこのような危ない橋を渡るのは主義に反する。だが、エディとジルコと同じく、彼もまたあの生徒に収まり切らない憤慨で胸中を満たしていた。たかが小僧の、路傍の小石やゴミ屑を見据えるような視線を思い出すと腸が煮えくり返る。
(まぁ『最悪の場合』は、あの二人は野生の魔獣の晩飯になるかもしれないけどな)
マットには告げていないが、もしエディとジルコが『よからぬ考え』を抱いていたと判断すれば、自分らに咎が及ぶ可能性があれば、魔獣の餌にしてしまうのもありえた。
「おいイアン。あの小僧ども、やりやがったぞ」
身軽なダカルが木の上から飛び降りてくる。斥候役である彼は三人の中で一番目が優れている。学生らの動向を監視するようにイアンの指示を受けていたのだ。
「誘導香の瓶を足元に叩きつけやがった。ありゃぁ臭いがベッタリ染みついてやがるだろうよ。消えるまでは魔獣に追われて大変だろうな」
使っていた単眼鏡をしまい込み肩を竦めるダカルだが、その顔には先ほどのイアンやマットと同じく愉悦が混じっていた。
「他の狩人は?」
「問題ねぇ。どいつもこいつも呑気に子守してるよ」
「こっちの居場所はバレてねぇだろうな」
「あ? 誰にものを言ってやがるマット。てめぇ見たいなノロマと一緒にするんじゃねぇよ」
他の生徒達や狩人から遠く離れた位置で誘導香を使用するように命じたのは、いち早く自分らが駆け付けるため。あくまでも自分たちは偶然に居合わせた有志の狩人という立場なのだから。それに、一番最初に合流できれば、もしもの場合の『口封じ』もしやすい。
「よぉし野郎ども。いよいよ、待ちに待ったお仕事の時間だ」
イアンの号令に、ダカルもマットも気合いを入れる。
素行は悪い上に違法にも手を出している彼らではあるが、狩人としての実力は本物だ。所属人数が多く層の厚い王都の組合であっても、その実績や能力は上から数えた方が早い。大量の魔獣を相手取るための準備も怠ってはいない。
──ここからは稼ぎの時間だ。




