第二百四十四話 やばい臭い発生
──時は、カディナらと狩人が合流するよりも更にしばらく前。
「おい、こっちで良いのか?」
「僕に分かるわけないでしょう」
生い茂る草木を掻き分けながらエディが問いかけるが、後ろに続くジルコは制服に張り付いた草を嫌々そうに払いのける方が重要らしい。雑な答えが返ってきた事にエディはムッとなるも、振り向きざまに突き出た枝が顔を引っ掻いて思わず悲鳴をあげていた。
──二人が目を盗み、班から離脱して少しが経過していた。
元々、課外授業に積極的ではない上に、その態度は一日目から隠そうともしなかった。二日目班として森の中に突入してからもほとんど意欲を示さないことで、同班の生徒からはほとんど『いないもの』として扱われていた。おかげで課題に集中している生徒の目を盗んで班から抜け出すのはさほど難しい事ではなかった。
「方角から森の奥に向かっているのは間違いないですよ。どれほど奥に行けば良いかは分かりませんがね」
「俺はこんなジメジメして鬱蒼としたところから早く出たいんだ」
「同感ですから早く進んでください。万一に、巡回してる狩人と出会したら全部が台無しですよ」
「言われなくても分かってる!」
クドクドと連ねられた小言まがいの台詞に、エディは反射的に激昂する。と、大きな声を出してからハッとなり慌てて己の口を手で抑える。幸い、しばらくしても何かが近寄ってくる様子もなく、ホッと胸を撫で下ろす。
「ちょっと。注意してくださいよ。誰かに聞かれたり、罷り間違って魔獣が寄ってきたどうするつもりですか」
「お前がいちいちうるさいからだろっ。黙ってろよいい加減に」
ジルコは眉を顰めて文句を述べると、今度は小さな声で言い返すエディ。
二人とも既に学校側が指定した行動範囲を過ぎていた。危険な魔獣もちょくちょく現れ始める地点に差し掛かっており、さすがに彼らも小さく緊張感を帯びていた。
似たような境遇や立ち位置であるからか行動を共にする二人ではあったが、だからといって仲良しこよしというわけでもない。友情などというものは両者の中で成立していらず、強いてあげるとすれば『共犯者』の意識であろう。
ただそれは言い換えれば、互いの足を引っ張り合う関係とも呼べた。仮に一方が足抜けしようとすれば、残った片方がそれを阻む。両者ともに頭のどこかで分かっているが故に、ここまで関係をずるずると引き延ばしていた。
今は、それ以上に『敵』への敵愾心が結びつきを強固にし、目的意識の共通化を促している。それは自分たちに大恥を欠かせた学年首席であり、己らを蔑ろにした『お嬢様(お坊ちゃん?)』であり、または筆頭を追放した集団。あるいはそれらを丸ごと内包した、ジーニアス魔法学校への募りに募った苛立ちだ。
しばらく進んだ二人であったが、ある地点で足を止める。目印があったわけでもないが『これ以上進むのはよろしくない』という感覚が二人の進行を押し留めた。
「ちゃんと持ってきてるだろうな」
「人をなんだと思ってるんですか」
エディに急かされ、ジルコは懐から小瓶を取り出した。
蓋には幾重もの封が施されており、その厳重ぶりを改めて目にして二人は小さく息を飲んだ。
使い方は簡単だ。
地面に叩きつければ瓶が割れ、中身が外に出る。たったそれだけで済む。
「……………………」
「おい、さっさとやれよ」
相方が顔を顰めるも、瓶を持つジルコは動かない。エディと言い合っていた時の勢いは失われ、代わりに強張った表情が張り付いていた。
『これ』が割ればどのようなことが起こるのか、当然ながらジルコもエディも聞いている。その為にわざわざ、班を抜け出したのだ。だが、手を振り下ろせば済むという段階に届いたところで、ジルコは最後の一歩を踏み出すのに躊躇していた。
もしくは最後の良心──とまでは行かずとも、冷静な思考が呼び覚まされたのだろう。
己達を取り巻く環境を憎む一心でここまで行動していたが、『これ』を使ってしまえば、後戻りはできなくなると。
「もしかして今更ビビってるんじゃないだろうな。どうしてわざわざこんな面倒でウザくて汚らしい場所にきたのか分かってんのか?」
「……………………」
挑発まがいの言葉をエディに投げかけられても、エディの葛藤は終わらない。
そもそもこれを渡した人物──イアンと名乗った不良狩人の話を全面的に信用して良いのか、今更ながらに疑問が浮かんでいた。
『これ』を使った後にすぐに逃げて他の生徒に紛れればバレない。あとは狩人が責任を持つと言われたが、果たして本当にそうだろうか。あまりにも空気に流され過ぎているのではないか。
もしかしなくとも、致命的な見落としがあるような気がしてならない。
「ったく、寄越せ!」
「あっ!?」
踏ん切りのつかないジルコに剛を煮やしたエディは彼の手から小瓶を強引に奪い取ると、力任せに地面に叩きつけた。甲高い音を立てて容器が割れると内容物が外に溢れ出し、同時に強烈な匂いが辺りに立ち込めた。
「おぇぇぇ……何なんだよこれ……」
「は、鼻が曲がる……うぇっ」
形容しがたい激臭に、二人は咄嗟に鼻を摘むが、臭いは鼻腔の奥にこびり付き二人を苛んだ。これも聞いていた通りではあるものの、ここまで酷いモノであるとは予想外であった。あともう少しでも直に嗅いでいたら、喉奥の嗚咽感を堪えきれなかったに違いない。
程なくして、素人の感覚でも分かるほどに森の中のざわめきが強さを増していった。それこそ、ここまで二人の中で欠如していた『危機感』が芽生える程に。
「や、やることはやったし、あとは不良狩人に任せよう。ここにいたら、俺たちも巻き込まれる」
「……うぅぅぅ、酷い臭いだ」
先ほどまでの相方ではないが、『取り返しの付かない事』をしたのではないかという不安に急かされるように、来た道を引き返すエディ。臭いからくる吐き気をどうにか堪えながら、エディも踵を返す。
──二人の前に、大量の魔獣が現れるのはそれから少ししてからである。