第二百四十三話 異常事態発生
「既に見つかったという可能性は?」
「生徒が逸れた件については、既に森の外にある教師たちに報告済みだ。もし生徒が発見されたら、魔法で合図が打ち上げられる手筈になってる。それも無いとなるとな──」
「あの……別件になるんですけど少しいいですか」
ラピスが挙手すると、狩人が顔を上げる。彼女はそのまま、つい先程に仕留めた魔獣について報告する。
「気が付いたのは僕じゃなくて、こちらの子なんですが」
友人に示されて、無表情ながら腰に手を当てて「えっへん」と胸を張るミュリエル。だが、狩人の表情は険しいものにへと変じていった。
「……もしかして、この個体だけでは無いんですか?」
「ああ。君たちの他に既に何班か回ったが、そのうちの幾つかで似た様な状況が起きてる」
この近辺には新人の狩人でも相手にできる魔獣しか生息していない。だからこそ、ジーニアスの課外授業の地として選ばれたのだが、ここからさらに奥へと足を踏み入れれば話は変わってくる。森の奥に近ければ近いほど魔獣は強く、そして獰猛になっていく。森の最深部には、腕利の狩人でも迷わず逃亡を選択するほどの危険な魔獣も存在している。
「幸いにまだ学生が対処できる範囲の魔獣しかいないがね。だが──」
「森が全体的に殺気立っていると?」
カディナに話を先回りされた狩人が驚く。その反応を見たカディナが続けて口を開く。
「課外授業が開始された時よりも、森に漂う空気がささくれ立っている様に感じていまして。あくまでも私個人の感覚で、気のせいかと思っていたのですが」
当初は、多くの生徒が足を踏み込んだことで、生息している野生動物や魔獣が警戒しているのかと思ったが、それにしてはどうにも気配に『棘』を感じるのだ。とはいえ、これは風属性の魔法使い独特の感覚であり、他者に言語で具体的な説明をするのは難しいのだが。
「……まったく、ジーニアスの生徒さんは本当に優秀だ」
彼女にしては珍しく自信無さげな態度であったが、狩人は掛け値なしでカディナの感覚を称賛する。
「いや、君の指摘通りだと俺も思う。森の奥からどうにも『嫌な空気』が流れてきている」
長く狩人を続けていく為の心得は多く存在するが、その中でも最大限に求められるのは危機感知能力。『それ』を有していないモノはどれだけ優れた技量を有していようが、自然の暴虐に容易く飲み込まれる。
大事なのは、この『もしかしたら』という直感を見逃さない意志力。杞憂を良しとし素直に受け入れて撤退する判断だ。
「どうにも森の中にいる魔獣が落ち着きがないように思える。一度、他の狩人とも合流して、意見をすり合わせておこうかと考えていたところだ」
「あまり状況はよろしくないと?」
「あるいはな。大事をとって、授業の一時中断は十分にあり得る」
その深刻な表情からは、十分にあり得る可能性なのだと生徒達は思い至る。
ある程度の安全性は確保されているとはいえ、ここが野生の只中であるのに変わりはない。学校の都合など、些細な切っ掛けで容易く押し潰される。これもまた講義で幾度も繰り返されてきた言葉だ。
「僕たちはどうすれば良いですか」
「引き続き課題に取り組んでもらって構わない。ただこれ以上、森の奥側へ行くのは絶対に駄目だ。それと、本部から緊急の信号が打ち上げられたら、直ちに森の外に出ること。もし他の班と合流したら、以上のことを伝え──」
──────────────────ッッッッ!
狩人の指示の最中、まるで森全体が鳴動するかのような音が奥から響き渡った。
「「──ッッ!?」」
カディナと狩人だけではない。他の面々も肌が泡立つのを感じた。姿も気配もまるで感じられないのに、遠く聞こえた声だけでまさしく『危機感』を抱くには十分すぎる存在感を露わにしていた。
『咆哮』が過ぎ去り森の中が静寂に包まれる。ただそれは張り詰めた緊張感を伴っていた。誰もが唾を飲み息を殺していると、先ほどとは別の獣の声がどこからか聞こえてくる。
それを皮切りにして、やがて紙に水が染み渡っていくかのように至る所から野生の声が慌ただしさを増していく。最初の『咆哮』と前と後では、森の雰囲気は大きく変容していた。
「……悪いが、先程のは無しだ。君たちは今すぐに森の外にいる教師達と合流してくれ。方角は分かるな?」
素人でも分かるほどの危うい空気。その道のプロである狩人は、今が緊急事態であると即座に判断すると、カディナ達に撤収の指示を下した。
「あなたはどうするの?」
仄かに焦燥を含みつつも、努めて落ち着いたミュリエルの問いかけに、狩人はあえて軽い調子で肩を竦める。必要以上に生徒達を深刻にさせない彼なりの配慮だ。
「これも仕事の内でね。動転してる生徒がいないか捜索しなけりゃならん。動転して加減を間違った魔法が二次災害を引き起こさないとも限らない。素直に、緊急用の魔法具を使ってくれれば話は早いんだが」
狩人は別れを告げて離れようとするが、カディナの声が引き止める。風の魔法を用いて耳元に手を当てると深刻な顔つきで呟く。
「少しお待ちください。……複数の動く気配が、こちらに接近中です」
「──っ、早速お出ましか。こいつは思っている以上にやばい。森中の魔獣が興奮しているのかもしれない」
腰の剣を引き抜いてから、狩人はわずかに考えを巡らせると「仕方がない」と決断する。言葉を交わした時間はまだ極々短い。けれども、この生徒達が優れた魔法使いの卵であることを疑う余地はなかった。
「一緒に魔獣を迎え撃つぞ。それと、しばらくは俺と行動を共にしてもらう。ここで別行動する方が危ない」
「分かりました」
ラピスは即座に肯定し、カディナ、ミュリエルも同じく首肯する。男子二人はまだ少しオロオロしていたが、女子達の覚悟の決まり方に触発されてこちらも表情を引き締めた。
「前衛がいる場合の心得はあるか?」
「残念ながらあります」
「ざ、残念……?」
他の魔法学校であれば滅多にない経験ではあるが、ジーニアス魔法学校にはガンガン間合いを詰めて零距離で魔法を打ち込んでくる常識外れが存在する。おかげで、前衛との戦い方も、前衛と肩を並べる戦い方も学ぶ機会には恵まれていた。
即席で息を合わせるのはどう考えても無理だろうが、前衛の足を引っ張らない程度の領分は把握できている。
「ま、まぁいい。この状況を切り抜けたら、他の班を探すのにも協力してもらう。頼んだぞ」
「「はいっ」」
狩人の呼びかけに応じ、生徒達は各々が投影の準備を開始した。




