第二百四十二話 問題発生
注意されたのが彼女で良かった。もしカディナがこちらに僅かでも注意を向けていれば会話の内容は全て丸聞こえであったに違いない。
と、まるで男子らの内心を読み取ったかの様なタイミングで、先頭を歩くカディナが足を止めた。「まさか」という背筋に冷や汗が伝うのを感じながら、次に出てくる言葉を固唾を飲んで待っていると──。
「後ろから来ますっ!!」
「「────ッッ!?」」
焦燥を含んだ鋭いに男子らが咄嗟に背後を振り返ると、耳に草木を掻き分け猛然と地を蹴る野生の音が伝わってくる。
──狩猟の直後は、血の匂いに釣られて他の魔獣が引き寄せられる。
獲物を仕留めた後こそ、最も警戒すべき瞬間であると講義で習ったはずだ。頭の片隅にあったはずの知識が今更ながらに去来する。
背負っている荷物を捨てて即座に投影を開始すべきところを、焦りから判断に惑う。彼らの中で、咄嗟の状況における判断力を養うには経験がまだ足りていなかった。
彼らに先んじて駆け出したのはラピスであった。二人の側を横切った時には既に手に魔法陣を投影し、茂みの奥から飛び出してきた魔獣の前に立ち塞がる。
「水流旋刃ッ!」
飛びかかってくる魔獣の爪を躱しすれ違い様に腕を振るえば、手元に追潤する円盤型に形成された水の塊が魔獣の胴体を切り裂いた。
「ミュリエルッ!」
「ん、大地塊槌」
胴を薙がれて体勢を崩した魔獣に、ミュリエルの魔法が追い打ちを仕掛ける。一抱え以上もある岩の塊が宙に投影され勢いよく落下。魔獣の頭部を強く穿ち砕いた。
魔獣が事切れてからも、カディナはしばらく風魔法での警戒を続け、辺りに危険がないと判断してから肩の力を抜いた。が、すぐに表情を険しくすると。
「ラピスさんっ、急に飛び出すなんて何を考えているのですか!!」
「うえっ!? あ、いや……咄嗟でつい」
ピシャリと叱られたラピスがしゅんと肩身を狭くする。
「アルファイア。そう怒らないでくれよ。悪いのは油断した俺たちで──」
「あなたたちも勿論そうですけど、あの状況であえて前に出る必要性はなかったはずです。わざわざ危険を犯す様な真似はしなくても──いえ、それよりもまず私がもっと早くに」
ラピスに助けてもらった立場の男子がフォローすると、カディナが額に手を当て悩ましげに首を振る。他者を責めるよりもまず、己の至らなさが出てくるあたりが実に真面目である。
口元に手を当ててブツブツと己の反省点を呟き続けるカディナに、男子二人はどう反応すれば良いか分からずにオロオロする。そんな彼らをよそに、ミュリエルがラピスに問いかける。
「ねぇラピス。今の魔法って」
「僕もリースに倣って、もう少し近距離用の手札が欲しいかなって思って」
水の玉を一方向に高速回転させる事で遠心力が働き、円盤の形状となる。その外側が高速回転することによって切断力を得て対象を切り裂くという攻撃魔法だ。
「本当は回転させた水の円盤を投射するんだけど、投射せずに手元で維持する形で使うこともできる。だからその分だけ投影の手間が減るし制御も楽なんだ」
「なるほど。さすがはラピス。私も負けてられない」
既存の魔法をそのまま使うのではなく、用途によって調整し自分なりにアレンジを施す。実に魔法使いらしいラピスの成長ぶりに、ミュリエルも奮起せざるを得ない。
グッと拳を握って気合いを露わにするが、ふと目についたのは今し方仕留めた魔獣だ。
「…………?」
「どうしたの、ミュリエル」
それを見据えるミュリエルの表情は相変わらず乏しいが、そこに含まれる仄かな険しさに気づける程度には、ラピスも彼女のことをよく理解していた。
リースの補佐を任命されていたミュリエルは、面倒とは思いつつも与えられた職務に対しては真摯に取り組んでいた。当然、実地で出没する魔獣についても把握している。
「この魔獣、もっと奥の方に出てくる個体。この浅い層まで、ほとんど出てこないはず」
「何かの拍子で、奥からやってきたって事?」
「この状況だけ切り抜けばその通り。でも──」
魔獣に限らず、野生の生物が自身の縄張りを出て他所で確認される事例などいくらでも存在する。群から逸れたのか、あるいは餌を求めてやってきたのか。別にこれだけであればさほど気にすることでもないが。
と、そこでまたもや草木が擦れる音が聞こえてくると、一行が警戒を強める。
「今度は警戒しなくても大丈夫ですよ」
ただ、一番警戒心を強めるはずのカディナの発言で一同が首を傾げた。
やがて姿を現したのは野生の魔獣ではなく、課外授業の監督役である狩人の一人であった。魔獣の生息域の中では狩人が巡回し生徒たちの様子を見回っているのだ
「お疲れさん。見たところ、順調の様だな。誰も怪我がない様で結構だ」
緊張を解いた生徒たちをそれぞれ見渡して、狩人は満足げに頷いた。
「そちらこそお疲れ様です。あの……何かあったのですか?」
軽く会釈をしてからのカディナの発言に、狩人は「まいったな」と困り気味に頭を掻いた。
「こちらを確認した時の顔が少し険しかったもので」
「学生に諭されるとは俺も焼きが回ったかな。いや、よく見ていると褒めるべきだろう」
腰に手を当てて俯いてから、狩人は改めて学生たちを見据えた。
「実は他の班で問題が生じてな。別の班で男子生徒二名が班から逸れてしまったらしい」
まさしく、ちょっと目を離した隙に──といった状況の様だ。安全のために、残った班の生徒らは一時森の外に退避し待機している教師と合流している。
当然ではあるが、カディナたちは森に入ってからというもの、自身ら以外の学生に遭遇してはいない。それを聞いた狩人が顎に手を当てて唸る。
「参ったな……一応、生徒全員には緊急用の魔法具を配っているが」
破壊するとそこから光が打ち上がり居場所を知らせる仕組みで、さらには結界が生じて誰かしらが駆けつけるまで守護するという贅沢仕様だ。資金が潤沢であるジーニアスならではの安全策であるが、それが使われた形跡もない。もし使っていれば、狩人だけではなくこの辺りにいる人間全員が気がつくはずだ。




