第二百三十六話 よからぬ感情はよからずを呼ぶ
集団から追放されたエディとジルコは、寮の門限が差し迫る時刻になっても街を歩き回っていた。
「首席だからって良い気になりやがって」
「エディ、その台詞は聞き飽きましたよ。気持ちは僕もわかるけど、もう少し落ち着いたらどうなんです?」
前触れなく発せられたエディの苛立ったぼやきに、ジルコはウンザリ気味に言葉を述べた。首席との決闘に敗北してからというもの、もはや十や二十では足らない数を繰り返してきていた。
「落ち着けたら何度も言わねぇよ。聞くのが嫌ならどこかに行けば良いだろ」
「僕が居なくなったら、それこそあなたは一人ぼっちになりますけどね」
「それはお前も同じだろ、ジルコ」
別にこの二人はお互いに特別な友情を抱いているわけでも、ましてや尊敬の念があるわけでもない。ただ単に、最初は同じ相手に取り入ろうとして失敗し、そのまま流れでつるむようになっただけにすぎない。
「今の学校は、誰も彼もが浮かれて嫌になります。校内戦の時もそうでしたが、たかだか学校の行事に大はしゃぎして。まるで祭りを前にした子供だ」
「同感だな」
ジルコは話題を変えるように嘯く。同意するエディを含めて指摘する者がいないが、第三者からしたら、彼らこそ斜に構えて良い格好をしようとする子供そのものだった。
課外授業を前にして、学校内の空気は楽しみと不安が混ざり合った高揚に包まれている。エディらにとっては非常に居心地の悪い環境だ。そもそもの話、真面目とは言い難い生徒にとっては、常日頃かどこかしら疎外感を味わって生活しているのだ。
放課後の学校に残って真面目に自主練する気には毛頭なれず、かと言って部屋に戻って過ごすのも耐えきれない。こうして当てなく足だけは動いていれば余計なことを極力考えずに済むが、所詮は現実逃避に近しいだけである。
また、首席や課外授業だけではなく、二人にとっては懸念すべき事態がまだ残っていた。
「家からまた手紙が来たよ。ガノアルク家のお坊ちゃんとはどうなってるんだって」
「僕の方も同じです。調子に乗って最初に色々と書きすぎたのが本当に悪かった」
「どうするかな。今更、御破算でしたなんて言えないしよ」
二人が入学当初に、ラピス・ガノアルクに取り入ろうと行動していたのは、実家からの指示によるもの。その目論見は当初こそ成功していたが、今では完全に望みは潰えている。今はとりあえず『順調』という程で手紙を送り返している。
数少ない救いは、実家がまだ状況を息子たちの手紙からでしか把握していないことだ。でなければ、手紙に『お坊ちゃん』とは書かない筈だ。
ただしそれも時間の問題だ。
お坊ちゃんが実はお嬢様である事実が伝われば、それまでの報告が虚偽であるのが露見する。となれば当然、実家から大いに叱られる。それだけは避けたいところではあるが。
「それもこれも、あの無属性の平民がジーニアスになんかやってくるからだ」
「無属性か平民の魔法使いなんて門前払いすれば良いのに。ましてや首席を取らせるなんて、名門ジーニアスにあるまじきですよ、本当に」
憤りが再燃してきたのか、ここ最近に幾度も何度も繰り返しにぼやいていた不満が漏れる。真っ当で真面目な価値観を持っていれば、決して出てこないような苛立ちの言葉がつらつらと口から溢れ出していった。
──えてして、そうした不平不満を漏らし続けていると、回り回って良くない者が己に帰ってくるものだ。それを知るにはまだ二人は少年にすぎなかった。
「君たち、ジーニアスの生徒さんだねぇ」
誰かに声をかけられるとは思ってもみなかったのだろう。不意打ちで投げかけられた言葉に、二人はビクッと肩を振るわせた。
慌てて声がした方を見ると、柄の悪そうな男が一人。風貌から狩人であると分かる。彼は口端を釣り上げながら足が止まってしまった二人に近づく。
「駄目だなぁ、健全な若者がこんな場所を歩き回るなんて」
二人はようやく、自分たちが表通りから外れた人気の少ない通りを歩いていた事に気が付く。不平不満に気が向すぎて、いつの間にか治安が良くない区画に足を踏み入れていたのだ。
「え、エディ……」
「さっさと行くぞ」
及び腰のジルコにエディはピシャリと言ってやると、さっさと表通り戻ろうと足を早める。
しかし、横道から姿を現した巨漢によって阻まれる。舌打ちしたエディはすぐさまに別の道に足を向けるが、すでにそこからは痩せ細った男が塞いでいた。
気がつけば、学生二人は壁を背にし前を柄の悪い男に塞がれて追い詰められていた。
「な、なんなんだお前らはっ。俺たちはジーニアスの生徒だぞ! 手を出したらどうなるかわかってるのか!?」
エディは己たちを囲う大人に向けて怒鳴るが、それが虚勢であるのは声の掠れ具合から丸わかりであった。ジルコに至っては恐れのあまりに肩を震わせている。
明らかに柄の悪い男らに詰め寄られて、エディとジルコは竦み上がっていた。
自分たちの想定した──望み通りの萎縮具合にイアンは満足げだ。
本来であればこの反応が正常なのだ。明らかに道理の通らない雰囲気の大人に、こうも凄まれてしまえば、優しい箱庭の中で生活している子供が抗える筈がない。
もしかすれば魔法で反撃を加えられるかと思ったが、こうも萎縮していればまともに投影も出来ないだろう。
「そう怖がるなって。俺たちはただの善良な狩人だ。オタクらみたいなお坊ちゃんに手を出したら後が怖いのは分かってるさ。ああ、そちらから手を出さなければの話だけどね」
狩人は正当な理由でかつ防衛的な理由でなければ人に手を挙げることは許されていない。その上で貴族の子息ご令嬢が相手ともなれば冗談抜きで首が飛ぶ。
頭では分かっていながらも、エディたちはまだ経験の浅い十代半ばの学生に過ぎない。理屈は分かっていても、それに理性が追いつくかは別だ。
「な、ならなんで──」
「俺たち、実は君らのお友達にちょぉぉっと迷惑をかけられてね」
「し、知るかよそんなの! だいたい、友達って誰だよ! ふざけんな!」
声の震えにも自覚がないだろう。叫べばこちらが引き下がるとでも思っているのかもしれない。あまりにも『可愛らしい』反応が、イアンたちにはあまりにも愉快であった。
「いやいや、話していたじゃないかさっき。平民がどうとか、首席がどうとか」
「──っ、あの平民のことですか! 友達なんて冗談じゃないですよ!!」
ガタガタと震えていたジルコであったが、狩人らの話す『友達』の正体に察しがつくと、途端にがなり立てる。
イアンたちへの恐怖以上に、首席への怒りが優ったのだ。
都合の良い変わりぶりにイアンらは微笑むと、少しだけ冷静さを取り戻したエディがいう。
「そうか、お前らだったのか。あのクソ平民と組合で問題を起こしたってのは」
リースが組合で騒ぎを起こした件は、エディの耳にも届いていた。この手の噂は、当人たちが喧伝しようがしていまいが、どこかしら風を伝わって広まるものだ。もちろん、大半の者は相手側に非があると自然に認識していたが。
「問題ってのはあまりにも人聞きが悪い。迷惑を被ったのは俺ら側なんだぜ?」
清々しいほどの責任転嫁の上に誤った被害者意識であるが、だからこそだろう。エディとジルコは狩人らに不思議と共感できた。育ちや境遇に際はあれど、根の部分がもしかしたら似通っていたのかもしれない。
「…………『敵の敵は味方』ってわけか」
「話が早くて実に結構。どうやら俺たちは共通の人間に、盛大に恥をかかされた立場だ。であれば、溜まった借りを一緒に返すのもやぶさかじゃない」
「目的は一緒ってわけだ……良いだろう。ジルコもそれで良いか?」
「この際、あの平民に借りを返せるなら、狩人だろうが何だろうと構いませんよ」
警戒心はあれど萎縮は薄れ、聞く耳を持つエディたちにイアンは実に楽しげである。
──様々な願いや思惑が混ざり合いながら、本番はいよいよ目前に迫っていた。




