第二百十話 大賢者という称号
中程まで飲み干した器をテーブルに置くと、ゼストが次に目を向けるのは俺だった。
「で、次は小僧、お前だ。卒業後はどうするよ」
「……一応、実家の酒屋を継ぐって選択肢もあるにはあります」
もっともその場合、酒の仕込み方やら販売やらは改めて教わる必要はある。ただ親父殿からは無理に継ぐ必要もないとあらかじめ言われている。むしろ、跡を継ぐなら水属性の魔法が扱える妹のエリオットの方が適任であろう。妹に雇われる兄というのもどうかと思うけども。
「というかお前さんの場合、食うだけなら困らないな。平民だろうが、ジーニアスの卒業生なら十分以上に箔が付く。ノーブルクラスの主席ってんなら尚更だ。職に就くには困らんだろうし、いっそうのこと本当に狩人になる手のもある」
更に付け加えるなら、前に収納箱の中身を卸したおかげで相当な額の貯金がある。おそらくではあるが、田舎に住んでいれば十年くらいは食っちゃ寝生活できそうなほどはある。
「だがそいつは、『ただ食うのに困らない』ってだけの選択に過ぎない。俺が聞きたいのは、お前さんがやりたいと思える道の話だ」
「俺は……」
ゼスト先生がミュリエルに聞いている最中も考えてはいたが、明確な形が浮かんでこない。具体的という意味では、ミュリエルは『研究者になりたい』という姿を見据えている。なってどうやって糧を得るかは問題だが、目標があるには違いない。
「リースは『大賢者』になるんじゃないの?」
「──大賢者ってどうなるんだろうな」
防御魔法云々を除き、俺にとっての最大の目標は師匠である大賢者に一対一の勝負で勝つことだ。一朝一夕では叶わないだろうし、もしかしたら一生を費やすほどかもしれないが、諦めるつもりもない。
ただ、大賢者に勝ったところでそいつが果たして新たな『大賢者』であるかは実のところよくわかっていない。それに、ゼスト先生の言う『卒業後の進路』とは微妙にそぐわない様な気もしている。
と、ミュリエルはともかくゼスト先生の前で『大賢者』の話をするのは初めてだったか。ただ先生は特別に大袈裟な反応を示すことなく、つまみを口にするだけだった。
「俺も学校長から聞いてるから、もう驚きはしないさ。決闘やら校内戦での立ち回りをみりゃぁ、納得するしかねぇし。だが、あまりそのことは喧伝はしてくれるなよ。いらん騒ぎしか起きねぇからな」
「わかってますってば、そのくらいは」
「なら結構」
大賢者の婆さんが黄泉の森に引き篭もる世捨て人になったのは、元を正せば周囲からの声があまりにも煩かったからだ。弟子の俺が率先してそうした騒ぎを起こしていいはずがない。ましてやそれが婆さんにまで巻き込む形となれば、あまりにも申し訳なさすぎる。
「しかし……大賢者になる方法か。あれは並の称号じゃねぇからな。亡国の危機を救ったとか何百年に一度の災厄を退けただのといった『偉業』を成し遂げた魔法使いが、周囲から自然と呼ばれるもんだ。具体的にどこの誰かが命名するって決まりはない」
つまりは、婆さんも世捨て人になる以前に、大賢者と呼ばれる所以となる『偉業』を成し得たと言うことか。
「ちなみにだが『賢者』はいるぞ。国が認定した魔法使いの最高位で、この国にも一人いる」
「そーいえば、婆さんも言ってたな。会ったことは無いらしいが」
百年以上も黄泉の森で引きこもっていればそうなるか。
「お前さんと話してると、伝説の存在が身近に感じちまいそうで妙な気分だな」
本来であれば、滅多にお目にかかれない伝説的な立ち位置のはずなんだが、俺にとっちゃぁ師匠だが近所の口うるさい婆さん的な立ち位置でもあるし仕方がない・
「……あれ? そう言えば学校長が『賢者』って話は聞いたことがないっすね」
「学校長も条件に叶っちゃいるが、辞退してるのさ」
『賢者』の称号を拝命すると、国の方針に従う義務が生じるのだという。教職者としてはあまりよろしくないとのことで、学校長はあえて賢者になっていない。
もっとも、その一歩引いた姿勢だからこそ、ジーニアス魔法学校の学校長を任されてるし、国の相談役なんかも引き受けてるのだという。
「大賢者ってのは、そうした国や賢者らからも認められた、正真正銘の『傑物』ってわけよ。少なくとも、ここ百年あたりで『大賢者』と呼ばれてる人物はただの一人だけだ」
改めてではあるが『大賢者』と言うのは凄い存在らしい。普段は気のいい悪戯好きの若造り婆であるが、稀代の魔法使いには違いない。
「こいつはまさしく人生を賭けた目標に違いねぇ。ただ俺としては、そいつにだけ全てを捧げる人生ってのもどうかと思ってな」
ゼスト先生は器に残った最後の一口を飲み干す。
「これも今すぐに答えを出せってわけじゃない。これからたまに、頭の片隅で考えてみちゃどうだい。『大賢者』を目指しながらでいい。そいつと重なる道があるかもしれねぇからな」
賢者が本編に出てくるかはぶっちゃけ不明です