第二百六話 課外授業
ジーニアス魔法学校は、入学した生徒たちを一人前の魔法使いに育てるために、さまざまな教育課程が組まれている。学生同士が魔法を使って立ち会う『決闘』がまさしくそれであり、校内戦も勿論そうだ。
ただ、これらはどちらかといえば生徒たちの自由意志に基づいている。中には、入学してからまだ一度も『決闘』を行なっていない生徒もいる。というか、ほぼ半数近くはそうである。 魔法の修練習熟には貪欲であろうとも、実際に人に向けて魔法を放つとなると気が引けるという者はいるし、夢幻の結界があったとしても、痛みを忌避するものもまた多い。
だが、この学校が求めているのは、単なる机上の空論で終わらず、『現場』でも通ずる魔法使い。故に、そうした『引っ込み思案』な生徒たちを強制的に実戦の空気を味合わせる行事が存在している。
校内戦からちょうど一ヶ月が過ぎて少しした頃に行われる『課外授業』である。
不調を経て回復した俺はある日放課後、学校長室に呼び出されていた。
「──というわけで、半月後に行われる『課外授業』にて、リース君には学生代表として引率側に回ってほしい」
学校長からもたらされた話、正直な感想を言えば「面倒だ」という感想が浮かび上がった。
ジーニアスの年行事について、予定は一通り確認しているので課外授業についてもおおよそは知っている。
内容については文字通り、校舎の外に出て学習を行うというもの。
以前に、ノーブルクラスと一般クラスの合同授業とは、いささか毛並みが異なる。あれは現時点における彼我の差を目の当たりにさせることで、互いの競争意識を高めるというもの。
だがこの課外授業は、それらとは全くの別物だ。
なにせ……相手は人間ではなく、野生に生息する『魔獣』だからだ。
つまり、生存本能剥き出しで襲ってくる魔獣を相手にする事で、強引に胆力を付けさせる──あるいは度胸を植え付けるというのだ。
「まぁ、これも主席の仕事というやつだ。諦めなさい」
俺の表情から心境が読み取れたのか、学校長はいつもの笑みを浮かべつつもどことなく言葉が厳しく感じられた。……そんなにありありと顔に出ていたのだろうか。
「毎年恒例ではあるが、今年に限ってはリース君のように魔獣相手の経験が豊富な子が主席でいてくれて助かったよ。聞けば黄泉の森でも修行の一環として魔獣狩りをしていたらしいね」
「していたというか、半分くらいは強制的にやらされてたんですがね」
学校長の言葉通り、黄泉の森の魔獣は俺の修行相手のような存在であり。婆さんに指定された魔獣を狩ってくるように言われることは多々ある。
だが同時に、絶対に相手にしてはならない類の魔獣も教えられた。そして実際に、婆さんに連れられてその手の魔獣を遠目から視界に収める機会も与えられた。距離が離れているというのに、背筋の震えが止まらなかったのをよく覚えている。おそらく、婆さんが付近にいなければ、俺は容赦無く『狩られて』いたに違いない。そう確信させるほどの恐怖があった。そうした『恐れ』を抱かせるのも修練の一つであったのだ。無茶と無謀の違いを味合わせる為だ。
頻繁に黄泉の森の深奥──婆さんの家である大樹を訪れている俺であるが、跳躍などで空を飛び、森林の上を通過できるからである。陸路──つまりは樹海の中を進むとなると途端に難易度が跳ね上がる。
さらに言えば、上空を飛べるからと言って黄泉の森のどこでも通過できるわけではない。生い茂った木々の間で、己の上を無警戒に飛ぶ獲物を付け狙う凶悪な魔獣もうじゃうじゃいるわけで。そういった魔獣が生息する地域を避けて飛んでいるわけだ。
「つまりは魔獣への危機感や知識も持ち合わせているということだ。大変に結構。あるいはこと魔獣への実戦経験という意味では、大方の教師たちよりも経験豊富だろう」
「そういや、教師達が魔獣を狩るイメージってあんまりないな」
特にゼスト先生あたりは完全に研究職だ。魔法への造詣は非常に深いのだが、これが実戦ともなると途端に頼り甲斐が無くなる。程度の違いはあれど、そうした教師は何人かいる。
「それに、だ。常日頃から決闘をしている上に、魔獣への戦闘経験もある君にとって、課外授業はあまり実りがないものになってしまう恐れもある。であれば、引率側にまわってしまった方が学べるものがあると思わないかい?」
「それは……まぁそうかもしれませんけど」
既に課外授業の実習先については公開されているが、実は校内戦に向けて大賢者の婆さんと一緒に向かった場所である。もちろん、油断はできないが、逆を言えば油断さえなければ、表層から中層あたりに掛けてであれば十分に対処できる範囲だ。
「ジーニアス魔法学校は文字通り魔法使いのための教育機関ではあるが、魔法を教えるだけの学校ではないつもりだ。いつもとは違う視点、環境に身を置くことは、間違いなく君たち生徒にとって先を見据えるための糧となるはずだよ」
たまにヤバい笑みを浮かべたりやたらと動きが軽いところを見せるが、こういうところはやはり、教育者でありジーニアス魔法学校の長であるのだと思わされる。
「では明日、ゼスト先生と一緒に狩人組合の方に赴いてもらう」
「……そういうのはもうちょい早く教えてくれてもいいんじゃないですかね学校長」
魔獣との戦闘経験を積むための課外授業ではあるが、何も生徒だけに全てを任せるようなことはない。現地に向かう一週間と少し前から狩人組合から外部講師として『ハンター』を招き、魔獣に対する知識を学ぶ。また、当日もハンターも引率として参加する手筈となっている。
そこまではいいのだが、問題は学生代表である俺が、それに対して全く準備をしていなかった点である。だってこの時点でようやく主席の仕事とやらを知らされたのだから。
「君はほら、ここ一ヶ月辺りは校内戦の後遺症で大変だったからね。組合へと行くのは大体この時期であるから。むしろ、それまでに君の調子が戻ってくれて助かった」
実際問題、進化の後遺症がひどい時期だと勉学以外に気を向けている余裕はあまりなかった。骨折や筋肉の損傷とは全く別の類であり、痛みに慣れた俺であってもかなりきつかった。その最中に話を持ち出されてもおそらく集中して聞けなかっただろう。
「通例であれば、課外授業の一ヶ月前から主席生徒には放課後に組合へ赴き、ハンター同伴の元で現場の空気を味わってもらうのだが、君の場合はそれを省けたというのも幸いだ」
「その辺りは流石に考慮してるんだ」
主席というのは『決闘』を多く挑まれる立場にあり、魔法を使った戦闘においては全く問題ない。一方で、過去の主席生徒の中には魔獣に対しての経験が一切ないという者も少なからずいたらしい。その為、他の生徒よりも先んじて魔獣狩りを経験させるらしい。
「大丈夫。話のほとんどはゼスト先生に任せておけば問題ない。明日の話し合いについても、細かいすり合わせ程度で終わるだろう」
既に組合の方へは通達しており、諸々の細かい打ち合わせの為に組合の方で話し合いをするとの事。組合側としても毎年恒例である為にそれなりに事情は把握してくれているらしい。俺の役割は軽い顔合わせで、本格始動するのはそれ以降だとか。
「それと、補佐にはミュリエルをつける。あの子も私の野外活動に連れて行っているし、魔獣との戦闘経験もある。当然、君には及ばないが」
言われてみればミュリエルのやつ、校内戦の特訓に飛び入りで参加した時も、野営設立や料理に関しても手慣れていた。
「いやあいつ、絶対に嫌がるでしょう」
「断れば研究室を没収する──と言ったら、実に快く引き受けてくれた」
どのあたりに『快く』要素があったのだろうか。
「どうせ、課外授業もあの手この手で手抜きするんだろうし、校内戦には出なかった分も含めて存分にこき使ってくれたまえ」
俺はほんのちょっとだけミュリエルに同情したのであった。