第百九十三話 仮説の証明
──大きな課題は二つ。
己が超化を相手に最小限の被害で凌げるか。
完璧とはつまり僅かな綻びで崩壊しかねない脆さがある。華麗に避けて見せていたが、実際のところは綱渡りの連続だ。紙一重ギリギリの緊迫感を表に出さないのは苦労した。
これまで良くも悪くも他の学生相手にも決闘を行ってこなかったのが功をなした。しかしながらリースは時間が経過するたび、着実にカディナの動きに追いつき始めていた。
限度と思わしき六度の装填。おそらく残りの二つでカディナは追いつかれていたという確信がある。故に、そうなる前に、リースに完成したばかりの魔法を使わせる必要があった。
さもカディナ側が優勢であるかのように振る舞えるかが重要だった。カディナは己の演技力を少しだけ褒めたくなった。
そうして、当初の目論見通り、リースに新たなる魔法──進化を使わせる事に成功したのだった。
だが肝心なのはそこではない。これはあくまでも勝利への布石に過ぎない。
(頭では想定していたけれどっ)
上級魔法並みの威力を持った一撃必殺がずっと己を追い続ける状況。観客席は熱気に包まれているだろうが、相対している身としては冷や汗を掻きっぱなしだ。身近に吹き荒ぶ自身が操る以外の風、リースの拳圧が巻き起こす気流を肌に感じるたびに背筋がゾッとする。
(あとは、あの仮説が正しいと分かれば──っ)
恐怖を抱きながらも、心の芯と表面上の冷静さを保てていたのは、自身とミュリエルが導き出した答えが相違なかったという確信があったからだ。
「風槌衝ッッ!!」
「要塞防壁!!」
剛腕を躱した直後、振り向きざまにカディナが魔法を投影。追撃を企てようとしたリースは右腕の魔力装甲を展開して防御。激しい魔法の衝突で砕けた魔力がキラキラと舞い散り外素に溶け込んでいく。
激しい機動戦を繰り広げていた両者であったが、示し合わせたように二人同時に地面に着地した。両者共に息を荒げており肩を上下させる。
「はぁ……、はぁ……、ああくそっ、もうちょい調整しときゃよかった。きっつぅ」
リースは滝のように流れる汗を手で拭うも、顎を伝って雫がこぼれ落ちる。
風を通じて、彼の息遣いや鼓動の逸りやぼやきがカディナにありありと伝わっていた。
そう、圧倒的優位な状況に立っているはずのリースが、必死に逃げ惑っているカディナ以上に激しく消耗しているのである。
「やはり、私とウッドロウさんの推測は正しかったようね」
誰に言い聞かせるでもなく、カディナは小さく呟いた。
進化は確かに、装填の問題であった『使用前後の隙』については完璧に克服している。けれども、もう一つの弱点である体力の消費については、少なくとも現段階においては完全には解消しきれていないのだ。
(超化──そして装填が、いわば短距離走の停止と加速を繰り返しているのであれば、そして進化は、ずっと短距離走の速度を維持し続けているようなもの)
一度立ち止まってからの全力疾走。そこから停止してからの再加速。これを無理に繰り返せば、人間の心拍や膝関節が確実に異常をきたす。装填は、この『異常』の部分がダメージとなってリースを苛んでいる。
進化は、そうした故障は無い。常に魔力を供給し続けるので零から万全への落差が生じない。しかし、その代償として。
(発動し続けている限り、加速度的に体力を消費し続ける事になる──ッッ)
体の中に常時、本来であれば器には収まりきらない量の圧縮された魔力が駆け巡っているのだ。加えて、元よりある剛腕手甲の制御もある。リースの激しい消耗は、この二つの負荷によるもの。
カディナとミュリエルは意見を交わしぶつけ合わせる事で、この結論に至ったのである。
(でも、問題はここから)
内面の逸りを精神力で抑え込み、不適な笑みを作って見せるカディナ。
「どうしたのかしら。あれほど大口叩いてまだ私は傷の一つもないのだけれど?」
「さっきからどうにも分かりやすい挑発だな」
疲労を滲ませながらも、リースは「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「挑発とはわかっていたのね」
「まぁな。師匠がメチャクチャ厳しくてね。こういう時の心構えもきっちり叩き込まれてる」
リースは左手の親指で自身の眉間を突いた。自慢ではなくただ、事実を述べているだけだ。
「でも、今はその挑発に乗ってやるよ!」
右翼を輝かせながら加速するリース。
風魔法を纏って宙に舞い上がるカディナ。
ここにきて、既に彼はカディナの作戦に気がついているのかもしれない。その上でカディナを正面から打倒しようとしている。
それならそれで一向に構わない。状況がここまで進行した以上、もはや修正できる段階はとっくの昔に通過している。
おそらく、進化の練度が上がれば、この大きな弱点もやがては消える事だろう。あくまでも未習熟であるがゆえの一時的な弱み。
(ライトハートがローヴィス相手に勝ち星を得ていたのは、こうした弱点を付いたから。そして負け越しているのは、正面からローヴィスに勝とうとする彼の気概によるもの)
もしかすれば、この戦いを見ているライトハートからは軽蔑されるかもしれない。以前の己であれば無理にでも正攻法で挑もうとしていた。
「不本意だけれど、やはりあなたが羨ましいわね、リース・ローヴィス」
カディナに向けて果敢に向かうリースの顔には、紛れも無い笑みが浮かんでいた。彼はこの戦いを純粋に楽しんでいるのだと。魔法使いとしての全てを用いて戦う事が楽しいのだと、見るからに分かる。
魔法使いとしての純粋なあり方に、カディナは憧れすら抱いた。
そして同時に、自分は彼のようにはなれないのだという諦観があった。
装填は使うたびにダメージ負う。
進化はダメージを負わないけどすごくスタミナを消費する。