第百八十五話 中途半端のようですが
夢幻の結界が解除されると、ラピスが肩を落とし、悔しげに入場口にやってくる。
「おう、お疲れさん。惜しかったな」
労いの言葉をかけると、俺の姿を確認したラピスは力無く手を挙げてから顔を背ける。
「慰めは良してくれ」
「慰めでもお世辞でもねぇよ。アイツに本気を出させられる奴なんて、この学校にだってそうはいないだろうさ。俺だって、今のお前に超化を出し惜しみしてたらもう勝てねぇ」
そして超化を使ったとしても、今のラピスが相手では勝ちを得るのは容易ではない。もしかすれば『奥の手』を使わなければならないだろう。女であることを暴露してから、まるで別人のような成長ぶりだ。
賞賛が嘘偽りないと伝わってくれたようで、ラピスは少し嬉しそうにはにかむ。敗戦のショックが少しは柔んだようだ。
準決勝第二試合も同じ決闘場で行われる為、今は点検の最中だ。俺の試合が始まるまではまだ少し時間がある。
ラピスは観客席に戻らず、この場に止まると俺に問いかけてきた。
「ねぇリース。結局ライトハートの『あの魔法』はなんだったんだ? あれを使ってから急に彼の反応速度が上がったように感じられたんだけど、実際には良く分かんないんだ。気がついたら一気に追い詰められちゃったから」
「当人に聞かねぇことには確証ねぇが──一応の推測は立つ」
俺だっていきなりアレを目の前でやられたら、その場で理解できる自信はない。対応はまた別だが、こうして仮説を組み立てられるのは、試合の外から状況を把握できたからだ。
「君なりの結論はあるんだね。いいよ、聞かせて」
「んじゃぁお言葉に甘えて」
あの時のアルフィがやっていた事を説明するのは簡単だ。
中途半端な状態で投影した魔法を、霧散させずに維持し続けていたのだ。
今回はラピスが相手であったために水属性は使わなかったが、本来は四属性を総動員して使うのだろう。そうして投影した中途半端な四属性から新たに魔法を投影するというものである。
「……ゴメン。試合疲れで頭が回ってないのかもしれない。僕にも理解できるように説明してくれ」
要領を得ないようで、ラピスが額に手を当てる。
「俺は無属性だから知識でしか知らねぇが、属性魔法ってのは最初の一割か二割は初級だろうが上級だろうが魔法陣の構造はあんまり変わらねぇんだろ?」
「それはそうだけど……って」
ここまでくるとラピスもすぐにピンと来たようだ。
「もしかして、その最初の部分を常時投影し続けてるってこと?」
その通り。魔法が魔法の『形』を成す前後の境目で維持していた。宙に浮かんでいた属性魔法が歪んでいたのはその為だ。
「あいつの反応速度が上がったように感じたって言ったが、実際にはちょいと違う。反応はそのままだが、投影速度が上がったんだ」
時間にしてみれば、おそらくコンマ数秒程度の僅かな短縮。ただ、試合のように、魔法使いが正面から一対一で戦う状況ともなれば、この刹那が実に活きてくる。
「……あまりにも馬鹿げてる。魔法を中途半端な状態で崩壊さずに留めておくなんて、普通の魔法使いなら絶対にしないよ」
「だよなぁ、ったく。必死に魔力をかき集めてる俺が阿呆らしくなってくる」
ラピスが出て行った側とは反対の入場口にて、アルフィはカディナと顔を合わせていた。
「あなたも十二分以上に常識の埒外にいる存在なのよね。非常識の権威のような男が近くにいるから、時々忘れてしまいそうになりますが」
「それは絶対に褒めてねぇよな」
カディナが語った考察は、まさしく反対側の入場口にてリースが語ったものと相違なく、アルフィは肯定しつつも彼女の忌憚ない物言いに顔を引き攣らせていた。
アルフィは自身の手札を十全に扱いこなすには圧倒的に経験が不足していた。なまじ切れる札が多い為に、状況に応じた適切な対応ができずに反応が遅れてしまう。
反応速度がすぐにあげられないのであれば、反応してからの投影速度を向上させれば良いというもの。あらかじめ魔法の下地を投影しておくことで、一から魔法を投影する手間を省く。ゼストが授けた策がこれであった。
「効果に対して魔力の消耗が激しすぎます。だったら、素直に反応速度の向上に努めたらいいのに……なんていう力技なのかしら」
「自慢じゃないが、昔から魔力の量だけは人一倍あるからな」
魔力は揮発性の高いインクと例えると。アルフィはこのインクを蒸発する側から惜しみなく魔法陣に注ぎ続けて維持しているのだ。並の魔法使いが同じことをすれば、一つの属性を維持するだけで数分も経たずにに魔力が枯渇する。
内素魔力が桁外れのアルフィだからこそ可能な芸当である。
とはいえ、リスクが完全にないわけでもなかった。
魔法の根源である魔力はまさしく無尽蔵に有するアルフィであるが、それを制御する精神力は別だ。あえて中途半端な形で魔法を投影するというのは、普通に魔法を扱うよりも神経を使う上に、一度使ったら改めて投影し直す手間もある。長距離走と短距離走を不定期に交互で行うような疲弊感が伸し掛かってくる。
と、この欠点をカディナに言う必要はなく、露見するまでは伏せておく。何せ、次に行われる準決勝第二試合の結果如何で、アルフィが戦う相手が変わるのだから。
「別に反応速度云々は疎かにするつもりはないさ。言うなれば校内戦に間に合わせるための小細工だ」
「小細工どころか、大細工にも程がありますけどね」
「今日はやけに言葉に棘があるな。この後にリースとやり合うってんだから気が立つってのも分かるけど」
相手は文武共に学年一位の成績保持者。それが単なる額縁だけのものでないのは、この会場に居合わせた全てのものが理解している。緊張とは無縁でいられないはずだ。
それはともかくとして──アルフィはカディナの姿を上から下まで眺めて訪ねる。
「非常識云々を俺に言うなら、逆に聞きたいんだが……本当にその格好で出るつもりか?」
実は入場口にまで戻ってた時点、カディナを一目見てからずっと気になっていたことを口にした。
「ご心配なく。ゼスト先生をはじめ、校内戦の運営に携わっている教員の方々からは許可をいただいてます。なんら問題はないわ」
「いいのかよっ。……まぁ、伊達や酔狂でやる性格じゃぁないよな、お前も」
「熟考を重ねた末に出した結論よ」 会話をしている最中に、決闘場の準備が整ったようだ。立会人の教師が入場口に向けて合図を送ってくる。
「私は行くわ……あなたのライバルを倒してしまったらごめんなさいね」
「おぉおぉ、言ってくれるな。──そのセリフがハッタリじゃないことを期待してるよ。わりと本気めにな」
アルフィなりの激励を背中に受けながら、カディナは決闘場へと足を踏み入れた。