第百七十八話 ジーニアス魔法学校の教師として
──生徒に質問されたある教師の語り。
「ヒュリアのお嬢について? っと、お嬢って呼ぶと機嫌悪くするから俺が言ったこと秘密にしといてくれ。いいかげん、もうそんな歳でも──ごほんっ」
話がそれた、と教師は咳払いをした。
「確かにヒュリア先生は気難しいっつーか気位がたかいっつーか。選民意識が強く魔法使いとしてのプライドも非常に高いし平民出身の生徒を見下す傾向にある。あいつ自身も、良い所のお嬢様だしな」
歯に絹を着せぬ忌憚がなさすぎる台詞が教師の口から飛び出す。
「実際のところ、魔法使いにあっては、平民よりも貴族の方が優れているのは統計的に立証されてる。一部例外はあるが、血統がものをいうってのは間違いじゃない」
少なくとも、一学年のノーブルクラスに在籍する生徒は三名を除けば貴族で固められている。このジーニアス魔法学校においては、家名ではなく厳選なる試験結果によるものだ。
ただ、同レベルの素養を有していたとしても、事前教育の環境が整っているのは貴族が有利なのは否めない。
「だとしても、入学後の条件は平等。その後学年が上がって卒業に至った時点でも、成績の上位陣は貴族の生徒が占めてる」
っと、また話が逸れたと教師が頭を掻いた。
「ただまぁ、めんどくせぇ女には違いないが、あれでもジーニアス魔法学校の教師だ。しかも、本来であればノーブルクラスを任される予定だったほどのな。でもって、この学校の教師ってのは全て、学校長が直々に見定めて採用した粒揃いだ。この意味、わかるかい?」
ただのプライドの高いだけの魔法使いに務まるほど、ジーニアス魔法学校の敷居は低くない。そこには確実に付随される何かがあるのだ。
「ああ見えて教師としての矜持はちゃんと持ち合わせてる。相手が平民であろうとも何であろうとも、その辺りは履き違えちゃいないのさ。生徒の好き嫌いはあっても、教育の選り好みは絶対にしねぇのよ。学校長が特に見込んだのは、この辺りだと俺は踏んでる」
さらに加えるのであれば、教師間における魔法戦においては校内で最上位。一年の中ではまさしく最強格であった。
「強さの秘訣は、直感的に相手の弱点を突く洞察力。そして、それを後で自分なりに理論づける分析力。手前でも自身があるだけに、一度凹むとなかなか立ち直れねぇのが玉に瑕だが、よほどにぶっ飛んだ想定外に出くわさなきゃぁ、初見の相手でも早々に遅れはとらねぇのさ」
──それだと、あなたがヒュリア先生に勝てる部分とか無くないですか?
「俺は研究特化なんだよ!」
大賢者の存在はぼかしつつ、俺が一通りに語り終えると、ヒュリア先生は大きく大きく。それはもう大きなため息を吐いた。
「……話してみろって言ったのは先生の方なんですがね。その反応はどうかと」
「常識破りにさらに輪をかけた型破りに頭痛がしてきているだけです」
「なんだったら実演しましょうか」
「結構です。……私の部屋で暴発でもされたら目でも当てられません。平民の年収で買えない様な貴重なものもあるんですから」
先日に諸事情で大量に金が入ったので多分どうにかなる気もするが。
「安心なさい。非常に不本意で遺憾ではありますが、あなたがただのつまらないハッタリを口にする様な劣等生でないのは理解しています」
──主席なんですけどね、俺。
内心で突っ込みを入れる俺をよそに、ヒュリア先生は顎に手を当てると無言で考え込む。しばらくそのままでいること数分。彼女は幾度か頷くと立ち上がった。
「話で聞いた限りの内容を、私なりに解釈しましょう」
ヒュリア先生は一旦席を離れて部屋の奥に向かう。戻ってきた時には、先ほど湯沸かしに使っていたケトルを持ってくる。
「その吸魔装腕でしたか……それを使っている状態のあなたを、このケトルに例えてみましょう」
彼女は空中に投影した輪状に作った防壁の上にケトルを置くと、その下に火を灯した。
「今、ケトルの中には先ほど使ったお湯の残りが入っています。これを熱し続ければどうなりますか?」
「中身が沸騰しますね」
「よろしい」
熱されたケトルはしばらくは何の変化も起きなかったが、やがては注ぎ口や蓋から徐々に湯気が漏れ出していく。さらに待てば勢いを増していきガタガタと揺れ始める。中の水が熱されたことで沸騰し、水蒸気が溢れ出したからだ。
この辺りの『科学現象』はジーニアス魔法学校でも授業で行われている。科学と魔法の分野は真逆ではあるが、自然現象を科学的に分析することでその理論を魔法陣の構築に反映することができたりする。ここ十年かその辺りで生じた新しい概念らしいが、一定の成果は出ている様である。俺が普段使っている防壁の六角構造だって同じだ。
婆さん曰く「千年後の科学は今の人間にとっては魔法に匹敵するものになっているかもしれんな」とのこと。それはさておき。
「もし仮に、このケトルの隙間を全て塞ぎ、温め続ければどうなりますか?」
「爆発しますね、そりゃぁ」
確か、水は水蒸気になると体積が元の数倍以上にも膨れ上がるらしい。それを利用した新しい機構が研究されてるとかしないとか。とにかく、ケトルの中に入った水が水蒸気に変わり続ければ、容器が内側からの破裂する。
「────あれ? これって……」
顎に手を当てる俺に、ヒュリアは満足げに頷く。
「気がつきましたか。魔力を回復し続ける事によって器の限界を超え、やがては暴発を引き起こしてしまう。あなたが直面している限界というのは、このケトルの口を全てを塞いだ状態と同じです」
「……なるほど、こいつは分かりやすい」
納得すると同時に、俺はヒュリア先生の分析力に内心で度肝を抜かれていた。時間にして数分程度語った程度。そこからさらに、俺が直面している問題点を解釈し例えを用意するまでにもう数分程度。
日に日にジーニアス魔法学校の教師という存在に驚かされるが、今日は極めつけだ。よく入学試験で彼女に勝てたなと背筋がヒンヤリしてしまう。やはり、ただの胸が大きいだけの高飛車美人ではなかった様だ。
「ではどうして、このケトルは破裂せずにまだ形を保ち続けているのか」
「そりゃぁ、蒸気の抜ける隙間が空いてるからで────」
続けて出てきたヒュリアの問いかけに、何気なく答えを返す。至極当たり前の帰結であり奇を衒ったものではない。ケトルの隙間からは蒸気が溢れ出ている、まさに目の前で起こっている現実をそのまま表しただけだ。
ただそれだけのはずが、自らが口にした言葉が脳内で反響する。
脳裏に浮かび上がったのは特訓の二日目。吸魔装腕の一番最初の形を初めて作った瞬間。思いついた衝動をそのまま魔法として投影し、すぐさま限界に達してしまった。
だが、限界が訪れる前に起こったことが一つある。
特訓が始まる前に、大賢者から渡された魔法具が壊れたのだ。
「非常に惜しく思いますね」
声を発することすら忘れるほどに思考の海に沈み込んでいた意識を引き上げたのは、ヒュリア先生のぼやきだ。彼女は俺の顔を見て面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「私の目から見ても、魔法使いとしての意欲も頭脳もあなたは揃えている。なのにどうして、貴族として生まず属性も有していないのか」
改めて深いため息と頭を左右に振る仕草。苛立ちを含む本心からの嘆きであると分かった。
「そのどちらかでもあれば、アルフィ君の様な四属性の魔法使いに並ぶ、稀代の大魔導師になっていたかもしれなかったのに」
「違いますよ、ヒュリア先生」
俺はあえて言う事にした。
「俺は平民出身で防御魔法しか使えない無属性の魔法使いには違いない」
だからこそ、この学校で証明するのだ。
俺の様なやつでも魔法使いの高みを目指せるのだと
それを実現した時、きっと最高に面白いのだろう。
故に、目指すべき背中を俺は口にする。
「将来になるとすりゃぁ大賢者だ」
「……まったく、面白くない冗談ですね」
心底呆れ果てるヒュリア先生に礼を述べてから、俺は彼女の部屋を飛び出した。
──校内戦にまで残された時間は少ない。今は一分一秒が惜しかった。
厳密には違うかもだけど、分かりやすい例えってことで