第百七十七話 ぶっちゃけました──お茶は美味しかったようです
「まったく……曲がりなりにもあなたは栄えあるジーニアス魔法学校一年生の主席であり、つまりは学生の規範となるべき存在なのです」
俺の不注意でぶつかり倒してしまったものの、幸いにヒュリア先生に怪我はなかったようだ。だが、衝撃で抱えていた書類がばら撒かれてしまった。どうやらあちらも、一抱え以上もある荷物に意識が向き過ぎていたようだ。
「考え事があろうとなかろうともっと周囲への影響力というものを自覚するべきです──って、聞いているのですかリース君」
「……うっす」
ヒールをカツカツと鳴らしながら歩くヒュリア先生に睨まれ、俺は短く頷きを返すしかなかった。並んで歩いているのは、先生が直前まで運んでいた書類を俺が抱えているからである。
怪我がなかったとはいえ、ぶつかってしまった負い目がある。普段の俺であれば直前まで気が付かなくても出会い頭に避けることもできていた。その分だけヒュリア先生に申し訳ない気持ちがある。
それに、どれだけ苦手意識を持っていても、女性が力仕事で苦慮しているのをそのまま見過ごすというのも後味が悪い。故に、書類を集めるのを終えたところで荷物運びを買って出たわけである。
──もっとも、申し出た時に見せたヒュリア先生の表情が中々に愉快な事になっていた。愉快すぎて俺の自尊心がちょっぴり気がつくくらいに。それくらいに意外だったのだろう。
そんなわけで、とてもありがたい小言をお聞かせもらいながら、こうして書類を運んでいるのである。
少しすると、ヒュリア先生の仕事部屋にまでたどり着く。この学校、職員室の他に教員個々に部屋が割り当てられていることから、どれだけ広いのかがよくわかる。俺も全貌は把握していないほどだ。
ヒュリア先生が解錠して開かれた部屋に入り、指示された机の上に書類を置く。俺にとっては軽い荷物であったが、それでも女性が運ぶには少し大変な量だった。
「んじゃぁ、俺はこれで失礼しま──」
「お待ちなさい」
そくさくと部屋を出て行こうとする俺の背中に、ヒュリア先生が待ったをかけた。まさか知らぬ間に何かやらかしたのか。あるいは入学試験の時のあれこれで難癖を付ける気か。もしくは全く関係のない小言を聞かされるのか。
「その……他に何かありました?」
恐る恐ると振り返る俺に、先生は腕組みをしたままだが先ほどよりは険の薄れた顔でこちらを見据えていた。
「そう警戒心をむき出しにされると私も少し傷つきますが……荷物運びの礼です。お茶の一つも出そうと思うのは自然のことでは無くて?」
で、ヒュリア先生のお茶を頂戴することとなった。
来客用の椅子に腰を下ろすと、俺はあたりに視線を巡らせていた。
ゼスト先生の仕事部屋は幾度となく足を運ぶ機会があった。あそこは研究室としての雰囲気が強く、婆さんの家でも見たことあるような実験器具が所狭しと置かれていた。
一方でヒュリア先生の部屋はまさに執務室といった具合だ。品の良い調度が置かれていたり、質の良さそうな家具が並んでいたりと、同じ教師とは言えここまで雰囲気が変わるものなのか。まぁゼストのおっさんとヒュリアのお嬢さんを比べるのがそもそも間違いなのだろうが。
そのまましばらく待っていると、ヒュリア先生は湯気のたつポッドとテーブルにおきカップを並べる。茶器に注がれたお茶からは芳しい香りが漂ってきた。
「……いただきます」
手振りで促された俺は、茶器を手に取るとゆっくりと中身を口に含んだ。
「あ、これ美味い」
こう見えて、俺の舌は婆さんの手料理を味わってきた経験からちょっと肥えている。黄泉の森で取れる食材を調理して出される料理は一級品以上だ。そいつを長年味わってきた俺からしても、ヒュリア先生が出してくれたお茶は素晴らしいものだった。
俺の顔から、ただのお世辞ではないと読み取ったのだろう。ヒュリア先生はここにきてようやく険しさの取れた表情を浮かべた。
「どうやら、平民のあなたでもこのお茶の良さは分かるようですね。その辺りの教養があるようで安心しました」
「……まぁ、知り合いに食通がいまして、ちょくちょくと」
遠回しに褒められ、俺はオズオズと答えながらまた一口茶を含む。荷運びのお礼としてこのお茶を頂けたのであれば、十分に利はあった。
お茶の温かみと味わいのおかげで、先ほどの特訓で溜まった疲れもスルスルと抜けていくような感じだ。そうなるとまた、思考が回転を始める。
新しい魔法の欠点は魔力の容量限界。そいつをどうにかするために、魔力を消費し続ける必要がある。防壁でもダメなら、もっと制御が容易で大量に魔力を消費できる魔法があればいい。ただ問題なのは、そんな魔法が果たして存在するかどうか。少なくとも俺は知らないし、そもそも防壁以上に簡単な魔法なぞ存在意義がないだろうに。
「どうやら、随分と悩んでいるようですね」
「うぇっ?」
不意にかけられた教師の言葉に、俺は妙な声を発してしまった。
「書類を抱えてここに来るまでも、ずっと同じ思い詰めた顔をしていましたからね。嫌でも気がつきます」
「まぁ確かに……校内戦も近いっすから」
どう答えていいかいまいち分からず、俺は当たり障りのない返しをする。ヒュリアはそんな俺を見て一息をつき、茶器をテーブルに置くと改めて口を開いた。
「プライベートであれば預かり知りませんが、魔法に関わるのであれば、話してみなさい。もしかすれば私が助言できることもあるかもしれません──なんですか、その顔は」
「いやその…………ぶっちゃけ、予想外すぎる流れだったんで」
「ほんとうにぶっちゃけますね……」
まさか、ヒュリアからそんな言葉が出てくるとは。てっきり嫌われているとばかり思っていたのだ。そんな俺に彼女は眉間に皺を寄せると、握った手を口元に当ててわざとらしく咳払いをする。
「……誤解なき様に言っておきますが、私はあなたが嫌いです。ええ大嫌いですとも。入学試験で常識破りで型破りなあなたの戦いぶりに翻弄されたことは、私の人生の中で屈指の汚点です。おかげで例年になく優秀な生徒が揃っているはずであったノーブルクラスの担任から外される始末。ああ、思い出すだけで本当に腹立たしい」
「あんたもだいぶんぶっちゃけたな!?」
本人を目の前にしてよく言えたな。俺が口の端を引き攣らせていると、ヒュリアは大きく息を吐いてから「ですが」と続ける。
「生徒に規範を求める立場にある以上、私も教師としての規範を示す義務がある。私事を飲み込んで指導する立場にあることを疎かにするつもりはありません」
 





