第百七十六話 ぶつかったようですが──吸魔装腕です
放課後、俺は鍛錬場ではなく校舎の外縁にある人気のない林の一角を訪れていた。
本来、鍛錬場や授業での一環以外でこうした自主練をすることは推奨されていないが、ことが新たな魔法の開発ともなれば仕方がない。少なくとも、校内戦が終わるまでは誰にも見られたくはなかったのだ。
「超化」
まずは圧縮魔力を取り込む。剛腕手甲を右腕に具現しながら、同時に俺は左腕に防壁で作った新たな鎧を纏わせる。
名付けて吸魔装腕。
これまで超化で攻撃手段を片腕に限定していたのには明確な理由がある。
剛腕手甲を右腕に纏わせ攻撃に専念させ、逆に左手は細かな指の動きで魔力の動きを制御し、手振りで身体全体のバランスを取っている。これまでの戦い方においてはおそらくこれが最適解に違いなかった。
だが、ここからさらに一歩を踏み出すためにはその形を崩す必要がある。
「吸引開始」
左の手甲部分に備えた穴から魔素を取り込む。
左腕の役割は以前と大きくは変わらない。左腕の鎧の役割は魔素の吸引。試行錯誤を加え、空気中の魔素を効率よく集めて圧縮し体内に取り込み、その加減を行う機能を追加した。
左腕の鎧で魔素の圧縮吸収を行いながら、継続して右腕を覆う防壁を崩壊させすぐさま再構築していく。それを継続しながら、俺は構えを取り拳を振るう。体に熱が入ってきたところで蹴りも加え、更には魔素の吸引速度も上げていく。防壁の破壊と再構築の速度も上げ──。
──ドクンッッ!
「んぐっっっ!?」
体全体に嫌な震えが伝わる。一番近いのは、胃が裏返る感覚。内側に溜め込んでいたものが外に溢れ出しそうになる、まさに嘔吐に似たものが込み上げてくる。
「──ッッ、魔力砲ッッッ!!」
意識が吹っ飛びそうになるのを堪え、剛腕手甲と吸魔装腕を解除し、体内に残ったありったけの魔力を手の平に集中。上級に向けて一気に解放した。
腹の底に届く破裂音を響かせ圧縮された魔力が弾け飛び、付近の木々を激しく揺らした。衝撃で枝が煽られ大量の木の葉が舞い落ちる中で、俺は自身の胸に手を当てながら大きく呼吸を乱していた。
「はぁ……はぁ……はぁ……やっぱりこれでもダメか」
呼吸を落ち着けながら、俺はぼやく。本音を言えば最初からあまり上手くいくとは思っていなかったが、今は思いつく限りを手当たり次第試している状況だ。駄目だと思っていても実際にやってみたら案外上手くいくこともある。もっとも今回は駄目であったが。
魔力切れを起こす度に圧縮した大量の魔力を取り込むから大きな隙ができる。であるなら、魔力を消費した側から空気中の魔力を取り込み続ければ良い。
思いついた当初はまさしく会心の出来だと思えた。今でも間違っていないという確信がある。
方向性が違えていれば、婆さんが待ったを掛けていたはずだ。
──けれども、ここでまた新たな暗礁に乗り上げていた。
あの後も幾度か思いつく方法を試したが上手くいかず、集中力も限界を迎えたところで取りやめた。今は熱した心身を冷ます意味と、頭の中の整理も兼ねて、当てもなくブラブラと校舎内を歩いている最中だ。
魔素を吸収──つまり魔力を回復し続けるということは、当たり前の話だが体内に魔力が蓄積し続けるということである。そうなるとやがては容量が限界に達する。
「魔力を消費し続けるってのは間違ってねぇんだろうがなぁ」
容量が限界に達した器にさらに魔力を注ぎ込めば当然、器が耐えきれずな中身が溢れ出す。これが、俺の直面している問題。
一番シンプルに考えれば、魔力を回復する速度に合わせて魔力を消費──つまりは魔法を使えば良いわけだが、これが想像を絶する難易度なのだ。
魔素の吸収や圧縮、吸引速度を同時進行しているところに、投影の制御も追加となればいくらなんでも処理しきれない。戦闘ともなればここに肉体動作も上乗せされる。いくつかは無意識レベルで行っているが、それにしたって限度がある。
剛腕手甲の防壁を何度も再構築していたのも、つまりは投影数を増やして魔力を消費しようという試みだったのだ。最初の頃よりはだいぶんマシになってきてはいたが、魔力の回復速度を少し上げただけで崩壊する程度には心許ない。
決闘ともなればここに加えて激しい肉体動作や状況判断まで加わる。戦闘中に無駄な魔法を使えば大きな隙を晒すし、相手に付け入る好機を与える事になる。
「戦ってる最中に限界が来たらその時点で負け確だし……」
かといって限界値を恐れて魔力の回復速度を抑えれば本末転倒だ。だったら通常の超化のまま装填をした方がよほど自由に戦える。
校内戦の日程にはまだ少し猶予があるが、余裕を持てるほどではない。刻一刻と、確実に近づいてきている。それがより一層に焦りを呼び込む。
『新たな魔法』は一旦中止し、今まで通りの戦い方で校内戦に向けて調整するのも一つの手ではあったが、明らかに悪手だ。
俺が合宿に行っていた間、アルフィのやつも独自で何かやっていたようだ。婆さんの元からヘロヘロになりながら帰ってきた次の日。数日ぶりに会ったアルフィの顔には濃い疲労が浮かび上がってきていた。
あの顔は何度か見たことがある。一番新しいところだと、四属性の同時投影に秘密裏に挑戦していた時のものだ。そこからしばらくしてから行った手合わせでは、かなり久々ではあったが俺に黒星が付いた。
今回もまた、でかい隠し球に挑戦しているのだろう。
あいつもこの学校に来て魔法使いとして進んでいるのであれば、俺が立ち止まっている場合ではない。何がなんでも校内戦にまで新しい魔法を戦闘に耐えうるまでの形にしなければならないのだ。
「問題は処理能力の分配か……でも防壁以上に簡単な魔法ってねぇし」
手の平に投影した小さな防壁を投影し、頭を掻きながら廊下の曲がり角に差し掛かった。
「キャッ!?」
「っと、やべっ!」
考え事と手元を見ていたのが悪かったようで、体に軽い衝撃が伝わった直後に何かがバサリと落ちる音と女性の小さな悲鳴が聞こえてきた。どうやら誰かしらとぶつかってしまったようだ。
「わ、悪いっ! ちょっと考え事をしてて──」
俺は慌てて謝りながぶつかったと思わしき女性に目を向けるが、言葉の途中で口の端が引き攣ってしまった。
「い、いえ。こちらも少し注意が疎かになっていたようです。すいま──」
女性は少し頭を振り、ずり落ちた眼鏡を持ち上げながらこちらを見上げると、やはり俺と同じように言葉が途切れる。ただその直後、ばら撒かれた紙束の山に腰をつく彼女は、キッと親の仇を見るような鋭すぎる視線を俺に向けてきた。
「……リース・ローヴィス」
「はははは……ど、どうもです、ヒュリア先生」
運の悪い事に、俺の不注意でぶつかってしまった相手は、入学試験の時にいろんな意味でお世話になったヒュリア先生であった。




